山々との約束と街|ソウル日記3
2024.5.10(金)
宿をでて、レンガづくりの古い街並みを歩く。小さな水色のトンネルをくぐると、その向こうにバス通りがある。つぎつぎとやってくるバスに大学生たちが慣れたようすで乗り込んでいくのにまざって、窓際に席をみつける。筆でゆったりとした線を描くように、なだらかな坂をのぼったり、くだったりして、ソウル中心へむかう。
ひと目みておこうかと、向かったキョンボックンは外国人だらけ。観光客用の韓服で着かざった人も多い。東京もだが、ソウルもちいさな街なのにこんなにたくさんの国からやってきた人びとがどこに、どうやっておさまっているんだろう。あまりに多国籍で、ここがソウルだとわからなくなる。敷地内は広大で、終わりがみえない。地面のこまかな白い砂に、日差しが照りつけはじめた。
ソウルは開発のすすむ都市で、高層ビル群がぐるんとそびえるのに、そのすぐうしろにさらに高い山脈がどっしりあるのがいい。人は自然にはかなわないと、都市にいても忘れないでいられる。日本の見慣れたものとはちがう、ところどころ岩肌がのぞく、乾いた山の峰々。とおい昔にこの山々とした約束がこの地の人びとにはあるようにふと思った。
キョンボックンのすぐとなりには、民族博物館がある。ユビンさんとの約束の時間まで、やや急ぎ足でみてまわる。白磁やボジャギ、雲をまとったような、まっ白の伝統衣服。昔ながらの生活道具たち。見せ方がきれいだった。本の装丁の展示もある。韓国で紡がれてきた暮らしにとても興味がある。ここは大陸の端の端で、やはり日本は島国で、似ているけれど根底に違うものがある。
みやげ店で、伝統的な韓国画のトランプをひとつ。auspitious paintingといって、縁起の良いとされる古い絵が五十四枚、すべてちがう内容で描かれている。魚、虎、鳥のモチーフがたくさんあり、どれをとってみてもうつくしい。おなじ韓国画のノートの、表紙に西瓜の描かれたのを一冊。きゅうりのと悩んだ。涼しげで、寂しげで、いい。
刑務所博物館へいくYと別れ、ソウル郊外に住むユビンさんと、安国駅で待ち合わせ。日差しがさらに照りつける。
ユビンさんには、広尾のアートギャラリーでひらかれたワークショップで出会った。食口と書いてシックと読む、韓国特有の捉え方があり、家族でなくてもひとつ屋根の下でいっしょにごはんを食べる人たちを言う。初めましてのみんなでシックになってみようという、ユビンさんが美大のコレクティブのメンバーと企画したワークショップ。たまたま知り合いの方がシェアしていた情報をみて、すぐに応募した。
仁寺洞のごはん屋さんへ連れていってくれた。ハングルで「花、ごはんに咲く」という名まえの店。無農薬野菜をつかう人気店で、たべられないもののある私のために、ユビンさんが提案してくれた。
私は貝の、辛くないピビンパ。ユビンさんは、マイケルジャクソンもたべたという名物のナムルごはん。サラダもにんじんのスープもパンチャンも、やわらかい発酵の味。韓国人は奢るんですと、ずいぶん歳下のユビンさんに、ごちそうになってしまった。
歩いていると、すぼんにてんとう虫がついて、居心地よさそうにじっとしていた。伝統茶園のテラス席で、お話のつづき。
ユビンさんは水正菓をたのんだ。生姜、桂皮、干し柿が入る。私はサンワ茶。天弓、当帰、甘草、シナモン、オウギ、白芍薬、熟地黄などの漢方が入った薬膳茶。表面にクコ、なつめ、松の実がごろごろ浮いている。
バスケットいっぱいの、韓菓子がついてきた。ユビンさんはこれが、ちいさいころから好きなんだって。蚕みたいな見た目で、口にいれるとさくさくしていて、ほんのり甘い。米にはちみつや水飴をくわえて、油で揚げてある。苦味のある薬膳茶とよくあって、おいしい。
てんとう虫は、まだずぼんで憩っている。すがすがしい風が緑の間を抜けていく。なんていい日、とユビンさんが腕を伸ばして言った。私もおなじ気持ち。まわりは、九割がシニアのお客さん。ひとりのおじいさんが、ものすごい大きな声で話していた。あの人、すごい悪口言ってます、とユビンさんが笑って言った。
仁寺洞をさらに南へ歩いて、アルムダウン茶博物館へ。茶器の展示をのぞく。近くの広場では、韓国の演歌にあたるトロットののどじまん大会をしていた。ど派手な衣装のおじさん、おばさんたちが、つぎつぎ歌をひろうした。みんなうまいし、たのしそう。
まぶしい緑の衣装を着たおばさんがうたいはじめる。ステージの下に、パントマイムみたいに手足を音にのせ、うごかしているほろ酔いのおじさんがいる。黄色いジャケットに、濃いオレンジのパンツを履いて、あたまにはハット。緑のおばさんから、全身蛍光ピンクのスーツにむらさきの蝶ネクタイをしめたおじさんにバトンタッチすると、ヒジャブをまとった観光客の集団が嵐のように乱入して、おじさんはいざ、とばかりジャケットを脱いだ。うれしそうに、もっと手足をうごかして、踊った。ヒジャブの女性たちがアンニョン!と踊りながら立ち去ろうとすると、まだだ、行くんじゃない、とほろ酔いのおじさんは手をぱたぱたさせて引きとめた。
仕事のあるユビンさんをチョンノサムガ駅まで送り、仁寺洞に引き返した。日が暮れはじめていた。色とりどりの提灯のぶらさがった公園のそばで、おじさんたちがたむろして、たばこをふかしながら真剣に囲碁をしていた。ざっと、百人以上はいる。うしろ手を組んで、対局を見守るおじさんのかたまりもある。
Yと合流して、山村という、精進料理の店山村へ。メニューはコースのみ。パイナップルかなにかを漬けた酢のような、食前酒が好きだった。黒ごまのスープに水キムチがでたあと、座布団みたいに真四角のしろい皿の四隅に、木耳、うすく糸みたいに伸ばした青のり、れんこんの酸っぱ辛いもの、かりかりにドライした塩昆布がキャンパスに色をのせていくように置かれ、皿の中央には、香菜のごま和えのようなもの。そのあとも、創作料理がつぎつぎ並べられていき、目にも舌にもおいしかった。
店にはちろちろと水が流れ、ふしぎな置き物や飾りが所狭しとならんでいた。ミュージアムを併設していて、正装をした高齢のおじいさんがしずかに腰かけ、彫刻みたいにピアノと一体化しそうになって、手を休めることなく弾きつづけていた。
行ってみたかった広蔵市場へ移動。米粉の大判焼きや、チャプチェ、米菓子、よもぎ餅をたべ歩いた。熱気がすごくて、中のほうは真夏みたいに風がとどかない。いるたげで元気がでた。これを夜な夜な繰り返してきた店のおばちゃん、おじちゃんたちは、なんてパワフルだろう。
宿へ歩いていると、近くのコンビニ前のテラス席に、散髪してさっぱりしたチャントルさんと友人のコナンさんがチップスとビールで晩酌していた。ふたりとも気持ちよさそうに目を半開きにして、ふとい声で何か話している。チャントルさんが私に気づき、手をあげた。眠たくてたおれそうだったけど、有無をいわさずまぜてくれたので、水をのみながらしばらく話した。コナンさんは、コジェという島の出身で、英国に留学していたことがあると言った。今はリサイクル会社ではたらき、チャントルさんの持ちアパートに住んでいるそう。
つづく。
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