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綿帽子 第四十五話

連絡を待っている。

これまでも何度か価格を相談しては更新をしてきたが、一向に買い手はつかない。

不動産屋曰く何の問い合わせもないらしい。

提示された金額より200万程高い段階で、自宅から徒歩で約2分の距離にある売り家が400万程値を下げた。

そしてそれから二週間も経たないうちに、家財道具を運び入れている場面に遭遇する。

あまりの急展開に驚きを隠せない。

不思議なのは、問い合わせをしてもこの家の情報について不動産屋が全く知らなかったことだ。

依頼した不動産屋はこの家がどこの不動産屋で取り扱われているかを知っていると思うし、直接繋がりのあるこの地域の不動産屋にも情報として流れていると思う。

これを疑問に思った俺は、色々と調べてみることにした。

不動産屋のあまりの反応の薄さに不信感が拭えなかったのだ。

こちらが金銭的に困っているのを見透かして、自分の手の内に入るのを待っているような気がした。

まだネットで調べるのは長時間は難しく、モニターを見ているだけで全身が硬直したり、痙攣しそうになる。

それでもやらなければ明日はない。

思いつく全てのワードを打ち込んで行く。

ちょっと後ろめたい気もしたが、不動産屋がそんな情緒を持ち合わせているような気もしない。
ここは、しっかりと調べ上げた方が良い。

中々見つからない。

当たり前か、そう簡単に見つかるものか。
と思った瞬間、ある記事が目の前に飛び込んできた。

不動産業界でよく使われる方法で、持ち主の家の近くに価格帯にそんなに開きがない物件があった場合、わざと見劣りがする物件の見学に連れ出す。

そしてその際に「もう少ししたらあそこにある物件の価格が下がると思いますよ」と顧客には伝えておく。

当然目の前にある物件との比較が脳裏に刻まれる。

不動産屋は顧客をキープしたまま、持ち主が待ちきれずに提示した金額まで下げるのを待つ。

そして、持ち主が金額に合意したら、更に時間を置いて寝かしてから報告する。

その間顧客とはまめに連絡を取っておく。

ため息が出た。

仲介している業者にしてみれば売れれば良いのだから、こちらの事情などどうでも良いのだ。

これが社会で、これが世の中かと嘆いても仕方がない。
ひとまず金額を下げる相談を持ちかけてみることにした。

家を売りに出してから、我が家を眺めながら何度も通りを行き来している人達を目撃している。

いったいどういう反応を見せるだろうか。

電話をすると「早急に伺います」と返事が返ってきた。
多分この時点で予測は当たっていたのだろう。

あまり人を疑うことはしたくない。
しかし、自分のこの甘さが今までの自分を苦しめてきたのだ。

はっきりとは分からないが

「今の自分は人生に試されているのだ」

と、そんな気がしてならない。

二日後。

不動産屋がやってきた。
最初に提示された金額に合意すると伝えると、不動産屋は満面の笑みを浮かべた。

そして、今後どうするのか?何か売り込むのに良いアイデアはありますか?と尋ねてみた。

すると、ポスティングをしますと返事が返ってきた。

「ポスティング?」

「はい」

ポスティングは任せた当初から頼んでいた。
するならこの辺はどうかと希望も出していた。

一体その日から何ヶ月経っただろうか。

あからさまに、やっと捻り出した特別なアイデアのような振る舞いをされても、反応することさえできやしない。

答えは分かっていた。

本当に何もこちらが頼んだことはやっていなかった。

恐らく、もう少し時間を引き伸ばすために出た口実なのだろう。

こちらが電話しない限りポスティングの結果さえ報告してこないだろう、実行もしないだろう。

人生において弱者になるということは、本当に追い込まれてしまうということなのだ。

不動産屋は次回の打ち合わせの約束だけを取り付けると、あたふたと帰っていった。

これから本当に行動に移るのか?

はたまたネットで見つけた通りに、少し寝かしてから

「見学したい人が出てきました」

と連絡をしてくるのだろうか?

もう考える気力さえなくなっていた。

ある日の午後、見慣れた屋根の上にカラスがフンを落とした。

赤い屋根の真ん中に、白く点のような物がついて少しだけ流れ落ちている。

最近カラス達がなんだか風見鶏のように見えてきた。
鳥のフンが体につくと運がつくって、耳にするけど本当なのだろうか?

「どちらにしろ体ではなく家の屋根だから関係ないか」

と、思いながらジリジリと長く伸びてゆく白線を眺めていた。

それから更に二週間ほど過ぎたある日、突然不動産屋から連絡が入った。

「家を見学したい人がいます。お連れしたいのですが、ご都合のよろしい日はいつでしょうか」

「見学希望の方は一組ですか?」

「はい、今のところそうですね。他に二組ほど気になっている方もいらっしゃるようですが、見学までのお話には至っておりません」

「ポスティングの結果は如何でしたか?」

「今のところ反応はないです」

「分かりました、お待ちしています。いつでも宜しいですよ」

「またご連絡させていただきます」

と言うと不動産屋は電話を切った。

これは一体何だろう?
カラスが良いことがあるよと教えてくれたのだろうか。

それとも予測通り元々キープしてあった顧客を前面に押し出したのだろうか?

そういやカラスって神様の使いでもあったりする。

それを考えると、屋根の上に止まっているのはまんざら悪いことではないのかも?

「これは神様のお告げが来たのか」

と、妄想が膨らんだりもする。

ただし、見学者がこの家を気に入ってくれて、買う気になってくれたとしても、それはタイミングがそうなっただけで、カラスは環境の変化を敏感に感じ取る能力に長けているだけなのかもしれない。

持ち主変われば雰囲気も変わる。

庭に植えてある庭木達も漂う空気感を微妙に感じ取るだろうし、それは人も建物も植物もカラスにとっては変わらないのかもしれない。

カラスのそういう人間には解明不能な特殊な部分が、神の使いと例えられる出発点となったのかもしれない。

しかし「結局は起こってしまった出来事を、自分が気持ちよく感じるように繋ぎ合わせてストーリーを作ってるだけなんだろうな」と俺の脳みその半分は言っている。

そんなことを考えながら、お袋に見学者が来ることを伝えた。

金額を下げる時に相当お袋は躊躇していた。
その反面、目の前の現金欲しさに不動産屋に買い取ってもらおうと言い出したこともある。

お袋は両極端な性格なのだ。

自分のキャパシティを超える出来事が起きると全てを投げ出したくなるタイプで、その我慢が続かなくなると

「どうでもいい」

と必ず口にするのだ。

案の定不服そうな顔を見せたが、売れなければ明日はない。
渋々承諾をした。

「どうでもいい」

この言葉を子供の頃から何度聞かされたか分からない。

お袋だけの口癖なのかと思っていたが、後々になってからお袋の兄弟姉妹全員が口にすることに気が付いた。

この言葉。

子供の頃の俺に対しては相当な影響力を持っていたのだが、それが当たり前じゃない世界を知った時から、俺の人生は大きく方向転換を始める。

そしてお袋の兄弟姉妹や、親戚全般と全く性格も生き方も合わない理由が理解できるようになった。

「どうでもいい」

これって、結局逃げの言葉なのだ。

「どうなったっていいよそんなもん」

と言うなら、そこまでマイナスなイメージは付かずにポジティブに捉えられる部分もあるとは思うのだが

「どうでもいい」

この言葉は、放り出して逃げたはいいけど後悔ばかりが付いて回るイメージがする。

それを大事な場面で連発されると

「そんなことを言われるために今まで頑張ってきたわけではない」

と思えて仕方がないのだ。

お袋と俺が分かり合えない大きな要因は、ここにある気がしてならない。

こういう時俺は、必ず思い出すことがある。

子供の頃、まだ俺が幼稚園にも通っていないような頃。

お袋に手を引かれて、近くの田んぼの畦道を歩いた。

お袋は花が好きで、まだ物心付かない俺に「この花の名前はこうだ、
この花の名前はこうなんだよ」とニコニコとしながら教えてくれた。

太陽が明るく心地よい日差しが刺していた。

俺はそんなにいっぺんに教えてくれても頭に入らないよと思ったけれど、お袋の喜ぶ顔が見たくて一緒に花の名前を呼んだ。

何度も何度も花の名前を一緒に呼んで、結局覚えられたのは一つか二つだったけれど、お袋は嬉しそうな顔をしながら俺の顔を覗き込んでいた。

それからお袋はまた、俺の手を引いて歩き出した。

お袋の歩くペースが早くて追い付かないよと思いながら、とても楽しかったのを覚えている。

この記憶はなぜ消えることなくいつまでも残っているのだろう。


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