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綿帽子 第四十四話

過ぎゆく季節は早くも五月。
鯉のぼりの日はすでに終わった。

子供の頃の俺は鯉のぼりを見るのが好きだった。

その頃は今とは違ってもう少し小さな家に住んでいたが、庭に丸太を埋めて柱を立ててもらい、五月五日になると大きな鯉のぼりを上げてもらった記憶が残っている。

空にたなびく鯉のぼりは子供心を鷲掴みにした。
初めて見た時の感動は例えようがない。
ただ、それも記憶にあるのは人生のうちで2回だけ。

2回目に鯉のぼりを上げてもらった時には強風が吹き、その勢いで丸太が折れてしまった。

子供の俺はそう記憶している。

それ以来我が家で鯉のぼりが上がったことはない。

翌年も親父に鯉のぼりを上げてくれとせがんだが「うるさい」の一言で終わった気がする。

親父はとても良い人だったが、同時に恐怖の存在でもあった。
常に親父の機嫌を伺いながら毎日を過ごしていた。

それもあってか、特に鯉のぼりは印象に残っていたのかもしれない。

ところが、近年になって分かったことがある。

家の庭に丸太を埋めてくれたのは親父で、初めて鯉のぼりを上げてくれたのも親父だ。

そう記憶していたのだが、お袋の何気ない一言によって俺の中の親父像が怪しくなってきた。

「鯉のぼり?」

「そうだよ、親父が上げてくれてたろ?」

「え?違うよ。あれは〇〇さんだよ」

「え?、だって親父が丸太も埋めてから上げてくれたじゃないか」

「馬鹿、あれは〇〇叔父さんが来て埋めてくれて、鯉のぼりも上げてくれたの」

「え?そんなはずはない。親父じゃないか」

「違う、あの頃は〇〇さんもお前を可愛がってくれて、家に来て鯉のぼりを上げてくれたんだよ」

「そんなはずはない」

そう言いたかったのだが、心にちょっと引っ掛かるものがあった。

言われてみれば、そんな気もする。

俺はとにかく嬉しくて鯉のぼりばかりを見ていたし、当時はあまり親父にもかまってもらった記憶がないので混同してしまっている可能性がある。

叔父さんが準備をしてくれて、その後に親父と二人で眺めたのかもしれない。

「あの頃はか」

その言葉が全てを物語っているのかも。

お袋の話の中に出てくる〇〇叔父さんと俺の間にはかなりの蟠りがある。

叔父さんが亡くなる直前には訳あって怒鳴りつけたことさえある。

確かに記憶に残っている〇〇叔父さんは、俺が小学校の低学年くらいまでは優しい叔父さんだった気がする。

ただ、それ以後は亡くなるまでの間も行き来は少なく、会うことがあっても仲良くもしない、話すこともない。

ずっと理由は分からないが嫌われていると思っていたので、自然と俺も嫌うようになっていた。

大人になってそういうことも良くないと思い、気まずくてもやり過ごす術を覚えたが、コミニュケーションらしきものは一切取ることがなかった。

亡くなった事さえしばらく分からなかったのだ。

その叔父さんも、今では一人で育て上げた最愛の息子に見放され、菩提寺の本堂の御本尊の真裏にある、保管庫のような場所にポツンと置かれている。

訳あって、一旦は先祖代々の墓に入れられたものの、叔父さん一人だけを外に出さなくてはならなくなり、本堂の片隅に安置された。

それを実行したのが俺だ。

菩提寺からの依頼ではあったとはいえ、決して気分の良いものではない。

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