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この街がすきだなあと思うとき


鎌倉に暮らしている。

一年前の夏に越してきた。極彩色の東京から。
それから季節がひと巡り。
あすから二度目の師走がはじまるなんて、びっくり。
でも、きのう春がきた。
わらっちゃうような暖かさ、桜が咲いていないのがおかしいくらいに。
季節はここずっと気まぐれを起こしてばっかり。
冬うまれだけれど寒いのは苦手。
でも、冬は寒くないとつまらない。

鎌倉には魅力がいっぱいある。
けれど実際に住んでみるとうーん、っていうところもある。
湿気がすごすぎるとか、家賃が高いとか。
観光地だから人が多すぎるとか、物価が高いとか。
坂が多いとか。そのぶんいい景色が味わえるけれど。

越してきたばかりのころ、あれもこれもそれもどれも素敵にみえた。
だんだん慣れてくると、とくべつに感動もしなくなる。
住めばどこも変わらない、と思いはじめる。

あじさいや紅葉の季節、鎌倉には沢山の人がくる。
住んでいるわたしは、どちらも見にいかない。
なんとなく機会をのがして。
そばに山も海もひみつの見晴らしもひとりじめの小道もあるけれど、毎日いくわけじゃない。
気がつくと数日、一週間、とおのいていることもある。
せっかくこんなに風光明媚な場所に住んでいるのに、家の中だけで終わる日もある。

+ + +



きょうは、鍼治療へ行った。二週にいちど行く。
家をでて、海沿いをずいずいいく。
無心にただあるく。あたまをからっぽにして。

太陽が海に反射して、世界がゆれている。すごくきれい。
地平線がきえる。海と空が入れ替わろうとする。
それくらいまぶしい。
きょうは音楽がお供。めずらしく。
折坂悠太さんの、道。だいすきな歌。コールドスリープも。

顔が浮かぶ。
わたしの人生をいいものにしてくれた、今はとおくにいる人の。
苦しい時間もたっぷり共にしたのに、浮かぶ顔はいつも笑っている。
似たもの同士。
ひとりの人間のお腹と背中ほど。ずっと一緒にはいられないほど。
感受性も、ばかみたいな素直さも、うっかりも、柔いのも、うそのつけなさも、気の多さも。ぜんぶ。

別れに何年もかかった。
すんでのところでどうにかこうにか掴んでいた手もついに離れて、あれからたくさん時間が流れて、この街にいる。
あんなにつらかったのに、浮かぶのは笑っている顔。

鍼のあと、お会いしてみたかった人に会う。
おやつの時間、北鎌倉の東慶寺のそばにある古い喫茶店で。
窓の外のいろんな背の高い植物たちの吐息がしずかな店内を支配している。
短い時間だったけれど、ふだん飲まない紅茶を頼んで、スライスレモンを浸しすぎてめちゃくちゃ苦くなって、それでも苦さを忘れるほどたのしかった。
はじめての人に会うのはたのしい。
かたわらにもう会えない人がいて、もうかたわらに、あたらしい出会いがあって。

その人も鎌倉に住んでいる。
ピンクと朱で、すてきな絵を描く人。
鎌倉に住んでいる人は、鎌倉に住んでいる人の匂いがする。
街の一部になっている。

北鎌倉駅でお別れして、わたしは鎌倉駅まであるくことにした。
日課のさんぽ。朝と夕との。
四時半をまわったら、もうほぼ夜。鎌倉らしい淡い夕闇。
色の中に、色がある。そのまた中にも。

しん、と静まり返る亀ケ谷坂の切り通しを、すいすいすすむ。
だれもいない。たまに原付が通るだけ。
両側でおおきな岩がじっとわたしを見下ろしている。
なんにもないから、このばしょを歩くときだけ鎌倉時代にいける。
わたしは、二千二十二年からきました。
ここからおおざっぱに千年くらいあとです。
そんな時代にも、人がいて、この街もあって、みんな生きてます。
なにも失われていないです。

そっと言い残して、今に帰ってくる。

鎌倉駅が近づいて、ひとの気配がしはじめる。
家路をいそぐ、というけれど、鎌倉の人はあんまりいそがない。
まったりと、音もたてず、りりしく、帰路についていく。

好きな踏切がある。今小路のところ。
窓のようなショウウィンドーに、きらきらの売りもの。
人形、ランプ、ガラス玉、指輪、ごちゃまぜのひとつの世界が、ちいさな窓のなかに。

夜のお店が、ぽつぽつ、控えめな灯りをともしていく。
おでんの赤提灯。どこにでもあるものの、ここにしかないもの。
よるの鎌倉は、しずか。ほんとうに。おちつく。
まだ息は白くない。

ふと思う。ほんとうにいい街なんだなあ。


+ + +



この街がすきだなあと思うとき、それはあの人と、出会った街だから。
あの人が、住んでいる街だから。
あの人と、住んだ街だから。
ここで、あの人との思い出が生きているから。
あの人と、一瞬だとしても、いろんなもの交換した街だから。

だからなんだって思う。きょうはとくに。
街の顔は、人の顔なんだ。
街の匂いも、街のうしろすがたも。
ぜんぶ人の。

でも、わたしはこの街にずっといない。
今から去る日のことが、手にとるように分かる。
ずっといないから、なにもかも同じままではないから、この街もこの世界も、こんなに好きなんだと思う。

家に着いた。
離れていて祝えなかったパートナーの誕生日を、すこしだけお祝い。
鎌倉駅近くのスリービーンズで買ったチョコレートケーキが土台。
豆乳と甜菜糖とバニラエッセンス、レモン汁をミキサーして、辺り一面白い液体飛び散って、面白くなって、あんまり固まらなくて、それでもいいやと茶色の壁に塗りたくって。
デーツとピスタチオとカシューナッツを砕いてのっけて。
蝋燭も、3しかないから、3だけたてて。
うれしそう。
何歳なのか、わすれちゃった。
まあいっか。

冷え冷えの洗濯物を、とり込む。
みあげると、割いたみかんみたいな、ちょうど半分の月。
あの上を歩けたらなあ。生足か、お気に入りの靴で。
月の床、踏んだらどんな音がするんだろう。


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