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100歳現役医師・駿河敬次郎ドキュメンタリー制作日記

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私の命の恩人であり、日本における小児外科のパイオニア、駿河敬次郎 医師(順天堂大学医学部名誉教授)の生き様を映像作品にしたい。
運営しているクリエイター

#外科

駿河敬次郎医師ドキュメンタリー映像「天のふるさと」

駿河敬次郎医師ドキュメンタリー映像「天のふるさと」

『天のふるさと 〜小児外科医 駿河敬次郎』(仮)

<企画概要>

<なぜ、この映像を作るか>駿河敬次郎先生は、私の東大YMCA寮の先輩です。20年以上にわたり公私に渡ってお世話になってきました。毎年、数回は会食をしながら、ご自分の人生経験を語ってくださいました。ご一緒にテニスをする機会にも恵まれました。私が若い時に仕事で粗相をした時も「どうか、関さんを見捨てないでください」と尻ぬぐいをしてくださ

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8月の「100歳医師ドキュメンタリー」製作は、一件だけインタビュー進めました

8月の「100歳医師ドキュメンタリー」製作は、一件だけインタビュー進めました

2022年3月 完成を目指して、恩人・駿河敬次郎先生(順天堂大学医学部 名誉教授)のドキュメンタリーを作っています。

この猛暑を駿河敬次郎先生が乗り越えることができ、ありがたいです。

SNS苦手な私は、ツイッターをかろうじてやっているだけですが、インスタとかユーチューブとかでも、製作プロセスをお伝えしたほうがいいんだろうなーと思います。

なんとか先生が生きているうちに完成させたいです!

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駿河敬次郎先生との会食の思い出

駿河敬次郎先生との会食の思い出

私と100歳現役医師・駿河敬次郎先生とのご縁は、1999年に遡る。
東大YMCA寮の大先輩である駿河先生は現役学生(寮生)を招いて、年に一度パレスホテルで食事をご馳走してくださっていた。

円卓のテーブルで、たまたま駿河先生の隣に座らされたのが私だった。
「関君はテニスやっているの?今度、一緒にやりましょう」

当時、駿河先生は80歳近くになっていたが、毎週、巣鴨のテニスクラブでテニスをされていた

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3月の「100歳医師ドキュメンタリー」製作は駿河先生ご本人とのzoomを重ねた

3月の「100歳医師ドキュメンタリー」製作は駿河先生ご本人とのzoomを重ねた

2022年3月完成を目指して、駿河敬次郎先生(順天堂大学医学部名誉教授)のドキュメンタリーを作っています。

緊急事態宣言によって、3月も駿河先生とオフラインで会うことは叶いませんでした。しかし、今できることを淡々と進めていきます。以下が製作日記です。

まず、駿河先生とzoomで頻繁に話せるようになって幸せです。

100歳なのに「次はzoomのホストの仕方教えて下さい」と聞いてきます 笑。

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2021年1月は100歳医師ドキュメンタリーの構成を悩む月でした

2021年1月は100歳医師ドキュメンタリーの構成を悩む月でした

1月は、淡々と構成台本の下書きを作りながら、過去の映画を研究する1ヶ月でした。「ドキュメンタリーで観客を飽きさせないために、どうやってカタルシスを生じさせるか」「伏線はいるか...」 など考えさせれれています。

「映画館で長い時間じっと座って観る」という映画の定義も、時代にあわせて変えていく必要があることを思わされています。

今の所、予備撮影は、カメラ=Panasonic GH5s マイク=R

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2020年12月は100歳現役医師ドキュメンタリーの下準備でした

2020年12月は100歳現役医師ドキュメンタリーの下準備でした

2020年11月ー12月は、ドキュメンタリーの下準備期間でした。2度ほど、カメラマン福原まゆみさんと駿河敬次郎先生のご自宅に伺い、打合せをさせて頂きました。打合せというより、駿河先生にZoomなどiPad操作のご説明に伺っていたというほうが正確かもしれません😅(ZOOMを使いこなす100歳、恐るべしです!)

病気でなかなか私の身体が動かない。おそらく病気になる前と比べると、作業のスピードは二分

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なぜ100歳現役医師を撮るのか_きっかけは駿河敬次郎先生からの電話

なぜ100歳現役医師を撮るのか_きっかけは駿河敬次郎先生からの電話

小児外科医の草分け・駿河敬次郎医師。100歳の現在でも現役のお医者さんを続けています。76年間の医師生活の中で、何万人もの患者さんを救ってきました。私自身も、駿河先生に救われました。なぜ、100歳を超えても現役の医師を続けるのか。駿河先生の優しさは、どこからくるのか。
駿河先生と患者さんたちとの物語を記録に残しておきます

1. 大病で死線をさまよった私
2019年末、私は大病を患いました。死に至

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