なぜ100歳現役医師を撮るのか_きっかけは駿河敬次郎先生からの電話
小児外科医の草分け・駿河敬次郎医師。100歳の現在でも現役のお医者さんを続けています。76年間の医師生活の中で、何万人もの患者さんを救ってきました。私自身も、駿河先生に救われました。なぜ、100歳を超えても現役の医師を続けるのか。駿河先生の優しさは、どこからくるのか。
駿河先生と患者さんたちとの物語を記録に残しておきます
1. 大病で死線をさまよった私
2019年末、私は大病を患いました。死に至る病でした。大変苦しいところを通りました。しかし、心ある人の支えの中で、なんとか生かされております。奇跡でした。
中でも支えてくださったのが、東大YMCA寮の先輩、駿河敬次郎先生です。駿河先生は、私の闘病中に、何度も電話をくださいました。ご自身、99歳のご高齢で、足のリハビリ中にもかかわらず。
「必ず良くなりますから」「心配しないでも大丈夫ですよ」「回復します」
駿河先生のことばは、天からの声のようでした。
2.駿河敬次郎先生からの電話
2020年8月、駿河先生から「体調はいかがですか」と電話を頂きました。
「毎週の通院は続けていますが、お陰様で運動を毎日できるまでになってきました」とお伝えしたら、心から喜んでくださりました。
ちょうど7月末に駿河先生は、100歳のお誕生日をお迎えになりました。
電話では「さすがに100歳を過ぎると、急に身体の衰えを感じます」とおっしゃていました。
そんな状態にもかかわらず、駿河先生は、私の体調のみならず、我が家のこと、子どもたちのことまで心配してくださいました。
有り難い。本当に、有り難いです。
2004年10月28日撮影
3.天から託されたこと
電話を終えた後、20年以上にわたる駿河先生との思い出の数々が頭を駆けめぐりました。
駿河敬次郎先生は、日本における小児外科のパイオニアであり、小児外科治療の世界的権威です。
そんな方なのに、今でも、一人の医師として、ただひたすら目の前の患者さんに、真剣に向き合うことを続けておられます。
また、ご自分のかかわっている人を幸せにする、という姿勢を一貫してお持ちです。若い世代をいつも食事に招いて、励ましてくださっております。
この駿河敬次郎の足跡、生き様を全世界の方に伝えることは、私が天から託されているような気がしました。
どうにか、駿河先生のお元気なうちに、先生ご自身のおことばを伺って、それを映像作品にしたい。
昨日、上記の私の想いを駿河先生にお話したところ「自分なんて、大したことしていない」と謙遜されながらも、映像撮影について快諾いただきました。
駿河先生。お陰様で、日常生活ができるまで、回復してきました。本当に、有難うございます。
駿河先生より頂いた御恩を次の世代に恩送りする。そのための「駿河敬次郎ストーリー」の映像を、心を尽くして、製作を進めてまいります。
2020年9月13日 関 智征
2017年6月5日撮影(中央:駿河 敬次郎、右:堀 史彦、 左:関 智征)
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