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【3分で読める世界史】紅海を旅するコーヒー

今回はコーヒーが紅海を通って運ばれる様子をお話させていただきます。

紅海の地図はこちら

例によって『コーヒーが廻り 世界史が廻る』を片手に、紹介していきますね。

前回の記事で、コーヒー栽培には紅海の湿気が大切だった話をしました。

でも紅海とコーヒーの関係は、それだけではありません。

当時コーヒー豆はイスラームの商業拠点であったエジプトのカイロに、一旦集まっていました。それからヨーロッパに運ばれます。

コーヒーの栽培地であるイエメンからカイロへのルートは、陸路と海路があります。ただ技術的に海路のほうが、多くのコーヒー豆を輸送できました。

コーヒー豆は、モカをはじめとする積み出し港から、紅海を通ってカイロに運ばれることになったのです。

しかし紅海は、簡単ではない航海を強いてきます。

紅海は両岸の砂漠を映して赤いという。
「ルージュ色の海」は、その艶やかな名称とは裏腹に、逆風、底流、浅瀬など多くの困難をともなう難海域であった。

『コーヒーが廻り 世界史が廻る』より引用

当時のコーヒーは船が紅海を無事に乗り切れるかが問題になっていました。紅海の気候に左右される投機的な側面があり、激しい値動きだったと言われています。

コーヒーは栽培から輸送まで、紅海と密接に関係していたのです。


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では、また次回!

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