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【3分で読める世界史】プロテスタントの誕生

ドイツ農民戦争で見えた、ルターの矜持。

カッコイイですね。

その後、ルター派はどうなっていったのでしょうか。


■プロテスタントの誕生

ドイツ農民戦争の後、イスラームの大国、オスマン帝国がドイツに南から圧力をかけてきます。

これに対抗するため、皇帝カール5世は諸侯と一致団結する必要があり、一時ルター派を認めました

※ルターとは

しかし戦況が優位になると、ふたたびルター派を禁止します。

これにルター派の諸侯たちが抗議(プロテスト)したことから、ルター派はプロテスタントと呼ばれるようになりました。

プロテスタントはのちに「新教」すべてを指すようになります。

ルター派の諸侯たちはシュマルカルデン同盟を作り、皇帝と争い、シュマルカルデン戦争に発展します。

シュマルカルデン戦争はなんとか鎮圧したものの、内紛は続き、皇帝、諸侯ともに疲弊したため、両者は妥協に向かいます。

こうしてアウクスブルクの宗教和議が成立し、ルター派は公認されました。

しかし、宗派を選ぶ自由は、諸侯のみで、個人には信仰の自由はありませんでした

また次回お話するカルヴァン派は認められませんでした

その後、ルター派の領邦では、諸侯が宗教を監督する領邦教会制が成立します。

この結果ドイツは宗教的にバラバラとなり、ルター派は北ドイツを中心に、ドイツ以北のデンマーク、スウェーデン、ノルウェーにまで広がりました。


■編集後記

これにてルターのお話は、いったんお終いになります。

現代までつづくプロテスタントの歴史を作り出したルター。

その偉業を目の当たりにし、頭が下がる思いです。

次は今回でもワードが出てきたカルヴァンについてお届けする予定です。

お楽しみに!


参考文献


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