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【3分で読める世界史】オスマン帝国衰退の予兆

最盛期を迎えていたオスマン帝国ですが、スレイマン1世の死後、衰退の兆しが表れてきました。

この記事を読めば、オスマン帝国からヨーロッパに時代が傾いていく様子が分かります。


①オスマン帝国の混乱

東南アジア・インド洋

オスマン帝国の最大の誤算は、エリート歩兵集団イェニチェリの統制が効かなくなってきたことでした。(イェニチェリは「オスマン帝国の誕生」参照)

スルタンに忠誠を誓い、戦争で活躍してくれていたイェニチェリが、特権意識から私利私欲で動くようになり、反乱まがいのことまで起こるようになってきました。


②スペインの逆襲

海戦

オスマン帝国がそんな不安を国内に抱えるなか、プレヴェザの海戦の復讐を虎視眈々と狙っていたスペイン

1571年、ヴェネツィア・ローマ教皇とふたたび、オスマン帝国に海戦を挑み、これを撃破します。(レパントの海戦

ついにオスマン帝国の不敗神話が崩された瞬間です。

(ただし、オスマン海軍はすぐに態勢を整え、地中海の制海権は維持しました)


③初めての領土失地

砲台

そしてオスマン帝国は1683年、15万人もの軍を率いて実行した第2次ウィーン包囲に失敗。

これにより1699年、カルロヴィッツ条約で、ハンガリーをオーストリアに割譲することが決められました。

オスマン帝国にしたら広大な領土のほんの一部でしたが、初めて領土を失うという経験。

レパントの海戦に続き、流れが変わってきたことを象徴した出来事でした。


終わりに

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は、最盛期を迎えていたオスマン帝国の流れが変わってきたお話でした。

次回は、オスマン帝国の統治、文化をまとめていきたいと思います。お楽しみに!


参考文献


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