夫婦別姓と共産主義あるいは社会主義は関係あるのか?

*最初に:共産主義と社会主義の使い分けについてはこちらを。この記事では、参考文献がある場合はそちらの記述に沿った表現をしています。

 選択的夫婦別姓の議論になると、夫婦別姓を共産主義(社会主義のことも)と関連づける意見が出てきます。

 井田氏のように関係を否定する人は少なくありませんが、歴史的な経緯を見ると、主に夫婦同姓文化圏において、夫婦別姓を認めようという動きと共産主義や社会主義は関係があると判断せざるを得ません。

 上の「取り残される日本」の図にはほとんど書かれていませんが、伝統的に夫婦同姓だった地域で20世紀に共産主義/社会主義政権によって支配されていた国は、特に早い段階で夫婦別姓が可能になっていたようです。

 「取り残される日本」の図の中で一番古い1975年よりも約50年前、ロシア革命後の1926年に採択されたソ連のロシア共和国の家族法典では別姓が可能になっています。当時は、共産主義の考え方に基づき、「自由」で多様な家族の在り方が模索されていました。一方で、これまでの家族の在り方が「ブルジョワ的」と批判され、井田氏は否定的なようですが、「家族消滅論」と呼ばれる考え方が有力で、事実婚が奨励される風潮もありました。また、ソ連では、共産主義的な考え方から「女性の解放」や「男女平等」が叫ばれていました。ソ連における夫婦別姓は、そのような時代背景の中で認められたのです。

 その後、ソ連に続いて共産主義国になった国のうち、元々夫婦同姓の文化を持っていた国々は、夫婦別姓を可能にするような法律を導入したようです。

 ハンガリーで下の記事が言う「別姓」が可能になったのも、共産主義国化して間もない1953年です。↓下のリンク参照

  1970年に書かれ、90年に成城大学法学部の「成城法学 37号」の中で公開された滝沢聿代氏の論文「<論説>フランスの判例からみた夫婦の氏 : 夫婦別氏制への展望」を読むと、

婦人の解放を目ざし、完全な男女同権の実現を図る社会主義国が、氏においても夫婦の自由と平等に最も合致する立法的解決を試みているのは当然であり(131ページより引用)
社会主義国には同様の立法が多いとみられる(139ページより引用)

と東西冷戦当時、多くの社会主義国が「女性の解放」や「男女同権」という観点から夫婦別姓を可能にしていたであろうことを伝える記述があり、その例としてソ連の他に、東ドイツ、中国、チェコスロバキアが紹介されています。↓

 1970年というと、上の「取り残される日本」の図で一番古い年よりもまだ5年も前です。

 なお、1975年には、社会党の佐々木静子議員が以下のように発言しています。

第76回国会参議院法務委員会第3号 昭和50年11月18日

結婚しても名字はそのままで婚姻届が、本人の希望によっては受理できる方法ということも、これはソビエトとか東ドイツなどではもうそのようになっておるわけでございますし、また、中国とか朝鮮のように東洋の国はもともと夫婦は別姓でございますね。

(下のリンクより引用)

 なお、社会党は、戦前の合法的社会主義者たちが戦後に集まってできた政党です。その中でもマルクス主義的な価値観を持つ人から反共産主義的な価値観を持つ人まで、様々な考えを持つ人で構成されていたようです。↓下の記事参考

 社会党はその後名前を変えて「社会民主党」、つまり社民党となります。現在党首の福島瑞穂氏は、「福島瑞穂の夫婦別姓セミナー―これからの「家族のカタチ」を考える」や、「楽しくやろう夫婦別姓―これからの結婚必携」(榊原富士子氏などとの共著)など、夫婦別姓を推進する著書を複数書いています。

 「取り残される日本」の図で一番古い年である1975年においては、主要国でも別姓選択できる国は珍しく、伝統的に夫婦別姓だった中国や朝鮮を除くと、共産圏中心に別姓が可能になっていることがうかがえます。共産主義国化した後に別姓を可能にしたハンガリーやチェコスロバキアの例とも辻褄が合います。そうした社会主義圏の国では夫婦別姓ができると、東西冷戦の真っただ中に社会主義系政党である社会党の議員が評価していたわけです。

 そして、少し時代が後になりますが、ギリシャでも社会主義政権下の83年に一律夫婦別姓になりました。↓下の記事参照

 80年代になると、「取り残される日本」の図にすでに数か国が登場します。それでも、国全土で別姓が選択できる国はまだ少数です。

 しかし、ソ連や東ドイツのように共産主義国でなくても早いうちから夫婦別姓だった国も存在します。フランスでは、フランス革命(念のためですが、共産主義革命ではありません)後の1794年に氏名不変になりました。↓下のリンク参照

女性は結婚しても氏名が変わることはありません。しかし、これはあくまでも法的なケースにおける話です。日常生活においては、女性は夫の姓を名乗りました。思い返してみれば、フランスの偉大なる文豪ヴィクトル・ユゴーによる有名な小説で、日本ではミュージカルや映画の題材にもなった「レ・ミゼラブル(ああ、無情)」の中で少女コゼットをいじめる宿屋の夫婦は、「テナルディエ夫妻」であり、夫「テナルディエ」に対して妻は「テナルディエ夫人」と夫婦同姓であるかのように紹介されています。↓(2019年のミュージカル「レ・ミゼラブル」の配役ですが、参考までに)

公的には夫婦別姓、日常生活では夫婦同姓だったようです。

 こうした背景の中、19世紀にジャンヌ・ドロワンという女性が夫の姓を名乗ることを拒みます。この時代、フランス人女性の法的な姓は生まれた時の姓のままであるはずです。それにもかかわらず、わざわざ夫の姓を名乗ることを拒んだ女性が話題になるということは、実際には夫の姓を名乗ることが当然のことであると考えられていたということでしょう。そして、ジャンヌ・ドロワンはサン=シモン派の社会主義者でもありました。↓

 フランスでかなり早い時期から法的な意味だけではなく実質的な意味においても夫婦別姓を求めていた女性は、社会主義者だったということです。

*フランスの夫婦の姓についてはこちらもご覧ください。

 社会主義国で早期から夫婦別姓が可能だった一方、伝統的に夫婦別姓だった中国はどうでしょうか?法務省によると、現在の中国では原則夫婦別姓であるようです。↓

 一方で、漢族の文化には、女性が結婚後に自己の姓に夫の姓を重ねる文化もありました。香港の林鄭月娥氏も、「林」と「鄭」という姓を重ねた冠姓です。実は、中国共産党が政権を握るまでは、中国国民党によって女性が冠姓を名乗ることが定められていたようです。しかし、共産党政権下の1950年になってこの法律は廃止され、原則夫婦別姓になります。↓

 女性が冠姓を名乗る制度は、国民党が逃げた台湾にも引き継がれます。(ただし、後に改正されます)↓

 現在では例外的ではありますが、中国では別姓以外に同姓や複合姓を選択できるようです。いずれにせよ、別姓文化圏の中国でも共産党政権下で別姓を認める(ここでは原則別姓にすること)など、夫婦の姓に関わる制度を変える動きがあったことが分かります。

*中国の夫婦の姓については、こちらもご覧ください。

 なお、日本で戦前に夫婦別姓を訴えていた人物についても調べてみました。

 大逆事件で知られる社会主義者の大杉栄は、堀保子と夫婦別姓でした。↓

 平塚らいてうも事実婚による夫婦別姓だったようです。↓

 彼女は、1962年に新日本婦人の会の設立に携わっています。↓

 新日本婦人の会については、平成26年5月23日の衆議院内閣委員会で、当時日本維新の会(現在は自民党)に所属していた杉田水脈議員が以下のように訂正しています。

第186回国会 衆議院 内閣委員会 第19号 平成26年5月23日

○杉田委員 日本維新の会の杉田水脈です。
 まずは冒頭、先日の委員会の中での私の発言で、新日本婦人の会は共産党の女性組織であると発言したことに対しまして、共産党の女性組織ではなく、共産党を支援する女性組織であると訂正をさせていただきます。

(下のリンクより引用)

 共産党の組織ではありませんが、共産党を応援する団体だということだそうです。前掲の赤旗の記事によると、共産党の志位氏も創立50周年記念のレセプションに参加しています。

 日本共産党は、遅くても1987年から選択的夫婦別姓を訴えてきたようです。

共産党は、現在も選択的夫婦別姓を訴えています。志位氏は、2018年3月8日に国会で開かれた「いつまで待たせる民法改正! 選択的夫婦別姓を求める院内集会」の挨拶で、世界で唯一夫婦同氏制度であることを根拠に、日本を「世界で唯一例外的な“野蛮な国”になっている」(下のリンクより引用)と表現しています。

 主に夫婦同姓文化圏の中でも特に早い段階で夫婦別姓を可能にしていた国の中には、共産主義国や社会主義国が多いことが分かります。また、非社会主義圏の主要国でも、早くから夫婦別姓を訴えていた人達の中には、共産主義あるいは社会主義の影響を受けている人が少なくないということも分かります。

 男女平等や女性の解放という名目で夫婦の姓を選べるからといって、社会/共産主義の下では全て自由かというと、そんなことはありません。中国では、特定の民族の女性に対して「解放」という名目で強制避妊が行われています。↓下の記事参照

また、中国やソ連などの旧社会主義国のようなマルクス主義系、マルクス=レーニン主義系の国ではプロレタリアートによる独裁が前提となり、条件付きの自由しか認められていません。夫婦の姓の選択肢の幅が広く、夫婦同姓が「強制」されなくても、特定の思想が強制される国なのです。↓下の記事も参考に

初期のソ連で「自由恋愛」が提唱されつつ、従来の結婚のあり方が批判されたこともあったのは、このような背景も関係あるでしょう。残念ながら、現代日本で選択的夫婦別姓を求める非共産/社会主義者の中にまで同じような考え方が広がってしまっているようです。実際に、「夫婦同姓は遅れている、別姓こそが進んでいる」「強制的夫婦同姓しかできない日本は遅れている」といった主張は、選択的夫婦別姓推進派の中からしばしば聞こえてきます。

 選択的夫婦別姓導入の是非については、選択的夫婦別姓を推進する人や政党、その発言内容やイデオロギーについても踏まえた上で議論されるべきでしょう。

参考文献

塩川伸明「補章2 ソ連史におけるジェンダーと家族」(田中陽兒 他 編「世界歴史大系 ロシア史3」山川出版社、1997年、pp.481-491)pp.481-482

滝沢聿代「<論説>フランスの判例からみた夫婦の氏 : 夫婦別氏制への展望」(成城大学法学部「成城法学 37号」1990年、pp.43-146)pp.130-131,138-139

長谷川まゆ帆「第八章 女・男・子どもの関係史」(谷川稔/渡辺和行編著「近代フランスの歴史 ー国民国家形成の彼方にー」ミネルヴァ書房、2006年,pp.237-269)pp.264-265

袴田茂樹「性文化」(川端香男里・他編『ロシア・ソ連を知る事典』平凡社、1989年) p.312

森下敏夫「家族」(川端香男里 他「ロシア・ソ連を知る事典」平凡社、1989、p.111〜112)p.111