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好きな子と同じ高校に行きたかった…。高校受験大失敗談

今時点で僕は、21歳。この春で大学4年生になる僕は、高校受験の時、
当時好きだった隣の席の子と同じ高校に行きたいからという理由だけで、
県内で一番頭の良い高校を目指した。

しかし、中学生の頃の僕は、大の勉強嫌いだった。小学校6年間はテストで100点を取り続けていたのに、中学校に入学して1番最初に習う数学のプラスとマイナスの計算が全く理解出来ず、そのあと習う内容は、何一つ理解出来なくなった。数学でつまずいた僕は、他の教科もドミノのようにつまずいていった。その結果どうしようもなく、テストの答案を白紙で出したり、テスト中に鉛筆を噛みちぎって遊び、職員室に呼び出されたりしていた。いわゆる僕は、問題児だった。

中学二年生の頃の話

中学二年生になると、先生に志望高校を聞かれる。将来とか高校とか、
その頃何にも僕の頭には描かれていなかった。だから、
第一志望はホグワーツ魔法魔術学校です」と、先生に胸を張って言えた。

後日、総合学習の時間に廊下で担任の先生と二者面談をすることになった。先生は僕の成績を見るなり「まぁ、普通にヤバいよ。」とニヤニヤしながら言っていた。「今の君の学力だと☆☆高校も行けないね」と当時、県内であまり評判の良くなかった高校を名指ししてそう言った。でも先生にそう言われたところで、特に焦ったりもしなかった。「へーそうなのか。ヤバいんだなーえへへ」なんて、上の空で教室へ戻って席に着いた時に、「何笑ってるのー?」と、隣の席の女の子に話しかけられた。

その子は、僕が好きだった子で、これがまさに転機の瞬間だった。
「○○はどこ高校行きたいのー?」とさりげなく聞いた。そして帰ってきた
「※※高校だよ」という言葉を聞いた瞬間、「あ、じゃあ俺もそこ行く」と、
目指すようになったのである。本当にこれだけがきっかけだから面白い。
(もちろん実話ですよ)

それから、テスト中に鉛筆を噛みちぎって遊んでいたような問題児は、
県内で一番頭の良い高校を目指すことになり、合格したらその好きな子に告白しようと決めた。(その高校までの道のりにある橋の上で告白しようと詳細までイメージしていた。)→だいぶ厨二病…。

でもその好きな子が志望してる高校は県内で一番頭のいい高校の一般コースみたいなところで、当時の僕自身との偏差値の差は20以上あった。それでも、「もう死んじゃおっかな」と、なんだかんだで辛い日々を送っていた僕は、「まぁ、落ちたら死ねばいっか」くらいの気持ちだった。逆にその気持ちが、だんだん、どうせ死ぬなら本気でやってみようという気持ちに変わり、本気になった。だから、それまで全く勉強なんてしなかった僕が、週に4回以上も塾に通うようになり、毎日4時に起きて登校するまで勉強、22時には寝るという生活に変え、通学の時も学校の給食の時も取り憑かれたように勉強出来た。サッカーの授業の時は、体操着のポケットに歴史年表を隠し持って参加し、相手陣地のゴール前にずっと立っていた。ボールが来ない時はずっと年表を見て覚えて、ボールが来た時はポケットにしまい、ボールを蹴りながら年表を唱えるみたいなことをしていた。

恋の力は、凄い。


受験の日

受験の日を覚えている。同じ教室で受けた。一科目が終わるたびに、全員廊下に出される。その日は一回も好きな子に話しかけられなかった。全ての科目が終わった時、いけた気もしてたし、ヤバいかな?とも思った。分からなかった。ただ、勉強からは解放されてパーッと遊びたい気分になった。

合格発表前日

合格発表の前日は、クラス全員で打ち上げをした。公園で遊んでいたら、何故かヤンキーに追いかけられてみんな散り散りに帰ることになった。みんな怖い思いをしているのになぜか笑顔で、あれは青春の文字以外に当てはまらない瞬間だった。そして、家までの帰り道がたまたま同じ方向だった僕と好きな子を含めた5.6人だけで中学の校門前で写真を撮った。それが好きな子と撮った最後の写真で、その写真を撮ったあと「ばいばーい」と手を振って別れたそれが最後。それから今日まで一回も話すことはなかった。

合格発表の日

合格発表の日は、受かっている気もしたし、落ちている気もしていた。臆病な僕は、お昼過ぎに一人で合格発表を見に行くことにした。好きな子は、合格発表の掲示がされた瞬間にちゃんと行ったらしい。好きな子は、頭が良いから受かってるに決まっていた。もちろん僕の番号も知っている訳だから、その時点で僕が落ちていることは知っていたはずだ。それでも知らないふりをして、LINEを返してくれていた。「早く行きなよー」みたいなそんなLINEだった気がする。

3月14日、その日はカラッと晴れていた。桜がもう咲いちゃうんじゃないかって感じの空気感だったのを覚えている。自転車でゆっくりと、受験した高校へ向かった。合格したら告白するつもりの橋の上は、もちろん告白シーンを想像しながら通ったし、合格を報告した時の家族の喜ぶ顔とかも勝手に頭に浮かんできた。受験した高校に着く頃には、もう受かった気満々だった。


自転車を置いて中庭へ向かうと、遠目から見ていかにも合格発表がされている張り紙があった。僕は結構サッと見るタイプだったようで、上から見ていって、番号が無いことに気づいたのもすぐだった。「だよね。」と思った瞬間、
世界から色が無くなった。一応何回か見返したけど、僕の番号は無かった。

帰宅し、インターホーンを押して、玄関を開けたお母さんに「落ちたー」と明るく伝えた。その時、チラッと見えた悲しそうな左目は今でも覚えている。それから10日間、自室の勉強部屋にこもった。その時、人生で初めて悔しい気持ちになって、本気で泣いた。勉強をもっとすればよかったという後悔は無かったけど、もっと早くからやれば良かったという後悔が大きかった。

LINEはアカウントごと消した。好きな人のために、県内で1番頭の良い高校を受けたという理由は自分以外誰も知らなかったけど、なんかやっぱり笑われるような気がして嫌だった。壁に自分で書いた「合格するぞ!」みたいな文字とか、合格祈願のお守りとか全てが敵に見えて自分をどんどん小さくした。だからずーっと、どうやったら死ねるんだろうって調べては、体を傷つけた。

その間ずっと自暴自棄だったし、もういいやと、ある時、好きな子にSMS(電話番号のメッセージ)を送った。内容は細かく覚えてはいないが、「自分勝手でごめんだけど、これからの応援メッセージをくれないか」みたいな内容だったと思う。それで好きな子から届いた長文のメッセージを読んで、号泣した。

「頑張りは無駄じゃない、夢を叶えてまた会おうよ」

と、こんな内容だった。実は好きな子とは、当時同じ夢を持っていて、「もし落ちたら夢を叶えるまで、君とは会わない!」と受験前に一方的に僕が言っていた。

(今思い返せばどこまでも自分勝手なやつだ。)

その後

何日か経って併願先の高校から入学前課題が届いた。その併願先の高校は、本命の高校よりちょっと前に受けて合格していた。そこは、「☆☆高校も行けないね」と2年の時の担任の先生に言われた高校で、正直受かっても全く嬉しくなかった。もちろん本命の高校とは比べ物にならないくらいの場所で、スポーツしか勝たん。みたいな高校だった。あの時の印象は、昔ドラマでやってた「ごくせん」みたいな高校のイメージだったし、実際その併願校の受験の時は、窓枠に座って弁当を食べる奴が居たり、休み時間に廊下から「キャー」と叫び声が聞こえてくるようなとこだった。

だからその高校から届いた課題を見て、「終わりの始まりだ」と思った。本当に絶望していたし、死んだ方がマシだとずっと思っていた。でも久しぶりに頑張った机に座って、その課題を解いてみると簡単すぎて驚いた覚えがある。簡単すぎるから逆に終わりだって絶望したりもした。

そして、好きな子から貰ったメッセージを時々読み返しながら、少しずつ外に出るようになった。10日ぶりに部屋から出た時の感覚は今でも覚えている。眩しかった。床に反射する太陽の光がちょっとだけ希望をくれた気がする。

少しずつ、外に出て、ある時好きな子に告白しようと思っていた橋に行った。まだ葛藤の時間だった僕は、橋の上の柵を乗り越えて立った。でもその時一緒にいた友達が、全力で僕のことを引き戻してくれた。


併願高校先での生活

初めて教室に入った時のことを覚えている。終始、嫌な気持ちだった。僕の列の一番後ろは、ヤンキーみたいな顔の奴だった。体育館で並ばされる時も、さっそく野球部のクラスメイトが自分のことを「早く並べ」と怒り気味で言ってきたときに「あぁ終わってるわ」と思った。

でも、その落ちた高校に入って一番最初のテストでクラス一位を取って、普通コースの学年順位も一位だった。それから、いろんな人から「勉強教えて」と言われたり、親からもたくさん褒められた。落ちたはずなのになぜか褒められる状況に最初は戸惑った。

「学力の低い高校に入ったから」と言われればそうだが、中学二年生の頃「行けない」と言われていた高校で学年一位を取ったことは凄いことだと今では思える。それは間違いなく、県内で一番頭の良い高校に好きな人と行くという高い高い目標があったからだ。

それから僕は、担任の先生から委員長に推薦された。2年生の秋には徒会長に立候補し、生徒会長になった。3年生では特進クラスに移籍。部活では、関東大会へ出場したり、同好会を作ったりした。生徒会長に立候補するときは流石に少し戸惑ったが、好きだった子が中学生の時に生徒会役員をやっていたから俺もやろうと勝手に自分の背中を押した。

最後に。

僕は、ずっと好きな子に憧れていた。学年集会の時に、みんなの前で書記をしたりリーダーシップを発揮している彼女はカッコよかった。だから高校に入って、僕も誰かに憧れられるような人になろうと思えたし、優しい言葉をかけれるような人になろうと思えた。あの時の受験は、失敗ではあるけど僕の人生を振り返るとむしろ大成功だ。あの時の失敗のおかげで僕は変われた。あの時、あの人を好きになったから、大きな目標を立てることが出来た。あの時、本気になれたから今を生きている。あの時、生きるのを諦めなくてよかったと今では心の底から思える。

一度だけ、駅で好きな子を見かけたことがある。隣には、彼氏っぽい人が居た。ちょっと悲しくなったけど、きっと人生とか運命とかっていうのはそーゆものだと思えた。これも全部、恋した人に教えてもらったこと。

恋の力は凄い。生きるのは面白い。
いつか、夢が叶って再会出来たら「ありがとう」を伝えたい。


ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。まだ10年も経っていない話でした。中学生の頃からこんな恋をしていたおかげで、今では作詞とか小説を書いたり出来るようになっています。ちょっと脱線しますが、橋の上から飛び降りるのを阻止してくれた友達の家族の兄弟が数年後に突然亡くなってしまうことがあった。初めて併願先の高校の教室に入った時、一番後ろの席に座っていたヤンキーみたいな奴は今では親友。好きな人と同じだった夢は、今は目指していない。こんな感じで、人生って決まっていることは何一つない。だから、誰かに決められる必要もない。自分が生きたいように選択するべきだと思う。中学生の時、第一志望の高校に落ちたら死ななきゃいけない気がしていた。あの頃の自分に言いたい。もっと楽に生きていい。こーゆー人生の、だらしなさに気づいた時、ビックリするくらい生きやすくなる。

(終

写真提供→Kanzaki Zero

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