【3分で読める世界史】戦に勝利しウィーンにカフェができた話
【前回までのお話】
イスラームの大国、オスマン・トルコ帝国は、ハプスブルク帝国の都ウィーン包囲(2回目)を目指します。
冬になるまでの時間との勝負とみたオスマン帝国は、最速でウィーンに到達するため、間にあったハンガリーのブダを先に制圧したのでした。
それでは今日も中公新書の『コーヒーが廻り世界史が廻る』を片手に、コーヒーから見た世界史をお届けします。
ブダを平定したオスマン帝国は、いよいよウィーンに迫ります。
1683年、第二次ウィーン包囲です。
第一次ウィーン包囲の際は、表上、対イスラームでキリスト教ヨーロッパは協力していました。
しかし時代は変わっています。
フランスのルイ14世は、援軍を送りませんでした。
ウィーンが陥落すれば、キリスト教の唯一の盟主となるべく、悠々と登場する算段だったのです。
ウィーンは、数十万人の大編成に囲まれて、外部との連絡が取れないまま、一カ月以上が経過していました。
なんとか、包囲の外にいるはずのドイツ・ポーランド連合軍と連絡を取りたいウィーンは一人の男に伝令を託します。
名をゲオルク・フランツ・コルシツキーと言いました。コルシツキーは、トルコ語が堪能で、商人の通訳などをしていました。
コルシツキーはトルコ衣装に身を包み、包囲網に突入していきます。
怪しまれる場面もありましたが、兵士を流暢なトルコ語で煙に巻き、ついには包囲網を突破しました。
そして無事にドイツ・ポーランド連合軍に状況を伝えることに成功したのです。
ウィーンにオスマン帝国の背後から迫ったドイツ・ポーランド連合軍は、包囲を解放。
オスマン帝国は敗走し、コルシツキーは英雄となりました。
オスマン帝国は退却の際、身の回りのもの以外、すべて置いて逃げたとされています。
コルシツキーは、そのなかに黒い豆の袋があったことに気づきます。
皆、それがなんなのか分かりませんでしたが、商人と一緒にアラブに居たこともあるコルシツキーはコーヒー豆だと分かったといいます。
コルシツキーは活躍の報酬に、金一封とそのコーヒー豆をもらいました。
そして、そのお金とコーヒー豆を使い、ウィーンに初めてのカフェを作ったと言われています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ウィーンにコーヒーがもたらされた物語。
いかがだったでしょうか。
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では、また次回にお会いしましょう!
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