時代劇レヴュー㉟:徳川慶喜(1998年)

大河ドラマから、前回と同じく司馬遼太郎原作で幕末を題材にした作品をもう一つ。

タイトル:徳川慶喜

放送時期:1998年1月~12月(全四十九回)

放送局など:NHK

主演(役名):徳川慶喜(本木雅弘)

原作:司馬遼太郎

脚本:田向正健


NHKが放送する所謂「大河ドラマ」の三十七作目で、タイトルの通り江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜を主人公に、その半生を描いた作品で、慶喜の幼少時から始まって江戸城開城までを扱っている。

この作品を私はリアルタイムで全話見ているのであるが、当時は幕末史の知識が少なく、かつ苦手だったと言うこともあって(今でも苦手意識はあるが)、どちらかと言えばつまらないドラマと言う印象があった。

が、今になって見返してみると結構面白い作品だったと思う。

そもそも慶喜を主人公に据えると言うテーマ自体が意欲的な試みであるし、慶喜が主役と言うだけあって政治劇的な性格が強いのであるが、地味ながら手堅くまとめていた印象であった。

原作は司馬遼太郎であるが、原作にあたる『最後の将軍』が長編としては分量が少なめと言うこともあって、ほとんどが脚本を担当した田向正健のオリジナルストーリーとなっており、2020年4月現在まで大河ドラマ化された司馬遼太郎原作の六作品の中で、最も原作の影響が薄い作品である。

田向正健が手掛けた大河ドラマはこの作品が三度目であるが、田向はこの後で死去しているので彼が最後に脚本を担当した作品でもある。

田向の脚本は色々と批判もあるものの、昨今の軽薄な作風の大河ドラマに比べればかなり骨太で見応えがあり、また個人的に評価したいのは、台詞内では登場人物を極力通称や官職名で呼ばせていて、これはOPの配役クレジットや作中のテロップでも、「阿部伊勢守正弘」「井伊掃部頭直弼」と言うように官職名をわざわざ入れて表記すると言った徹底ぶりであった。

慶喜のキャラクタも無理なく主人公向きに仕上がっており、英明なれど野心家ではなく、むしろ政争からは遠ざかりたいと思っていて、将軍になったのもやむにやまれぬ事態から、と言うような人物像なのであるが、反面自身が徳川宗家を守るべき水戸徳川家の出身であることを強烈に意識している。

初期から一貫してこうしたキャラクタで描かれているため、彼の汚点として語られる鳥羽伏見の戦いの後で俄に大坂から退去する理由も、無理ない解釈になっていたと思う(もっとも、自身の保身ではなく国内に騒乱を起こさせまいとするために敢えて朝敵の汚名を被ったと言うのは、一面ではかなり慶喜に都合の良い解釈なので、慶喜嫌いの人からすると噴飯ものかも知れない)。

また人物の描き方や配役も、全体的に良かったように思う。

主演の本木雅弘はポーカフェイスの貴公子で、やや得体の知れない所もある政治家肌な慶喜のキャラクタがよくはまっていたし、孝明天皇役の花柳錦之輔も天皇役の高貴な雰囲気がよく出ていた。

個人的に印象に残っている配役を挙げれば、渡辺徹が演じる西郷隆盛(作中では「吉之助」)のキャラクタが面白く、薩摩人であることを意識したものか極端に無口であり、この渡辺の無言の演技が、軍事にも政略に長けている慶喜にとって恐るべき敵と言う雰囲気をよく出していた。

ちなみに、このドラマでは薩摩人も便宜的に標準語で話させているので、薩摩言葉の台詞(「~でごわす」や「おいは~」など)を一切使わない西郷と言うのは珍しいかも知れない。

いま一人、リアルタイムで見た時から印象的な配役だったのは、小橋めぐみ演じる皇女・和宮で、彼女の持っている儚さと気品を備えた美しさが、悲劇のヒロイン像に強い説得力を持たせていたように思う。

当時小橋は十九歳とデビュー後間もない頃であり、彼女が時代劇に度々出演するようになるのもこの作品が皮切りである。

この他、幕末史ではそれまで「主流派」ではなかった慶喜を主人公にし、政治劇が中心となってしまうことに対する工夫なのか、田向脚本にしてはコミカル要素が強めなのも特徴である。

このように全体的には配役もストーリーもよく出来ているが、それゆえにもったいないと感じる部分もそれなりにあった。

それを一番感じたのは、物語のバランスの悪さである。

本作では、これはあった方が良かったのではと言う有名エピソードが端折られている反面、存在意義の薄い架空の人物がやたら出てきたりする。

例えば、慶喜と顔を合わせる機会は少なかったにせよ、当該期の幕閣の要人であった小栗忠順や、後に慶喜と深く関わる渋沢栄一などがまったく出てこないし、彰義隊にもほとんど触れられないのであるが、架空の人物のエピソードに時間を割くならそう言う話を盛り込んでも良かったのではないかなと、個人的には思う。

もっとも、うまいこと使われている架空の人物もいて、慶喜の乳母的な女性である松島や、表向きは昼行灯で堅物の水戸藩士であるが、人情本の作者と言う裏の顔を持つ永原帯刀、攘夷思想にかぶれて水戸藩に憧れを抱き、最終的には慶喜に仕えることになる西国の浪人・中山五郎左衛門、この三人はいづれもコメディリリーフみたいなキャラクタなのであるが、松島を岸田今日子、永原を佐藤慶、五郎左衛門を藤岡琢也(いづれもすでに故人であるが)と言うベテランで芸達者な俳優が演じていて、ともすれば重い展開が続きがちな物語のアクセントになっていて面白かった。

特に松島と永原は出てくるだけで笑ってしまうような、ちょっとした「息抜き」みたな作用があったし、五郎左衛門はさしたる知識も思想もないが何となく尊皇攘夷を唱えていると言った、当時の多くの浪士がたぶんこうだったのではないかなと言うある種の滑稽味を持ったキャラクタになっていて、そのあたりはうまいキャラクタ造形だと思う。

後、これは好みの問題かも知れないが、終わり方も割とあっさりしていて、主人公の死にまったく言及がないまま物語が終わると言うのは、大河ドラマとしては珍しい。

もっとも、事実上のラストシーンである慶喜と生母・貞芳院(演・若尾文子)との再会の場面がかなり良かったので、その後はあっさりしていた良かったのかも知れないが。

最後に、これは内容の評価とは直接関係ないのであるが、配役の使い方に関しても「もったいない」ように感じた。

人物の知名度と俳優の知名度を対応させようとしているのか、例えば、近藤勇役の勝野洋、土方歳三役の橋爪淳、岩倉具視役の寺脇康文などはあまり登場シーンがなく、特に土方は台詞もほとんどなかったと思うが、こう言う所にベテランで名のある俳優を当てている反面、慶喜と多く関わる幕閣や近臣の役には比較的無名の役者を当てていたり(もっとも、慶喜の側近の原市之進役の山口祐一郎は、当時テレビでこそ知名度がなかったですが舞台ではすでに活躍しており、板倉勝静役の小林宏史も舞台ではキャリアのある俳優で、作中でも良い味を出していた。なおこの「無名」と言うのは、あくまでテレビ界にウェイトを置いた表現で、私自身も現在は舞台演劇をそれなりに見て多芸な舞台俳優を色々知るようになったので、個人的にはあまり好きな表現ではないのであるが、他に表現のしようがないし、リアルタイムで見た時から感じていたことなのでひとまずこう表現しておく)。

段々と話にまとまりがなくなってきたのでそろそろ終わりにしておくが、いづれにせよドラマ自体は面白く、特に幕府の側から描いている幕末ドラマと言うことで今なお大きな価値がある作品のように思う。

なお、本作は完全版DVDがリリースされており、現在でも視聴が容易な作品である。


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