見出し画像

夫婦同氏はキリスト教の影響?

 日本の夫婦同氏制は、キリスト教の影響だという話があります。

 例えば、内閣府による「共同参画」2013年 6月号の「男女共同参画は、日本の希望(2)大きな時代変化の中で」の中で、中央大学の教授の山田 昌弘氏は、日本の同氏制度についてこのように述べています。

明治31年(1898年)、民法制定の時、欧米のキリスト教国の風習に合わせ夫婦同姓を採用し、現在に至っています(註1)。
註1:世界的に見ると、欧米やフィリピンなどキリスト教の影響の強い国では夫婦同姓が多く、中国などキリスト教の影響が少ない国では夫婦別姓が多い。

(下のリンクより引用)

 しかし、詳しく調べてみると、キリスト教国なら同姓とは言いきれないということが明らかになりました。

 そもそも、キリスト教が誕生した頃、彼が暮らしていた辺りには姓そのものがなかったのではないでしょうか?キリストが暮らしていた地域は、古代ローマ帝国の支配領域でしたが、当時ローマ帝国ではローマ市民でなければ、男性も現在の姓にあたる家名や氏族名を持てなかったはずです。念のため、イエス・キリストの「キリスト」は姓ではありません。ユダヤ人であるキリスト達は、制度的に姓を名乗っていなかったのだと思います。旧約聖書や新約聖書を読んでも分かるように、実際にも家名や氏族名を持っていなかった印象を受けます。
*ローマ人は除きます

 また、現在キリスト教圏の国々が姓を持つようになったのは、ほとんどの場合キリスト教受容よりもだいぶ後ですし、むしろキリスト教の影響で姓を持たなくなった地域もあります。

 ヨーロッパを見ていきましょう。

 先述のように、ローマ帝国にはキリスト教受容以前の「異教」時代から姓や家名が存在しました。

*古代ローマ人(ローマ市民)の名前の仕組みは、
男性:個人名・氏族名(男性形)・家名
女性:氏族名(女性形)のみ

奴隷:個人名のみ
でした。

現代の姓にあたるのは、氏族名や家名でしょう。子どもは父の氏族名を名乗り、女性は結婚してもこれまでのように父方の氏族名を名乗り続けました。今で言う夫婦別姓に近い仕組みです。2~3世紀には、父方だけでなく母方の氏族名、時には家名を両方重ねる表記法も登場しました。

 しかし、3世紀ごろにキリスト教が普及したことで、4~6世紀にかけて逆に連名表記文化は廃れ、人名は個人名のみになったといいます。

 そのほかの地域では、キリスト教受容後だいぶ時間が経ってから姓の文化が生まれます。

 ドイツ人の祖先であるゲルマン人について見てみましょう。ゲルマン人のキリスト教受容は、8世紀のフランク王国のカール大帝の時代よりもかなり前ですが、ドイツ人含め、ヨーロッパの多くの国で姓が普及するようになったのは16世紀以降です。

 また、東スラヴ系のルーシがキリスト教を受け入れたのは 10世紀のキエフ・ルーシのヴラジーミル大公の時代ですが、東スラヴ系の中でも影響力が強かったロシア人が姓を持ち始めたのは、17世紀です。ヴラジーミル大公の頃の王朝名は日本語で「リューリク朝」と言いますが、これは代々受け継がれる姓や家名ではなく、初代の人物の名前を冠しているのです。

 一方で、古代ローマの影響下にあった国々では、現在の姓にあたるものが復活する動きもありました。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)では10世紀に、イタリアでは主に特権階級中心に11世紀ごろに姓が使われるようになります。ビザンツ帝国では、古代ローマ帝国に影響を受け、女性は結婚しても姓を変えることがありませんでした。つまり夫婦別姓です。なお、キエフ・ルーシがキリスト教の一派である正教を受け入れたのはビザンツ帝国の影響を受けたからです。それ以降も両者の間で交流がありましたが、先述のようにビザンツ帝国に姓が見られるようになったのが10世紀に対し、ロシアに姓が登場したのは17世紀ですし、ビザンツとは異なり夫婦同姓だったので、名前の文化まで影響を受けたとは考えにくいです。なお、古代ローマの伝統を受け継いだ結果、現在も*子が複合姓でなおかつ夫婦別姓(*ただし、複合姓の場合も)の制度をとっている国は、カトリックのスペイン語圏、ポルトガル語圏に集中しています。同じ「別姓」文化圏でも、宗派が同じとは限らないのです。

*11月25日加筆

 また、日本では同氏制度が習慣化する前も、夫婦で同じ苗字を名乗る習慣があったようです。(下のリンクに詳しい)

 これらの事情を踏まえると、キリスト教と同氏制度は本来関係がないのではないでしょうか?

参考文献

井上浩一「ビザンツはローマより出でて……」(岩波書店辞典編集部編「世界の名前」岩波書店,2016,p.95-96)

辻原康夫「人名の世界史」平凡社,2005

毛利晶「決闘で首飾りを奪うと」(岩波書店辞典編集部編「世界の名前」岩波書店,2016,p.15-17)

森安達也「人名」(川端香男里・他編「ロシア・ソ連を知る事典」平凡社、1989年、 p.286〜287)

関連記事