見出し画像

W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』

 今回はゼーバルトの『アウステルリッツ』を取り上げる。ナンバリングはしないがこの小説はまた取り上げるかもしれない。そのくらいユニークで面白い小説。この小説も前回紹介したジャネット・フレイムと同様、白水社という出版社の本。白水社さん、いい仕事してます。
 最初にことわっておくと、今回は長いです。最長です。7200文字くらいあります。が、とても読み切れん! という人は、小説を読むつもりで引用箇所だけでも読んでください。小説のある一部分を、繋がるようにごっそりもってきています。よろしく。

 ゼーバルトは現代ドイツの作家で、作品は少ない。日本ではゼーバルト・コレクションとして『アウステルリッツ』を含め七冊が紹介されているが、その中で小説(と言い切ってしまってよいのかわからないが)のみの本は『アウステルリッツ』と『移民たち-四つの長い物語』と『目眩まし』だけ。じゃあ他の本はなんなのかというと、作家の足跡を追ったルポタージュだったり、エッセイだったり、批評だったり、紀行文だったりというとっちらかった内容となっている。代表作であるこの『アウステルリッツ』にしても、一応小説という体裁はとっているが、箇所によって歴史書のようであったり、主人公の旅行記のようだったり、アウステルリッツという登場人物の回想録のようだったりする。
 このままだと前置きが延々と続きそうなので、まずこの小説の主たる語り部、アウステルリッツがリヴァプール・ストリート駅について語る部分を引用する。124ページの終わりから。

中央ホールが地下十五ないし二十フィートの深さにあるこの駅は、八〇年代末に改築のはじまる以前はロンドン屈指の薄暗い不気味な場所であり、そこかしこにしばし言及されたように、冥界の入り口めいた気配を漂わせていました。レールとレールの間の砂利、亀裂の入った枕木、煉瓦塀、石の台座、両脇の高い窓の飾り縁とガラス、木造の乗務員室、椰子の葉のような柱頭を戴く高い鋳鉄の柱、どれもこれもが、百年という歳月のうちにコークスの粉塵や煤や硫黄やディーゼル油の入りまじった層に覆われて、ねっとりと黒ずんでいました。ガラス製のホールの屋根からは晴天の日にすらうっすらとしか光が差さず、丸型の電球の明かりではとうていおぼつかない薄暗さで、くぐもった声がざわめき、低い足音が反響するとこしえの薄暗闇の中を、列車から吐き出された、あるいは列車に向かう無数の人々の波が集まり、散らばり、堰にぶつかった水のように障壁や隘路でせきとめられては、動いていくのです。

 この部分もそうだが、小説の多くの部分は、主人公の『私』が旅先で出会ったアウステルリッツ(『戦争と平和』でも描かれているアウステルリッツの戦いが行われた地名だが、自然と『アウシュヴィッツ』を連想する名前)という人物の語りを聞くという形式で書かれている。アウステルリッツはウェールズの建築史家なのだが、とても、というか異常に歴史に詳しく、歴史的な建物についての話を通じて、19世紀から20世紀にかけての歴史の闇を延々と、執拗に語り続ける。なぜそんなことをするかというと、それにはアウステルリッツ自身の過去がかかわっているのだが、それはともかく読者のわれわれは主人公の立場にたってアウステルリッツの話に耳を傾け続けるほかない。引用部分はなんか、被災地や戦争跡地を巡るダークツーリズムのガイドの話を聞いているようだ。この部分のページの上部には下のようなリヴァプール・ストリート駅の写真があって、よけいに旅している気になる。

画像1

 写真はここだけでなく、何カ所もある。人によってはこういうのは邪道だと思うかもしれない。小説の理想というか、良い小説を評してよく、小説が自立している、ということが言われる。小説内で提示された情報だけを用いて、小説自身の固有のリズムにしたがって展開していく、支えが必要なく小説がそれ自体で一つの世界をなしている、くらいの意味だと思うが、こういう写真は小説に外部をもちこむ行為だろう。作者が小説だけで世界を閉じさせまいとする意志を感じる。こんなことをすると下手したら小説の強度を弱める恐れがある。なんでそんなことをするのか?
 疑問を宙づりにしたまま次にいく。
 上の引用のあと、小説は次のように続く。

イーストエンド地区への帰路にリヴァプール・ストリート駅で降りるたびに、とアウステルリッツは語った。私は少なくとも一時間か二時間は駅に足を止めて、早朝すでに疲労を顔ににじませた乗客やホームレスたちとともにどこかのベンチに座るか、手すりにもたれてたたずんでいたものでした。

 ガイドがするような客観的な説明に続いて場所にまつわるアウステルリッツ個人の記憶が語られる。「アウステルリッツは語った」というのはこの小説の特徴の一つで、ひたすら続く語りが、アウステルリッツによるものであることを読者に強調するように度々はいってくる。これにもわけはわりそうだ。
 ちょっと脇に逸れるがこの小説の型について言及したい。
 当事者の立場にたつことができる、全然関係ない人の生を体験できることが、小説の素晴らしさとしてよく語られる。だが、この小説では戦争の記憶がアウステルリッツの口から語られるが、それはけっして戦争の被害者あるいは加害者の立場にたったものではない。アウステルリッツ自身が体験したことを語るわけではないのだから当然だ。上に書いたようにアウステルリッツには歴史を掘り下げる動機がある(それは読んでみてください)。あるにはあるが、それにしても、ものによっては自分が生まれる前の、何のかかわりもない出来事について彼は延々と語るわけだ。それを聞いている『私』はもう、本当に何の関係もない一旅行者としかいいようがない。この二重の迂回をした上で歴史の悲劇に向かい合う。この小説はそんな構成になっている。なんでそんなまどろっこしいことをするのか?
 これは二番目の疑問としてまた宙づりにしておく。
 個人の記憶の後は再び、視点はぐぐっとひき駅の歴史が語られるが、最後は自分の側にもどってくる。126ページ

げんざい駅舎中央ホールとグレート・イースタンホテルがあるところには、とアウステルリッツは話しつづけた。十七世紀までベルレヘム聖マリア修道会修道院が立っていました。十字軍の途上奇跡的にサラセン人の手から救い出されたサイモン・フィッツ=メアリなる人が、建立者ならびにその先祖や子々孫々、一族郎党の冥福を信徒に祈念してほしいと建立したものです。ビショップスゲイトの外郭にあったこの修道院には、ベトラム(気違いざた)の名で歴史に残る精神病や貧困者のための病院が付属していました。駅に来るたびになかば強迫観念のように思い描かないではいられなかったのは、とアウステルリッツは語った。後代にまたべつの壁が廻らされくり返し変化にさらされてきたこの空間の、どこに病院の収容者たちの部屋があったのだろうか、ということでした。数百年のうちにこの地に積もった苦悩や苦痛は、ほんとうに消え失せてしまったのだろうか、私が心なしか額に冷やりとした風を感じるように、もしや、私たちは今なおホールや階段の途上でそこを横切っているのではなかろうか、としきりに思われたのです。ベトラムから西側に延びる漂白場をありありと見たと思ったこともあります。眼に映じるのは、緑野に張り広げられた純白の亜麻の反物、織り屋や洗濯女たちの小さな姿でした。漂白場のその向こうには、ロンドン市内の教会墓地が満杯になって以来、死者が埋葬されるようになった地所が見えてきました。

 アウステルリッツの語りを聞いているうちに、リヴァプール・ストリート駅の景色が怪しげに歪んでくる。引用した箇所の次のページとその次のページには見開きで写真がある。右ページにこの地層から出土したという骸骨、左ページに駅の周辺の地図。これだけのお膳立てをしたあとに、アウステルリッツはある日曜日の朝の体験を語りだす。130ページ

すり切れた鉄道員の制服をはおり、頭の雪のように白いターバンを巻いて、ホームに散らばったごみを箒であちらで少し、こちらで少しと掃き集めていました。その、甲斐のなさの点でわれわれが死後うけるという永劫の罰を想起させる仕事につきながら、とアウステルリッツは語った。深い忘我にひたって同じ動きを何度もくり返すその男は、まともな塵取りのかわりに片側を破り取った段ボール箱を使っていて、それを足で蹴って少しずつずらしながら進み、そしてホームの先まで行くと、また引き返してもとの場所まで戻ってきました。構内のファサードの手前に、三階まで届く工事用の板塀が巡らされており、男は半時間まえに出てきたそこの背の低い扉の前まで来ると、ふいにかき消えたように(と見えました)、またそこへ姿を消したのです。いまだに自分でも説明がつきませんが、とアウステルリッツは語った。なにを思ったのか、そのとき私は男の後を追っていました。人生の決定的な一歩は、漠たる内面の衝撃から踏み出されることがほとんどなのです。ともかくその日曜の朝、ふと気づくと、私は高い板塀の内側に立っていて、〈女性待合室〉という、構内のはずれの、これまで存在すら気づかなかった待合室の入り口を前にしていました。ターバンの男は消え失せていました。組んである足場にも、人の動く気配はありません。自在ドアを押して入ろうかどうか躊躇しました、が、手が真鍮の握りふれるか触れないうちに私はもう中に入っていて、すきま風の防止に垂らしてあったフェルトの幕を通り抜け、長らく使われていないとおぼしいホールの中にたたずんでいたのです。まるで舞台に上がって、とアウステルリッツは語った。一歩踏み出したとたんに暗誦していたせりふをごっそり、これまで幾度となく演じてきた役柄もろとも永久に忘れてしまった俳優になったようでした。何分か、何時間かたったのでしょうか、そのあいだ身じろぎもならずに、途方もなく天井の高そうなその待合室の中につっ立って、円天井の下の窓列から射しこんでくる凍てた灰色の月光のような光が、網か、ほつれかけた薄布のように頭上に垂れこめているさまをふり仰いでいました。その光は、埃の粒が一種きらきらと光っていると言えばよいのか、高い所ではたいそう明るいのに、下へ降りてくるうちにホールの壁と下方の空間に吸収されてしまうかのようでした。そして、むしろ暗がりをいっそう濃くするごとく、くろぐろとした筋となって、橅のつややかな幹やコンクリートのファサードをつたう雨水さながらに滑り落ちていくように見えました。ときたま外の街に垂れこめた雲が開いて、陽光が待合室に射しこむこともありましたが、それも半ばあたりで消えていきます。いく筋かの光が一風変わって物理学の法則に逆らった筋を描き、直線から逸れた螺旋や渦となって、やがて揺らめく闇にのみこまれていきました。そのとき、ほんの一刹那、私の瞼に、巨大な空間がぽっかりと口を開けるのが映りました。私ははてしなく続く柱廊を、円蓋を、何層もの建物を支えている石のアーチを、どこまでも高く視線をみちびいていく石段や、木の階段や、梯子を、深い奈落に架けわたされた渡り板を、その上にひしめいている豆粒のようなおおぜいの人影を見ました。収容されている人たちだ、この牢獄から逃れる出口を探しているのだ、と思いました、とアウステルリッツは語った。

 めっちゃ長くなった。その上段落分けがない。が、今回はここを引用したかった。いいところ。ターバンの男を追って使われなくなった、この後間もなく取り壊される駅の〈女性待合室〉に入っていき、そこに佇むというだけの話。だけど、あれだけ駅の様子が説明され、歴史が語られたあとでは「ひしめいている豆粒のようなおおぜいの人影を見ました。」と書かれて、違和感はない。この体験がきっかけとなって、アウステルリッツの深淵に眠っていた記憶が蘇ってくるという風に小説は進んでいく。132ページからちょっとだけ。

それはたとえば一九六八年十一月下旬の午後、パリ時代知り合った女性マリー・ド・ヴェルヌイユと――このひとについてはまたおいおいお話しします――広い草原にぽつねんとそびえるノー・フォーク、サーレの壮麗な教会の身廊に、肩を並べて立ちながら、彼女に言うべきであった言葉をどうしても口にのせえなかった、その映像だったりするのでした。

 何カ所も引用した上に最後から二番目は長い引用だったが、土地や建物にねむる記憶がきっかけとなって個人の記憶が呼び覚まされる、というこの小説のひとつの形が上の引用箇所からわかってもらえたと思う。

 宙づりにした疑問を考えてみる。
1.なんで小説の自立性を危うくしかねない写真を小説に持ち込んだのか?
2.アウステルリッツに、経験したこともない出来事を語らせるなんて、なんでそんなまどろっこしいことをするのか? 
 この二つの問いは関係していると思う。
 この疑問に答えるため、もう一つ引用しておく。247ページ

こうした感情が沸き起こるのは、きまって、現在というよりは過去に属している場所にたたずんだときでした。たとえば街を彷徨っているうち、何十年と少しの変化もないひっそりした裏庭などをのぞきこむと、忘れ去られた事物のもつ重力場の中で時間がとてつもなく緩やかに流れていることが、ほとんど肌身で感じられるのです。すると、私たちの生のあらゆる瞬間がただひとつの空間に凝縮しているかのような感覚をおぼえる。まるで、未来の出来事もすでにそこに存在していて、私たちが到着するのを待っているかのようなのです、ちょうど私たちが、受けとった招待に従って定まった日時に定まった家を訪れるのとおなじように。それに、とアウステルリッツは続けた。私たちは過去に、つまりすでに過ぎ去りあらかた消え去ったものに対して、約束をしているのだとは、そして自分たちと何らかの繋がりをもつそれらの場所や人々をいわば時を超えて訪れなければならないのだとは、考えられないでしょうか?

 ここに戦争に関係した建物に佇むと、自分の生のあらゆる瞬間が蘇ってくるという、この小説で語られるアウステルリッツの感覚が要約して書かれている。アウステルリッツという人は自分の生を追い求めるように古い記憶が眠る場所を執拗に追い求める。変な人? 確かに。だが、アウステルリッツがただ変というだけでなく、作者はアウステルリッツの姿を通じて、最後の一文で主人公に呼び掛ける。ここで作者は本のこちらがわ、僕らの側にも呼び掛けているようだ。「自分たちと何らかの繋がりをもつそれらの場所や人々をいわば時を超えて訪れなければならないのだとは、考えられないでしょうか?」それが使命でしょう? あなたがたはしないのですか? と厳しめに問いかけられているような気がする。どうやって? やり方は示されている。アウステルリッツのように、だ。
 上にも書いたが、この小説では主人公の立場におかれる読者は一貫してお客様だ。お気楽な観光客としてアウステルリッツというダークツーリズムのガイドの、土地や建物の過去と自分の過去を織り交ぜた話を延々と聞く。土地や建物の歴史を紹介しているかと思えば、その建物におけるアウステルリッツの思い出に話がうつり、土地や建物にまつわる悲惨な過去が語られ、さらにそこにいることで呼び覚まされたというアウステルリッツの(その土地や建物に関係ない)『失われた時』が語られる。そのとき読者はどうしているだろうか? ただ、なげぇーな、いつまで続くんだよこの話、とか思いながら耳を傾けているのだろうか? そういう人もいるかもしれない。だけど僕は違った。ときどき本を読みながらそういう状態になるのだが、本とは全然関係ないこと、高校とか大学とか、その後のことを思いだしていた。
 こういうことなんじゃないだろうか? アウステルリッツは被災地や戦争の記憶が色濃く残る土地や建物を訪れることで『失われた時』をよみがえる、つまり個人的な記憶と被災地や戦争の記憶が深淵で結び付いているわけだが、この本を読む読者はこの本を読むという行為によって、それをなすのじゃないだろうか? この本に書かれている被災地や戦争跡地、その古い記憶と自分の個人的な記憶が、本を読むことでバームクーヘンのように折り重なっていき、気が付けば、自分の内側に自分と全然関係ない人やものが住みついている。このようなやり方によって、人はやっと戦争や被災と向き合える。そのことをこの本は示しているのではないか? この本を読むという体験は(あるいは小説を読むということの一つの意味は)、そういう試みなんじゃないか? いや、それがこの本でどれほど達成されたかはわからない。だが、そういう意図をもってゼーバルトは書いたんじゃないか?
 そう考えるとまどろっこしく思えたこの小説の形式は、僕ら観光客にアウステルリッツというお手本(ガイド)を示すために必要だったと思えるし、写真についてもそれがあることで小説に外部があることを意識させ、読者に自分が現実の観光客だと自覚してもらうため、さらにできるだけ要素を増やすことで、観光客の想像力を一層かきたてるために必要だったという風に考えられる(そのことでこの本の小説としての強度が弱まることについては、ゼーバルトはどーでもよかったんじゃないか。そもそも小説にそこまでこだわりがなかったらしいし)。

 この話はさらに東浩紀の『観光客の哲学』に繋げられると思うし、面白い話になりそうだが、それはしない。というか、ここまででも既にめちゃめちゃ長い。ここまで読んでくれた人などいるのだろうか? いたら本当にありがとうございます。次回こそ『失われた時を求めて』にもどる、はず。

 ではまた!

この記事が参加している募集

よかったらサポートお願いしやす!