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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#10 三日目(2) 2021年7月16日

帰路1

帰路2

二泊三日の男鹿半島の旅は、もはや、実質的には終了していた。レンタカーを返すまでの時間調整で寄った<道の駅おが=なまはげの里オガーレ>の駐車場は、カンカン照りで、いや~、暑いのなんのって、車の中に入った瞬間、汗が噴き出した。すぐにエアコン全開、運転席側のドアを半開きにした。さ~てと、帰るか。<12:00 出発>、男鹿市を後にした。

すでに、完全に、帰宅モードになっていた。途中、コンビニで、コーラとあんパンを買って、車の中で食した。あとは、秋田市の市街地に入り、セルフで給油をした。レシートを見ると、¥2200ほどだった。リッター¥154で、14Lほど入れたわけだ。ということは、三日間で、どのくらい走ったんだ?車の燃費が、リッター17キロくらいだから、ま、200キロ以上は走ったわけだ。

レンタカー代が約¥13000、ガソリンが約¥2000、合計で¥15000。新幹線が往復で約¥30000、よって、交通費の合計は¥45000。妥当だなと思った。旅の余韻を楽しむのではなく、<せこい>カネ勘定をしながら、秋田駅のNレンタカーへ向かった。

途中、深い緑色の、小高い丘の上に、小さな天守閣のようなものが見えた。秋田にもお城があったのか、とその時は思った。今調べてみると、それは、<千秋公園>内の<久保田城 御隅櫓>を復元したものだった。ちなみに、<久保田城>は、家康に改易された佐竹義宣が築城した、天守も石垣もない平城だ。秋田県は江戸幕府開府以来<久保田藩=秋田藩>であり、禄高二十万石の大名、佐竹氏が統治していた国だった。この歳になって、ちょっとした<うんちく>を仕入れたわけだ。

さてと、Nレンタカーに到着した。時間的には、13時半前だったと思う。若くて元気な、小柄な女性が応対してくれた。なにやら、現金で¥650 、返金してくれるようだ。それと、東北地方で今年いっぱい使える、Nレンタカーのクーポン券¥500をくれた。返却時間がはやかったので、当初の契約をいったん解約して、その後に清算したらしい。とにかく、少し安くなったので、文句はない。

女性の元気な声に送られて、営業所を後にした。いやはや、なんという暑さだ!秋田駅に着いたのは、午後の二時前だった。帰りの新幹線は<16:12分 こまち38号>、まだ、二時間以上もある。時間調整だな。新幹線の改札口の前で、辺りを見回した。東口と西口を繋ぐ、駅構内の広い通路の真ん中に、太い柱が何本か間隔を置いて並んでいて、その下部にはドーナツ状のベンチがある。改札の向かい側は店舗で、ずらっと並んでいる。

そこに、観光案内所のような待合室のような場所があった。これ幸いと、キャスター付きのカメラバックを、ゴロゴロ引きながら中に入った。意外に混んでいる。教室ひとつ分くらいの広さだ。幅広のソファーが並んでいて、窓際はカウンター席、透明の仕切り版がついている。立ち止まった。座る席がないことはない。というのは、<コロナ>を警戒して、ソファー席は、みな、ひとつ置きに座っているからだ。

一方、カウンター席の方は、びっしり埋まっている。若いやつらが、飲み物をそばにおいて、パソコンやらスマホやらをいじっている。今風の光景ではあるが、奴らが列車や新幹線を待っているようには見えない。駅の待合室を喫茶店代わりにしているんだ。少し迷ったが、突っ立っていてもしょうがない。通路際の空いているソファーに腰かけた。

ふ~、まあまあ涼しい。だが、目の前に自動ドアがあり、開いたり閉まったり、人の出入りが激しい。それに、斜め後ろの、中年の太った男が、でかい声でスマホで話し始めた。すぐ終わるのかと思いきや、延々と話している。どういう神経をしているのか!うるさくて、ゆっくりできない。チェッ、舌打ちこそしなかったが、立ち上がって待合室を出た。左手には、階段があり、降りたあたりに<スターバックス>があった。外から店内を覗いてみた。ま、座れないこともない。だが、そうだ、<スタバ>の腰掛は窮屈なんだ。それに、コーヒーを飲みたいわけでもない。引き返した。

階段を登って、先程、ちらっと見た、通路のドーナツ状のベンチに近づいた。幸い、誰も座っていないベンチがあった。ただ、腰かけるところが、木製なので、座り心地はよくない。むろん背もたれもない。が、真ん中のぶっといコンクリの柱に木片が巻き付けられている。寄りかかれないこともない。それに、通路が広いので、そばを人が通ることはない。待合室よりも静かで、解放空間だから<コロナ>の心配もない。

軽登山靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。両足を投げ出し、くつろいだ気分で、回りを見ることもなく見ていた。すぐ目の前には、立ち食い蕎麦屋があった。匂いがしてきたので、食べたいような気もした。が、いましがた脱いだ靴をまた履くのが億劫だった。首を垂れ、目を閉じていると、しだいに、体の力が抜けていくのがわかった。

ふと気づくと、右横背後で、何やら話し声が聞こえた。ドーナツベンチだから、ふり返らないと、誰なのか見えない。姿勢をかえるフリをして、ふり返った。婆さんが三人いた。手荷物が床に置いてあるので、列車待ち、新幹線待ちだなと思った。場所移動するのも面倒なので、先ほどの体勢に戻って、目を閉じた。

婆さんたちは、たがいに、ひっきりなしに話していた。だが、話し声が気に障るほど大きくはない。聞くともなく聞いていた。と、ああ~、これが秋田弁なのか?いわゆる<ズーズー弁>ではなく、どことなく、品がある。とはいえ、話している内容が、ほとんど理解できないので、話し声を<音>として聞いていた。

補注:<ズーズー弁>は、東北方言の俗称らしい。ただし、差別的な意味合いがあり、いわゆる<差別用語>だ。たしかに、東北六県の方言を<ズーズー弁>の一語で括るのは、乱暴だろう。青森と福島とでは、言葉の聞こえ方がかなり違う。おそらく、これは、都市民の地方民への根拠のない優越感や差別意識が根っこにあるような気がする。

婆さん三人が、すぐ隣、というか後ろで話しているにもかかわらず、うとうとしてしまった。・・・初めてのひとり旅。若い頃だ。夜行列車で上野から青森、さらに、陸奥まで行った。目的地は、<恐山>。季節は二月の半ば、真冬だった。・・・<恐山>行きのバスは運行中止になっていた。このまま帰るわけにもいかず、予定を変更して、当時のバス路線の終点<佐井>まで行くことにした。・・・朝の八時頃だったのだろうか、蒸気で濛々としている駅の待合室だ。木のベンチに腰掛け、うとうとしながらバスを待っていた。・・・ほっかぶりした婆が多い。しかも、喋っている言葉が、まったく理解できない。興味半分に、そばに座っている婆の顔を覗いた。婆じゃない!色白のふくよかな中年女性だ。唇がうっすら赤い。厳しい自然と辺境の生活が、女性をすぐに婆にかえてしまうのだ。

意識が遠のいていた。いい気持ちだった。窮屈な姿勢なので座りなおした。と、婆さんたちが立ち上がって、あいさつを交わしている。荷物を手に持って、改札口のほうへ向かっていく。なるほど、新幹線待ちではなく、列車待ちだったのだ。

秋田駅からは、能代・五所川原、弘前・青森へ行ける。あるいは、南下して、酒田・鶴岡、さらには村上・新発田・新潟にまで行ける。秋田駅は、いわば、日本の豪雪地帯の交通の要なのだろう。はたして、三人の婆さんたちは、それぞれ、どこへ向かうのだろうかと、一瞬間、思った。

帰路2

婆さんたちが立ち去った後も、なおしばらく、ベンチに座っていた。だが、目をつぶっても、頭がはっきりしている。腕時計を見たのか、改札口の時刻表示板を見のか、まだ三時過ぎだった。三時半になったら、新幹線のホームへ行こう。そのあいだ、通路を行き交う人間たちを眺めていた。

若いおしゃれな女性が多い。グループの女子高生なども、どことなくあか抜けている。むろん、観光客もいたが、こっちは、老若男女、みな観光スタイルだ。あとは、ワイシャツ姿の出張族だな。と、先ほど、スタバに入って行った男女が、何か話しながら、また、目の前を通り過ぎて行った。男はやや太り気味の中年の上司で、女は二十代の部下だろう。多少、情が通い合っているようにも思える。ま、すべからく、見ていて楽しいのは、人間の女性だ。本能なのだろう。

さてと、時間だ。新幹線の改札を通った。階段を下りて、ホームの先端の方へ歩きながら、座るところを探した。人間はほとんどいない。乗車口番号を確認して、そのすぐ近くのベンチに腰をおろした。靴と靴下を脱いで、くつろいだ。吹き抜けていく風が涼しくて、気持ちがいい。

目の前の、線路際の道沿いには、駐車場あり、時々、車が出入りしている。おそらく、右手の大きなビルの駐車場だろう。目の端にちらっと、ジグザグに上昇する非常階段、その踊り場に、ワイシャツ姿の人間が見えたような気もする。

静かだった。旅が終わった、という感傷よりは、今回も無事に旅を終えられた、という安堵感の方が強かった。それに、日常生活に戻るのが嫌でもなかった。涼しい風が足元を流れていく。また、うとうとしたようだ。

ホームのアナウンスが、はっきり聞こえた。そろそろ出発の時間だ。靴を履いていると、階段の方から、ワイシャツ姿の出張族が、四、五人、やってきた。がやがやしながら、陽のあたる、ホームの先端の方へと歩いて行った。立ち上がってバックを背負った。じきに<16:12分 こまち38号>がすうっとホームに入ってきた。

座席番号<14号2番D>をたしかめ、窓際の席に着いた。通路を、乗客が通り過ぎていく。意外にたくさん乗ってくる。なるほど、金曜日の遅い午後だから、出張族が都会に戻るんだ。途中、大曲駅でも、けっこう乗ってきた。人間が隣に来なければいいなと思っていると、真後ろに爺が座ってしまった。気が弱いので、座席のリクライニングを戻した。うしろから、なにか声が聞こえたが、口ごもってしまい、ちゃんとした返事は返さなかった。

爺には、何人か仲間いて、それぞれ、窓際の席に陣取っているようだ。そのうち、後ろでガサガサ、ガサガサ、音が聞こえる。駅弁でも食べているのか、それとも、新聞でも読んでいるのか、やけに長い。

かなりの時間がたち、やっと静かになった。座席のリクライニングを戻したので、やや窮屈な感じがしてきた。とはいえ、また下げるわけにもいかず、我慢していた。と、携帯の着信音が列車内に響き渡る。ああ~ん!うしろの爺だ。大きな声でしゃべり始めた。ちょっと、こみ入った内容だ。すこし声を潜めたが、ほとんど筒抜けだ。しかも、これまた、くどくどと長い。相手も年寄りなのだろう。

ようするに、仲間の一人が、部屋から何も言わずに出て行った、とか何とかで、グループ内でのいざこざだな。聞きたくもない、他人の痴話話を聞かされている。まったく!と思いながらも、じっと耳をすませていた。そのうち、やっとのことで長電話が終わった。やれやれ。と、おもむろに、爺が立ち上がった。こんどは、通路に突っ立って、後ろの連れに、話の内容、事の顛末を、これまた、くどくど話し聞かせている。もう勘弁してくれよ。無視して、目をつぶっていた。そのうち、さすがに遠慮したのか、二人して、トイレのある連結部の方へ行ってしまった。列車内は静かになり、新幹線の走行音しか聞こえなくなった。

その後は、窓の外の、流れる景色をぼうっと眺めていた。途中、何度かうとうとしたのかもしれない。まもなく盛岡駅に着いた。一時間半かかっているはずだが、気分的には、あっという間だった。盛岡では、何人かが降り、何人かが乗ってきた。

走りだすと、これまでとは比べ物にならないほどのスピードだ。<こまち>の最大速度に近い、時速300キロくらい、出ているのかもしれない。陽はしだいに傾き始め、山並みの上に、巨大な積乱雲が現れた。その雲が、オレンジ色に少し染まっている。だが、<こまち>は、恐ろしいほどの速さで、巨大雲たちを次々と追い越していく。

少し赤みを帯びた太陽が、少しずつ少しずつ、山の端に近づいてきた。そのあたりが、きれいに染まっている。お~、車窓から、夕陽が眺められる。初めての体験かもしれない。はじめのうちは、夕陽は、窓枠の中央にあった。時速300キロだ。しだいしだいに、夕陽は窓枠の右側に移動していく。一緒に、首も右にまわっていく。

見た目には、地球の動きをはるかに超絶した速度だ。だが、なにか、引っかかった。このスピードは、手放しで感動できない。むしろ、うしろめたい、ような気もした。地球の表面に生息している以上、地球の動きは、生存の大前提だろう。だが、人間だけが、その大前提を踏み越えている。その行き着く先は、もはや明白だ。といっても、自分も人間だ。どうしようもないではないか!諦念と憤怒。<時速300キロ>で移動しながら、ちと哲学的になった。

すでに窓枠の中に夕陽はなかった。態勢をかえて、後ろを振り返った。夕陽が、まさに、山並みに沈む瞬間だった。旅が終わった、と思った。

2021-14.15.16日、二泊三日 男鹿半島旅の収支。

新幹線往復¥29160 Nレンタカー¥12738
男鹿XXXX閣¥21700 ガソリン・走行距離約230キロ・¥2200
観光¥300 お土産¥770 飲食等¥2130
総支出¥69000

以上。

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