世界史のまとめ × SDGs 第5回 初期の都市文明の衰退と生態の多様化(前1200年~前800年)
SDGs(エスディージーズ)とは―
「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解決するために、国連で採択された目標」のことです。
言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
17の目標の詳細はこちら。
SDGsの前身であるMDGsが、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけつつ、歴史と地理の両面から振り返っていこうと思います。
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Q. この時代の人間は気候の変化にどう対応した?
SDGs 目標13.1 すべての国々において、気候変動に起因する危険や自然災害に対するレジリエンスおよび適応力を強化する。
ユーラシア大陸のあちらこちらで遊牧民の動いた影響が出ていますね。
歴史:そうだね。違う個性がぶつかり合って、新しいものが生まれるのもこの時代の特色だ。
アメリカ大陸でも農業エリアが広がって、世界各地でいろんなライフスタイルの人たちの住み分けができつつあるね。
例えば…?
ユーラシア大陸の北の方の寒冷エリアでは,狩猟・採集をしながらの移動生活。
主食はオットセイやアザラシ。
乾燥草原地帯(下の映像のようなステップ)には、騎馬遊牧民。
内陸の乾燥地帯には、オアシス(湧き水を利用した町)で定住農耕・牧畜を営む人々。
大河流域にでは、移動せずに暮らす人々
海に近いエリアでは、釣りや貝採り、運送業や商売をする人々…のように。
それぞれ「固定的な職業」のようなものではなく、人々は気候に対応して柔軟にライフスタイルを変更していった。
例えば気候の乾燥化が進むと、農業ではなく遊牧に転換する人々も現れているよ。
みんなが同じような歩みを進めていったわけではないんですね。
歴史:そうだよ。“違い”があるからこそコミュニケーションが生まれ、コミュニケーションが生まれるからこそ、人類の新しい可能性が互いに引き出されていったわけだ。
もし全部が同じ条件だったら、そもそも交流や交換なんて起きないよね。
自分に足りないものを相手に求めるからこそ、交換も生まれる。
軍事的な強さにも差はありますよね? 遊牧民には馬の力がありますし…
歴史:その通り。
この時代には、ユーラシア大陸の中央部で「雨のあまり降らない草原地帯」が拡大し、遊牧民が武装するようになっていく。
南北アメリカ大陸では遊牧民は現れないんですか?
歴史:馬がいないし、鉄器もないからね。
ただ、この時期には大規模な神殿をともなう文明が、中央アメリカ(注:オルメカ文明)、南アメリカのアンデス山脈西の海岸沿いに出現するようになっている。
定住して農業・牧畜を営む群れ(=集落)が大規模化して都市となり、内部の人間の優劣がついて社会が複雑になっていったことが背景にある。
チャビン文化の神殿(南アメリカのペルー)
そのへんはユーラシア大陸とおなじなんですね。
歴史:そうだね。でかい建物が登場するっていう点では。
ユーラシア大陸では、馬にまたがった遊牧民は鉄でできた武器を持ち、「騎馬遊牧民」(武装した馬に乗った遊牧民)にバージョンアップしていく。
定住民にはとてもかなわない。
ユーラシア大陸の西部(北を上にして左側)の“ヨーロッパのお隣”ではスキタイ人というグループが騎馬遊牧民のルーツともいえる文化を編み出していた。
地理:彼らが暮らしていたウクライナというところは、栄養分のある黒色の土(注:黒土、チェルノゼム)が広く分布しているから、定住して小麦などを育てる人々もいた地域だ。
歴史:遊牧民と定住民との間には取引もあった。
互いに「足りないもの」を補い合っていたんだ。
で、彼ら遊牧民の技術は、他の地域に広がっていったわけですか。
歴史:そうだよ。
草原地帯は東西に途切れ途切れに続いているから、スキタイ人のアイディアは急速にユーラシア大陸の反対側(東側)へと広まっていく。
中国の北の方の遊牧民も、馬にまたがって戦うための新技術(馬の上に座るためのサドルや足掛けなど)をみてビビったのだろう。次の時代にはスキタイの技術を導入して、広い範囲を支配する遊牧民の王が現れることになる(注:「匈奴」(きょうど))。
どうしてこの時代に変化が起きたんですか?
地理:この時期のはじめと終わりごろに特に寒い時期があったようだ。太陽の活動が弱まったことが原因だという説もある(注:明石茂生「気候変動と文明の崩壊」57頁)。
遊牧民が武装するようになったのには地球の乾燥化が大きく関わっているんですね。
歴史:あくまで仮説だけどね。
気候と歴史に関する研究は、まだまだ始まったばかりだ。
一方、経済的には定住民のほうが豊かだから、遊牧民は定住民と協力する必要がある。どんなコミュニケーションが生まれているか、あとで各地の様子をみてみよう。
従来の文明がユーラシア大陸の乾燥エリア中心だったのに比べて、この時期には草原地帯の遊牧民が加わって、バラエティが豊かになりますね。
歴史:そうだね。
遊牧民と定住民。
どちらも人間に特徴的なライフスタイルだ。
この時期には、今まで栄えていた文明が崩壊し、新しい文明が生まれる時期にあたる。
東アジア(≒中国)ではどうですか?
歴史: 当時の黄河流域は森林が鬱蒼と茂っていて、ゾウもいたらしい。
しかし開発が進むと、次第に森林が伐採され、川に黄色い土が交じるようになっていく(まさに「黄河」になっていくわけだ)。
この時期になると殷(いん)とよばれる都市国家群が衰退し、西の方の周が新たな都市国家群を建設していくようになる。
銅の産地のコントロールをめぐって、殷や周、それに南方の長江流域の都市国家群との間に対抗関係があったようだ。
南の長江流域にも都市国家があったんですね。
歴史:黄河流域とは別のルーツをもつ文明があったことが明らかになっている。
Q. 身分の区別はいつ始まったのだろうか?
SDGs 目標10.3 差別的な法律、政策、および慣行の撤廃、ならびに適切な関連法規、政策、行動の促進などを通じて、機会均等を確保し、成果の不平等を是正する。
南アジア(≒インド)ではどうでしょうか?
歴史:例えば南アジアでは、かつてのインダス川沿いの都市に代わって、ガンジス川沿いに都市が建てられていく。担い手は中央ユーラシアの遊牧民に起源をもつインド・アーリヤ人だ。
古い文明を新しいグループが支配すると、新たな支配のシステムがつくられそうですね。
歴史:その通り。
この時期の民族移動の影響は、南アジアではのちに「カースト制度」と呼ばれる社会の仕組みにまで影響を与えている。
人間は生まれた時点で自動的にいくつかの身分に分かれ、それぞれの身分に応じた生き方をするべきだという考え方だ。
不平等な制度ですねー。
歴史:ある程度まとまった数の人間が集まると、意思決定のコストを下げるために一部のエリートが大勢のさまざまな理由をつけてその他大勢の人をしたがえようとするのは、どこにでもみられる現象だ。
それに、この制度が異なるカースト間の「差別的なしくみ」に発展していったのは、ずっとあとの時代のこと(イギリスに植民地として支配された時期)だということもわかっている。
社会(≒群れ)の規模が大きくなるにつれて、人間は分業(役割分担)することで集団を維持しようとした。人間がいくつかの身分に分かれていくのも、その過程とみることもできるわけだ。
もちろん、現代においては「生まれながら」に不当な扱いを受けるのは、「よくないことだ」と考える社会が増えている。
どこまでが「その地の文化」で、どこからが「人間全体が大切にするべき価値」とみなすかって、実は難しい問題だ。
Q. 人はなぜ移動するのだろうか?
SDGs 目標10.7 計画に基づき良く管理された人の移動政策の実施などを通じて、秩序の取れた、安全で一定的かつ責任ある移動やモビリティーを促進する。
歴史:自分は故郷を捨てて、まったく知らない新天地に移動できると思う?
自分はいやです。いや、場合によりますね。暮らし方がまったく変わってしまうのはいやですね。
歴史:移動するかしないか、自分の意思で決められるのが理想だよね。
でも、現在の世界には、やむを得ず故郷を捨てざるを得ない人もたくさんいる。
その地の政府による迫害を受けた場合、国外に逃げて難民となるか、国内の別の安全な場所に逃れて国内避難民とならざるをえない場合もある。
現在、そんなふうに避難しなくてはならない状況にある人間は、世界史上最多を記録しているんだよ。
100万人くらいですか?
地理:いやいや甘い。なんと6000万人だ。
そんなに!
地理:ただ、移動することが一概によくないことっていうわけでもなくて、場合によっては移動することで生活を向上させられる可能性もある。
経済的な理由から移動する人(注:経済移民)のことだ(注:移民政策)。
大規模な人間の移動は、世界史上で何度も大きなインパクトをもたらしてきた。
そもそも人間はアフリカから世界中に拡散していったわけだし(注:グレートジャーニー)、この時代の遊牧民の移動も代表例だね。
遊牧民の移動の影響は、西アジアではどうでしたか?
歴史:地中海の沿岸では「海の民」と呼ばれる集団が移動し、鉄器と戦車で強盛を誇ったヒッタイトが滅亡している。
また、ヨーロッパの北のほうにいたゲルマン人もこの頃、南のほうに移っている。ケルト人もバルカン半島の方に南下しているね。
大きな変化ですね。従来の文明がいったん「リセット」されるような。
歴史:「前1200年の破局(カタストロフ)」ともいわれるね。
気候変動だけでなくて、内部の争いや食料不足など、さまざまな原因が結びついたのではないかといわれている。
低緯度地域の河川流域の「都市」を中心に発展した初期の文明は、いったんこのときに衰えたことになる。
地図中の「遊牧エリア」の拡大により、大河農耕エリアは圧迫された。
川から水を引っ張ってくるタイプの農業も立ち行かなくなり、このときに遊牧生活に切り替えた人々もいた。
アフリカでもおなじような動きはありましたか?
歴史:アフリカの真ん中付近で大きな動きがあるよ。
バンツー語という種類の言葉を話すグループが、アフリカの東や南の方向に向けて大移動を開始するんだ。
彼らは鉄器を持ちウシを連れ、ヤムイモやモロコシを栽培しながらサバンナづたいに広がっていくよ。
どうして移動することになったんですか?
地理:気候変動によりサハラ砂漠が乾燥していったことが原因なのではと考えられている(注:砂漠化)。
サハラ砂漠の南側には、まばらな草原地帯が広がっているだけで、木は生えない(注:ステップという乾燥草原)。それぐらい雨が降らないんだ。
あまりに雨が降らないと、乾燥に強いとされるモロコシ(ソルガムともいう)でも、育てることが難しくなってしまうし、ヒツジやヤギもほっとけばわずかな草を食べつくしてしまう。
SDGs目標17 持続可能な開発に向けて実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する
こういう「危機」の時代には、新しい時代を切り開く新たな考えや技術が生まれることも多い。
人の移動は情報(=知恵)の移動でもあるからね。
現代のわれわれも、いろいろと危機的な状況にありますよね。
歴史:そうだね。
こういう困難な時代には、従来の常識が崩れて人々は悲観的になりがちだけど、一方で次の時代を切り開く新たな価値観や技術が生まれる望みだってある。
この時代には、従来の大国(注:オリエント諸大国システム)が崩壊したことで、その境界を超えようとする動きも活発化。
現在のユダヤ人の「ご先祖」と考えられる「ヘブライ人」も、この頃のパレスチナで活躍した民族だ。
周辺の大国が滅んだおかげで、独自の動きが可能になったわけだ。地中海の貿易で活躍したフェニキア人とも交流を持ち、現在のユダヤ人の信仰する唯一神(ヤハウェ)のほかにも、いろんな神様(注:バアル神)への信仰も存在していたらしい。
西アジアはその後もバラバラの状態が続くんですか?
歴史:アッシリアっていう国がメソポタミアの北部にあったんだけど、この時代にはアラム人によって衰えていた。
アラム人は各地に都市国家を作り、エジプトの金、現在のトルコ南東部の銀、地中海のキプロス島の銅などの取引で勢力を強めていたんだ。
従来は大国に握られていた「限られた資源」が、こうした広範囲で活動する民族によっていろんな場所に運ばれたことで、「危機の時代」を乗り越えることができたといえるかもしれない。
貿易で活躍したフェニキア人の文字はのちの英語などのアルファベットのルーツに、アラム人の文字や言語は西アジアの広い範囲の「国際公用語」になっている。
人間はバラバラの群れに分かれながらも、物を共有することのできるコミュニケーション手段を構築していったわけだ。
しかし、しだいに多くの都市国家をしたがえる大国も復活する。
以前衰えていたアッシリアが軍事力を強めて息を吹き返していくことになるんだ。
アフリカでは新王国が衰えていますね。
歴史:前の時代には岩壁を彫り抜いた巨大な墓が建設され、国王は軍事力を背景として強大な権力を誇っていたんだけど、この時代になると衰えているね。
地中海沿岸から「海の民」と呼ばれる民族が移動してきたことが痛手となったと考えられている。
それからというもの、エジプトを「統一」することのできる王国は現れず、「バラバラ」な時代が続くよ。各地から豊かなエジプトを求めていろいろな民族がやって来て、支配するようになるからだ。それにもともとエジプトは、上流と下流との間に対立があるからね。
そのエジプトと密接な関係にあったのが、現在のギリシャにあった文明だ。
ギリシャって「ヨーロッパ」ですよね? エジプトと関係あるんですか?
地理:たしかに今では別の地域として扱われることが多いけど、地図で見てみると「ご近所」だ。
ギリシャには強い権力を持った王様がいて、王墓からはかなり遠くの地方から集められた珍しいものも見つかっている。
Q.ヨーロッパの文明は、アフリカやアジアよりも「優れた」文明だった?
SDGs 目標 11.4 世界の文化遺産および自然遺産の保全・開発制限取り組みを強化する。
地中海の北部に大きな国はできないんですか?
歴史:ギリシャの沿岸には大きな川が流れる平野が少ない。
農業というよりは貿易で栄えた街が、国に発展しているよ。サイズは狭く、「都市国家」(街みたいな国)という。
ギザギザの海岸が多く、山が海岸の近くにまでせまっているから平野が少ない。大きな川もない。
だから、発展して人口が増えると外に進出するしかない。
じゃあ、ギリシャの人たちは地中海の貿易を独り占めですね!
歴史:そうもいかないんだ。
地中海ではシリアの港町の勢力が盛んで、莫大な売上を独り占めにする王が国をつくっている。ここにギリシャとシリアとのビジネス合戦が始まるんだ(注:シリアの沿岸で都市国家を発展ささえていたのはフェニキア人)。
「シリア」ってどこですか?
歴史:シリアは地中海の東の端っこ(北を上にして右端)だよ。
土地が狭いので、地中海を西へ西へと進み、ちょうど真ん中付近にカルタゴというビジネス都市を建設している。始めはシリアの本部に対する地中海中部支部のようなものだったけど、次第に“のれん分け”していくことになる。
地中海の北部にも、西アジアや中東の古くからの文明の影響があったんでしょうね。
歴史:そうだね。
今では地中海の北岸は「ヨーロッパ」として区分し、南岸の北アフリカや東岸の西アジアとはスッパリ分けて扱われることが多いけど、それは後世のヨーロッパ人が「自分たちの文明は、北アフリカやアジアの劣った文化とは違うんだ!」と言いたいがためにつくりあげていったストーリーに過ぎない。
ヨーロッパの文化の「源」は地中海北岸のローマやイタリアだけではない。
それ以前の北アフリカや西アジアからの影響だって無視できない。
現在では、どのような場所にあった営みであっても「人間の文化の遺産」として大切に扱うべきだ考えられているよ(注:世界文化遺産)。
(*第6回に続く)
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊