雑記:木之本周辺

滋賀県長浜市木之本町の黒田は、黒田如水・長政父子で著名な福岡藩主黒田氏発祥の地と伝承され、町内には黒田家始祖御廟所と呼ばれる場所が存在する。

この地は元々黒田氏の館があった場所とされ、現在は公園のようなスペースになっている。

画像1

「黒田氏旧縁の地」と書かれた石碑の傍らには覆屋に納められている宝篋印塔があり、これが黒田氏の始祖・黒田宗清(宗満)の墓と言われる。

画像2

この石塔には曰くがあり、1973年に集会所を整備している際に出土したもので、塔身に「源宗清」と刻まれていたことから黒田家の始祖の墓とされたものであり、確かに現在でも「宗清」の文字ははっきりと読み取れる(下の写真の二枚目)。

ただし、塔身に諱だけを刻むのが不自然であること、また「宗清」と言う名自体が、江戸時代に出来た誤伝であり、江戸時代に福岡藩黒田家は自らのルーツを近江源氏の黒田氏としているが、近年の研究によるとこの話自体が史実ではない可能性が高く、宝篋印塔の銘文もこの話を受けて江戸時代以降に追刻されたものであろう。

実際には「宗満」であるはずの名が「宗清」と記録されていること自体が、追刻であることを示していると言える。

とは言え、この石塔の笠の部分は南北朝時代頃の作と思われ、伝承で宗満とされる人物の時代と合致するが、実際に出土したのは塔身だけで笠は別所から持ってきて載せたものであると言うことで(ボランティアガイド談)、期せずして後から適当に合わせた笠だけが伝承に合致していると言う奇妙な状態になっている。

なお、この「源宗清」銘の宝篋印塔は、黒田如水を主人公とした司馬遼太郎の歴史小説『播磨灘物語』の冒頭でも紹介されている。

画像3

画像4

黒田氏ゆかりとされる石塔は、同じ木之本町の黒田の集落にある観音寺にもある。

観音寺は地名を冠して「黒田観音寺」と通称され、その名の如く観音菩薩をまつる寺院であり、本尊の准胝観音像(寺伝では千手観音)は平安時代初期の優作である。

境内にある宝篋印塔二基は、この地の領主であった近江源氏黒田氏ゆかりの石塔と伝えられ、塔身が欠損しているものの南北朝時代の作である。

この石塔も『播磨灘物語』で紹介されており、司馬が取材で訪れた際には「黒田如水の墓」と記された案内板があったと言うが、現在観音寺では黒田如水の先祖の墓と紹介されている。

ただし、上記のように黒田如水の先祖が近江源氏の黒田氏であるかどうかは不明なので、宝篋印塔は近江源氏黒田氏ゆかりの石塔かも知れないが、「黒田如水の先祖の墓」とするのは早計であろうか。

画像8

木之本町周辺は「観音の里」と通称され、黒田観音寺以外にも多くの古仏が点在しており、とりわけ観音像を有する寺院が多い。

国宝の十一面観音像が向源寺(渡岸寺観音堂)あるや、井上靖の小説でも登場する石道寺などが有名であるが、己高山にかつてあった鶏足寺の仏像を収蔵する己高閣・世代閣にも、十一面観音像を始めとする多くの古仏がある。

収蔵庫の周辺には、石塔が集められている一角があり、その中には乱積みであるが鎌倉時代の宝篋印塔もある(下の写真二枚目)。

宝篋印塔の笠と基礎の間に、別の宝篋印塔の塔身と基礎が挟まっているが、おそらくこの笠と基礎が本来は一対で鎌倉時代のものであろう。

画像5

画像6

また木之本駅の東口から木之本地蔵院に至る界隈は、北国街道木之本宿の面影を残している。

画像7

#滋賀県 #長浜市 #木之本町 #黒田氏 #黒田如水 #黒田家始祖御廟所 #源宗清 #黒田宗満 #司馬遼太郎 #播磨灘物語 #黒田観音寺 #己高閣・世代閣 #南北朝時代 #宝篋印塔 #石塔 #歴史 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?