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今日の自分に出会いに行く

月経サイクルを大切に、内なる四季を大切にする生き方をすると

自然に、陰陽の"陰"と向き合わざるを得なくなる。


これまで、このnoteには、

社会的に避けられている陰に向き合うこと

陰を避けているから怖い/不安なのであって、一度受け入れてしまえば安心感に変わること

陰陽が統合されると満たされること

どんな感情も安心して感じられるようになること

その安堵感からくる開放感が気持ちいいこと

女性性特有の強さを持てること


そんな感じのことを書いてきましたが、


今回の記事は、ポジティブ信仰の違和感のワケについて。


悲しみを無視した本心を置き去りにしたポジティブシンキング

目標設定し達成を目指すコーチング

なりたい自分になろうと謳う美容


そういったものに出会う度、

社会的に喜ばしい状態に自分を合わせなきゃいけないみたい。。。。

上を目指さないといけないみたい。。。。


違和感を感じつつも、上を目指すことは、成長につながるし素晴らしいから、そうしなきゃいけないのかな?と悶々としていました。(今はスッキリしてます!)

わたしは、どんな感情にも寄り添いたいし、

目標に囚われて今を見逃したり、制限作ったりしたくないし、

ただの自分にしかなりたくないと思っているので。

違和感を感じる理由が二つあって、

ひとつは、
そういったものに、
”直線状に右肩上がりに上げていく”というイメージがあったので、不自然に感じること。


↓女性の体も心も、実際はこんなに揺らいでいます。

⇧出典:TANITAタニタのHP


社会的に素晴らしい自分になりに行くのではなく、
『下に降りて今の自分に会いに行く』


そういうときがあっていい。そういうスタンスの人がいてもいい。
それで陰陽のバランスがとれ本来の在り方と一致する。

「もっと豊かに」「もっと幸せに」

「もっと」で何か行動すること(Doing)に急かされているとき、在り方(Being)を見落としていないでしょうか?

地球レベルで見たら、今の地球の向き合うべき状態を無視したその「もっと」が環境問題や児童労働問題などにもつながってるのではないでしょうか。

それって、陽/男性性に傾きすぎているということ。

二つ目の違和感の理由は、
今の自分への愛をないがしろにしているように感じたから。


人間、陰陽で出来ているので、陰も大切な自分のピース。

それを受け入れないのは、

見たくないものから、そして、自分から逃げているということ。


自分の中に受け入れられない部分があって、そこを「もっと」で埋めようとする。

陰を受け入れてないときの「もっと上」を目指す行動は、動機が愛じゃなくて恐れ。


嫌なことも引き受ける覚悟を持ったうえで、

ポジティブに進む。見たいものを見る。


そういえば、そうやって自分自身、第一希望を叶えてきたなって思い出しました。

【ご参考】陰陽の陰の役割を知れる記事↓↓知ると受けいれるの簡単

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