続・時代劇レヴュー㊿:信虎(2021年)

タイトル:信虎

放送(公開)時期:2021年11月

放送局など:ミヤオビピクチャーズ

主演(役名):寺田農(武田信虎)

脚本:宮下玄覇


2021年に公開された映画で、武田信玄の父として知られる武田信虎の晩年を描いた作品であり、京都の美術・歴史系の出版社・宮帯出版社の代表で、歴史美術研究者でもある宮下玄覇が全額を出資して、自ら製作総指揮・脚本・監督(金子修介と共同)を務めた異色作である。

時代劇の衰退を憂えたことが企画の動機で、題材が信虎になったのは宮下の祖先が武田家の陪臣であったことに加え、当時甲府駅前に信虎の銅像が建てられたことに触発されたためと言う。

物語は、京都で足利義昭の近臣となっていた信虎が、上洛前に息子の信玄が病死してしまったのを受けて、もう一度自分が甲斐の国主になって上洛を実現させると言う野望を抱いて甲斐に向かう所から始まり、信虎没後もしばらく物語は続き、後半は武田家の滅亡とそれ以降の話に結構な時間を割いている。

冒頭は江戸時代の元禄年間に、武田家の末裔が高家に列せられて武田家再興を果たしたシーンが描かれ、側用人で自身も武田氏の一族の末裔を称する柳沢保明(後の吉保)が、武田家再興を喜んで我が子に信虎晩年のことを語り聞かせると言う形で物語は進んでいく。

本作は、研究者としての顔も持つ宮下玄覇が企画・脚本を務めただけあって、細部に至るまでかなりのこだわりを持って作られており、歴史好きなら一見の価値がある。

かつらや所作などは極力当時のものに寄せていて(かつらは一般的な羽二重ではなく、ラテックス製のものを用いている)、登場する武将は皆月代を深く剃って小さな髷を結っており(当時の肖像画をイメージするとわかりやすい)、身分の高い女性は眉を剃って鉄漿つけ、白粉を塗って座る時は立て膝であるし、馬もサラブレッドではなく馬体の小さい木曽馬を用い、上杉謙信の頭巾や織田信長の肩衣など、登場人物の衣装や甲冑なども現存する肖像画や文物にかなり似せて作っている(ただし、武田信玄の所謂「諏訪法性の兜」は、後世の偽作の可能性が高いので、実際に信玄が使用していたどうかは怪しいが)。

ただ、メイクが本格的なゆえに女優陣は誰が誰だかわからないのは少し難点かも知れない(笑 信虎の娘役の谷村美月は、過去に何度かドラマで見ていて風貌はもちろん知っているが、このメイクと鉄漿のせいで、終盤に通常のメイクで登場するまで彼女だとわからなかった)。

また、信虎が高遠城に入った際に、武田勝頼を含む武田家の主立った一門や家臣団と対面するシーンでは、馬場信春・山県昌景・春日虎綱(所謂「香坂弾正」)などの比較的著名な人物はもとより、従来の歴史ドラマではほとんど登場しない内藤昌秀・一条信龍・長坂光堅・跡部勝資らもずらりと勢揃いしており、かつ彼らとはほとんど初対面の信虎が、過去の自らの事績に絡めながら(「儂が昔手討ちにした○○の子か」など)家臣団に言葉をかけるシーンは、戦国史好き、武田氏好きなら色々な意味で面白い場面である(なお、本作は戦国期の武田氏研究で著名で、信虎の評伝を著した平山優が考証担当として参加している)。

ロケ地の点でも独自色が強く、本作は従来の時代劇ではほとんど使用されない寺院でロケを行っており、主演の寺田農のインタビュー記事によると、長年に渡って時代劇出演経験がある寺田も初めてロケで行く場所が多かったと言い、そうした場所が使用出来たのも、京都の寺院に顔が利く宮下の存在があってこそだと言う。

作品そのものの評価としては、正直な所、本作はエンタテインメントとして見た場合微妙と言うか、つまらないと言って差し支えなく、過去に評論家からも酷評されている。

この点は、宮下が全く経験がない状態で脚本を担当したと言うこともあるだろうが、「信虎の晩年」と言う題材のせいもあるかも知れない。

序盤の信虎が武田領に入るまでのくだりは、割合ドラマチックになっているが、それ以降は特に何が起こるわけではなく信虎の死までが何となくだらだらと描かれ、またあまり存在意義のない人物が代わる代わる登場する点もいささか退屈である(一人一人は実在の人物であり、戦国期の武田氏に対してそれなりに知識や興味があると「おやっ」と思う描写もあるのだが、予備知識がない人が見た場合は、何だかわからないうちに終わってしまうだろう)。

特に、信虎死後の武田氏の滅亡までを扱うパートについては、宮下本人の意向なのだろうが、あまりにもこの部分が長く、やはり冗長な感が否めない。

また、マイナーな題材・人物を扱うゆえか、それとも台詞を必要以上に説明的にしないためか、やたらと脚注的なテロップが多かったのは少し鬱陶しく、その点も賛否が分かれるかも知れない(出てきた瞬間に討ち死にしてしまうような架空のモブキャラにまで紹介テロップを出すのは、正直意味あるか?と思ってしまう)。

後は、物語の中盤を盛り上げる工夫なのかも知れないが、信虎が人心を操る「妙見の術」を会得して、それを武田家存続をはかるために穴山信君ら関係者に用いるくだりは、ちょっと荒唐無稽で個人的にはあまり好みでない。


キャストの感想を書けば、主演の信虎役の寺田農は(なお、私はちょうどこの作品を視聴し終わった直後に寺田農の訃報を聞いた)、流石ヴェテランの風格で、ほぼ出ずっぱりで難しい長台詞も多い役どころを見事にこなしていた。

また、甲府市大泉寺所蔵の信虎の肖像画(作中でも触れられていたように、信虎の子である武田信廉の筆)ともどことなく似ていたように思う。

本作での信虎のキャラクタは、晩年と言うこともあってか、従来の作品でありがちな粗暴な暴君ではなく、自己主張や思い込みが強い所はあるものの、どちらか言えば思慮深い人物に描かれていて、その点は良い意味で視聴前の期待を裏切られた。

なお、史実では信虎が高遠に入って勝頼と対面するのは、天正二年のことであり、作中での信濃入りは史実よりも若干早い時期に描かれている(ただし時期について明言されているわけではないので、信虎が武田家に戻ることを決断してから行動に移すまでに実際には少し時間があいていると言う設定なのかも知れないが)。

また、作中で身の危険を感じた信虎が最初にいた高遠から脱出して、娘婿である禰津常安の許に身を寄せてそこで死去しているのは、常安に庇護されて高遠で死去と言う、若干矛盾する史実の記録をうまく説明するための折衷案的設定であろう(史実では高遠に禰津氏の屋敷はないので、どちらかが誤伝ではないかと考えられている)。

なお、作中で禰津常安が鷹を操るのは、彼が鷹匠流派の「根津・諏訪流鷹術」中興の祖であることを踏まえたものであろうし、常安の次男が真田十勇士の根津甚八(作中では「神八」)であるのも元ネタとなる伝承が存在する。

武田信廉役の永島敏行は、序盤にワンシーンだけ登場する信玄と二役であるが、これは信廉が信玄に面差しがよく似ていて、影武者を務めることもあったと言うエピソードを踏まえたキャスティングであろう。

上杉謙信役の榎木孝明、織田信長役の渡辺裕之など、過去に武田信玄絡みの作品で同じ役を演じたことがある俳優をキャスティングしているのも、時代劇をよく見る者からすると面白い(榎木は1990年の映画「天と地と」[「続・時代劇レヴュー㉓」参照]で謙信役を、渡辺は1991年のTBS長編時代劇「武田信玄」[「時代劇レヴュー㊸」参照]で信長役をそれぞれ演じている)。

内容に関しては結構酷評してしまったが、個人的には内容や面白さよりも、本作は細かい部分にまでこだわったと言うヴィジュアル面でこそ価値があると言え、肖像画や合戦図屏風をそのまま再現したかのような映像は確かに見応えがあったように思う。

これは個人的な好みや要望になってしまうが、今後は考証面でのこだわりと作品の面白さを両立させられるような作品を世に出すと言うことが、時代劇復権の鍵なのかも知れないし、こうした「こだわった」映像作品を定期的に作ったら面白いだろうなと、本作を見て切に感じた。


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