神奈川県内の石造物⑮:浄光明寺宝篋印塔(伝・冷泉為相の墓)

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名称:浄光明寺宝篋印塔

伝承など:冷泉為相の墓

所在地:神奈川県鎌倉市扇ガ谷 浄光明寺


鎌倉扇ガ谷の浄光明寺は六代執権北条長時の開基で、長時がこの寺に葬られたことから以降長時を祖する赤橋流北条氏の菩提寺となり、赤橋家から夫人を娶った足利尊氏との縁も深く、尊氏が後醍醐天皇への挙兵に踏み切る直前には浄光明寺に籠もったと言う。

その後、室町時代になっても鎌倉公方からの庇護を受け、鎌倉時代後期正安元年の作である阿弥陀三尊像(この仏像は宋風の特徴を持つ仏像でもある)など多くの文化財を有する。

境内の阿弥陀堂の裏山の上には宝篋印塔があり、これは鎌倉時代後期に鎌倉歌壇発展に携わった歌人で、死後に浄光明寺に葬られた冷泉為相(阿仏尼の子で、訴訟のために鎌倉に下った)の墓と伝承される。

銘文などはなく相輪も欠損しているが、形式から南北朝時代の作と推定される。

南北朝時代の特徴をよく示す端正な宝篋印塔であるが、石塔の年代的には為相の墓と見るよりも、赤橋家や足利氏の関係の石塔と見た方が良いと思われ、あるいは尊氏によって造立された赤橋家の供養塔かも知れない。

また、宝篋印塔が建っている裏山のやぐら内には地蔵石仏が納められており(二枚目)、石仏の背には鎌倉時代後期の正和二年銘がある。

なお、宝篋印塔と石仏があるエリアは通常は施錠されており、拝観するには庫裏にて拝観料を払い鍵を借りる必要がある。


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