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北条政子の名前について

 大河ドラマの中で、北条政子が自身を「政子」と名乗るシーンがありました。しかし、彼女が「政子」と名乗るようになったのは、晩年です。それまでなんと呼ばれていたかは、実ははっきりしていないのです。↓下の記事参照

 なお、彼女が「北条」という苗字を名乗っていたかどうかも不明です。当時、姓と苗字は別の物でした。姓が父方の血統を表し一生変わらないのに対し、苗字は家を表す名前で、夫婦やその子と共有することもできました。当時の人は、公式の場では苗字でなく姓(源、平、藤原、橘など)を名乗ったのですが、北条政子については「平政子」と署名していたことが分かっています。

 実は、今年の共通テストの日本史Bでも北条政子の正式な名前が「平政子」とされていることが言及されていました。

「北条政子」という呼び方も、昭和以降に広まったようです。

 したがって、「北条政子」という名前を引き合いに出し、日本が夫婦別姓だったという根拠にするのは間違いです。

*日本の夫婦同苗字の起源についてはこちらをご覧ください。

 昔の女性は名前が残っていないことも多いので、劇中でも歴史用語で呼ばざるを得ないのはやむを得ませんが、当時の実態については知られるべきでしょう。

参考文献

後藤みち子「戦後を生きた公家の妻たち」吉川弘文館、2009年

大藤修「日本人の姓・苗字・名前:人名に刻まれた歴史」吉川弘文館、2012年