同時に学べる!世界史と地理 Vol.19 1815年~1848年の世界
産業革命の影響が世界に広まっていく時代①
歴史:前回見たように、イギリスで始まった新技術(注:蒸気機関)のインパクトは、急速に世界に広がっている。
世界各地で、イギリスのペースに合わせて協力しようとする人たち、イギリスに追いつこうとがんばる人たち、そもそもそんなこと意に介さない人たちが、さまざまな反応をしている。
利害関係は人によって地域によってさまざまだ。
寒かった気候は持ち直しているんでしょうか?
地理:この時期の初めにインドネシアの火山(注:タンボラ山)で大噴火が起きた。その影響が世界中に広まっている。
そんな中、大陸を超えた人々の移動もますます活発になっていますね。
歴史:風の力で動いていた船は蒸気船に代わり,馬やラクダは鉄道に代わっていった。
イギリスの生んだ新技術は、従来の動力と比べ物にならないパワーを発揮するからね。
歴史:これによって最も打撃を食らったのは、長い間人類最強を誇っていた、ユーラシア大陸の遊牧民たちだ。
蒸気船に大量に荷物を載せて運んだほうがもうかるよね。それで陸のルートはますます廃れていったんだ。
沿岸地帯にはさまざまな国の人が集まり、取引が盛んになっていくよ。
イギリスをはじめとするヨーロッパの国々やアメリカ合衆国との取引を拒否する国々の中には、武力によって攻撃を受け、むりやり国をこじ開けられる例も出ている。
強引ですね。アジアの国々は弱かったんですか?
歴史:アジアの国々の王様の力が弱っていたのは確かだけど、民間の商人たちの活動は盛んだよ。
それにアジアにはたくさんの人口がいて、マジメに働くことでも知られている。
ヨーロッパはオセアニアへの進出も進め、例えばイギリスはニュージーランドやオーストラリアへの進出を進めている。対抗するようにフランスも島々を確保しようとしているよ。
アフリカでも沿岸地帯を中心に、貿易ルートをむりやり確保しようとする動きも始まっている。
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●1815年~1848年のアメリカ
生まれたばかりのアメリカ合衆国は、安定しているでしょうか?
歴史:イギリスとの戦争を経て、政治は一時期に落ち着いているよ。
ただ、先住民のインディアンたちとの戦いは続いているし、ヨーロッパ諸国がふたたび北アメリカにやってこないとも限らない。
アメリカの大統領はヨーロッパに対して「ぼくたちはヨーロッパには手出ししない。だから、ヨーロッパのみなさんもアメリカには口出ししないでほしい」と呼びかけている。
どうしてそんなことを呼びかけたんですか?
地理:アメリカとヨーロッパとの時間的な近さ(注:時間距離)はますます狭くなっているからね。
この時期のはじめには蒸気船をつかっての大西洋の横断も実現している。
どれくらいで横断できるんですか?
地理:たったの15日だよ。
いままでの帆船では40日もかかっていたのに!
歴史:あとはほら、中央アメリカや南アメリカには、スペインやポルトガルの植民地があったよね。
これらの植民地がこの時期にいっせいに独立していったんだ。
ペルー、ボリビア、コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチン、チリ…。どれも聞いたことのある名前だよね。
指導したのはアメリカ生まれの白人だ。
彼らは広大な土地を持つ支配階層だったけど、スペインやポルトガル本国からああしろこうしろと口出しされるのがウザくなっていたんだ。
だから新しい国づくりにあたって、先住民や黒人の意見が反映されていくとは限らないよ。
この時期にできた国だったんですね。意外と新しい…。
歴史:だよね。
ヨーロッパの国々からすると、これらエリアを失うのは「もったいない」話だ。だってこの地域では金、銀、銅やいろんな農産物がとれるからね。
農産物って例えば何ですか?
地理:例えばコーヒーだ。
ヨーロッパでは産業革命がすすんで、工場の働き手はぐんと増えている。「眠気覚まし」のコーヒーの消費量が増えると、ブラジルの高原地帯(注:サンパウロ)でコーヒーの大量栽培が始まった。
そうすると、イギリスと協力して自由な貿易関係をつくっていこうというグループと、イギリス製品の輸入を阻止しようとするグループの対立も起きるようになっているよ。
歴史:というわけで、南アメリカの植民地を失いたくないヨーロッパの王様は独立運動をジャマしようとしたんだ。
それに対して、アメリカ合衆国は「ジャマするな」って抗議した(注:モンロー宣言)。
でも結局これらの地域で商売を始めようとしていったのは、さっきのコーヒーの話でもでてきたイギリスだ。
さすがのアメリカも、イギリスの軍事力を前にしては口ごたえもできない。
アメリカは、その後も虎視眈々(こしたんたん)とこの地域への進出を狙い続ける。
ヨーロッパに「口出しするな」っていうことは、ヨーロッパからアメリカに渡る人も減ってしまったということですか?
地理:ううん、アメリカへの「移民」の波は止まらない。
身分とか伝統のないアメリカは、ヨーロッパの人たちからみると「夢の国」に移ったわけだ(注:自分からすすんで移動する人の移動を、プル型の人口移動という。プルとは「引っ張る」という意味だ)。
ただ、やむにやまれず移動してきた人たちもいる(注:プッシュ型の人口移動)。
どんな人たちですか?
地理:アイルランド人だ。
この時代の終わりごろ、アイルランドでジャガイモの伝染病が大流行。
ただでさえイギリスにより土地を支配されていたアイルランド人にとって、ぜいたくな小麦に代わって重要な食料だったジャガイモが壊滅したことは、大打撃となった。
このときに、のちにアメリカの大統領にのぼりつめた人物の祖先も、アイルランドからアメリカにわたっている。
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●1815年~1848年のオセアニア
歴史:この時期のオセアニアには、イギリスとフランスの進出が進むね。
フランスは東のほうにあるタヒチを支配下に置き、イギリスはニュージーランドを植民地にしているよ。
現地の人どうしの争いも利用した巧妙な作戦だった。
オーストラリアはどうなっていますか?
歴史:イギリス人の移住が止まらない。
この時期にはスペイン産の羊が導入され、乾燥地帯で大規模に飼われるようになった。
その羊毛(ウール)はオーストラリアの産業の主力になっているよ。
乾燥地帯でどうやって羊を飼ったんですか?
地理:井戸から勝手に水が湧き出る現象を利用して、たくさんの羊の水やりを大量におこなうことができたんだ。
えっ、勝手に湧き出るって、どういうしくみなんですか?
地理:雨水は、降ると地面に浸透して、しみこむことができるところまでしみ込んでいく。
やがてこれ以上しみ込めないというところ(注:不透水層)までいくと、地下水としてゆっくり流れていくんだ(注:自由地下水)。
でも、ある箇所では、上も下もしみ込むことができないような岩に囲まれているようなところもあって、そういうところの地下水は圧力を受けている(注:被圧地下水)。そこに人工的に井戸を掘ると、そこから勝手に湧き出てくるようになるんだ。
歴史:一方、先住民のアボリジニーたちは住むところを奪われている。
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●1815年~1848年の中央ユーラシア
歴史:ユーラシア大陸の内陸は、この時期にますます西からロシア、東から中国の進出が進んでいく。
ロシアが西から東に進んでいけば、イギリスが嫌がるでしょうね。
歴史:そうだね。イギリスが大事にしている植民地インドがあるからね。
ユーラシア大陸の真ん中付近には、かつての草原地帯の覇者であるモンゴル人の血を受け継ぐ王様たちが、イスラーム教を保護して栄えているのだけれど、これらの国がロシアや中国、そしてイギリスの思惑に巻き込まれていくのは、もはや時間の問題だ。
真ん中付近ってどのへんですか?
地理:カスピ海やアラル海のある地域から、タリム盆地のあるところまでの乾燥エリアだ。
カスピ海もアラル海も「塩分濃度の高い湖(注:塩湖)」だ。
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●1815年~1848年のアジア
歴史:この時代、中国南部は貿易がめちゃめちゃ盛んだったんだけれど、中国の皇帝は、イギリスが港にアヘンという薬物を売りつけに来るのが許せなかった。
なぜイギリスの商人はそんなことをしたのですか?
歴史:本当は中国各地で貿易をしたかったんだけれど、中国では貿易が認められていたのは中国南部の広州というところだけだったんだ。
しかも、許可された商人グループ(注:公行)としか取引ができない。
イギリスが売りたい工場で生産された綿布も自由に売れない。
でも中国にはお茶のような魅力的な商品がたくさんあるから、どうしても赤字になってしまう。
そこで、インドで生産したアヘンを売りつける作戦に出ていたんだ。
中国は禁止しなかったんですか?
歴史:特別大臣の命令により、港にあったアヘンの箱を燃やさせた。
そうしたらイギリスの商人は激怒。
大問題だということで、イギリスの議会で議論された結果、わずかの差ではあるけれども、中国と自由に貿易をするために戦争をしよう!ということになったんだ。
「自由に貿易したいから戦争」って…すごいですね。
歴史:その名もアヘン戦争。反対した人はいたんだけど、強行突破された。
で、結果的に大敗した中国は、巨額の賠償をする責任を負わされ、さらに自由に貿易のできる港を開かされた。このときに香港(ホンコン)という島も、イギリスに取られている。
これを見てビビったのが日本だ。
「おいおい、中国ってその程度だったのかよ!」と。
こりゃまずいということで、日本は沿岸警備に乗り出すことになる。
日本の国力は衰えていませんか?
地理:この時期の日本では飢饉が続くことが多かった。
米どころの東北地方では冷害が相次いだ。
冷害って何ですか?
地理:米の成長期にあたる夏の気温が下がり、生育に害が出ることだ。
原因は「ヤマセ」という冷たい風だ。
夏の日本列島の北東部には「冷たい空気の塊」(注:オホーツク海高気圧)がたまりやすい。
逆に南西部には「暖かい空気の塊」(注:太平洋高気圧)がある。
このように性質の違う空気の塊(注:気団)がぶつかるところでは、天候が崩れやすい。
東北地方に「ヤマセ」が吹くときは、南の「暖かい空気の塊」の威力が弱く、北の「冷たい空気の塊」が南に下がってくるときだ。
こういうときに、海のほうから日本列島に向かって風が吹くと、「冷たい空気の塊」から東北地方に霧や雲をともなった冷たい風が吹いてしまう。これが「ヤマセ」だ。
東北地方 全部が被害を受けるんですか?
地理:「ヤマセ」はそんなに高いところを吹く風じゃない(1000m~1200m)から、日本列島の東北地方を南北に背骨のように走る山脈(注:背骨のように走る山脈を「脊梁山脈」(せきりょうさんみゃく)という)を超えることができない。
だから、太平洋側では逆に風が一気に低地に吹き降ろすことによって、気圧が急激に変化して高温の風となるフェーン現象が起きる。だから、冷害の被害は起きない。
で、この時代にはその影響があって、東北地方では不作となったわけですか。
歴史:その可能性が高い。大飢饉も起きている。さいわい、かつて浅間山の噴火のときに起きた大飢饉ほどの被害ではなかったようだけどね。
どうしてですか?
歴史:前回の飢饉の発生後には、食料を不作時のために備蓄しておくとか(注:囲米)、災害対策のための費用をとっておく(注:七分積金)などの対策がとられていたんだ。
なるほど。災害に対して対策をとったおかげでもあるわけですね。
◇1815年~1848年のアジア 東南アジア
歴史:この時期の東南アジアでは、ヨーロッパの国々による植民地支配が強まるよ。
「植民地」…ってことは、人が移り住むってことですか?昔のギリシャのように。
歴史:基本的にはそうなんだけど、この時代の「植民地」の特徴は、物をつくるための原材料をゲットするための場所という役割が大きいね。
それに、完成品を売りつける場所でもある。
イギリスはインドを最重要の植民地として位置づけているから、それを守るためにならなんでもした。
インドからアヘンを中国に運んで貿易赤字を埋めようとしていたから、そのルートの「中間地点」にあるマレー半島はとっても重要だ。
現在のマレーシアのあたりの港町を植民地として組み込んでいるよ。
ライバルのフランスはどうですか?
歴史:建国するときに援助したベトナムに「言うことを聞け」と、恩を仇(あだ)で返そうとしているよ。ベトナムの皇帝もだんだんフランスのことがウザくなってきている。
フランスも中国でビジネスをしたかったので、イギリスが中国との戦争で勝つと、そのタイミングでほぼ同じ内容の不平等な条約を中国と結んでいるよ。
代わって、スペインの力はどんどん下がっているね。太平洋を横断する貿易もこの時代には幕を閉じている。植民地化しているフィリピンでは、スペインよりも中国人商人の活動が活発になっているよ。
最後にオランダ。
オランダは現在のインドネシアの支配を強めていて、お金を稼ぐために住民たちに強制的にコーヒーなどのもうかる作物を栽培させている。
地理:この時期の初めにはインドネシアで火山(注:タンボラ山)の大噴火が起きた。
東南アジアだけでなく、世界中の気候に影響を与えたと考えられているよ。
お米の栽培よりもコーヒーの栽培を優先させたことで住民に影響も出るけど、この時代には畑の面積が広がり、結果的に人口は増えていったんだ。現在のインドネシアでもジャワ島への人口集中は、国にとっての課題の一つだ(注:トランスミグラシ政策という、人口の分散計画も実施されている)。
○1815年~1848年のアジア 南アジア
歴史:インドにはイギリスの露骨な侵略がすすんでいる。
北部のシク教徒の王国や、中央部のヒンドゥー教徒の王国を戦争で破り、住民たちにお金になる作物を栽培させている。その代表例がアヘンという薬物だ。
インドはイギリスが直接支配していたんですか?
歴史:ううん、イギリスが直接おこなっていたわけではない。
「東インド会社」という国公認の会社に担当させたんだ。
税を取る仕事までおこなっていたわけだし、この時代には貿易部門が廃止されるから、貿易ビジネスから支配代行ビジネスがメインとななっていったわけだ。
住民たちを支配する各地の王様たちはそのまま残した。住民の不満が直接イギリスに向かわないようにしたためだね。
でも人々の不満はじわじわとたまり、やがて爆発することになるよ。
○1815年~1848年のアジア 西アジア
歴史:西アジアではオスマン帝国がピンチだ。
北からのロシアの進出が激化し、支配地域のエジプトも事実上独立してしまった。
海からは、イギリスはアラビア半島の北側のペルシア湾沿いの国々を、次々にコントロール下に置いている。
慌てた皇帝は急いで改革を始めるけど、はっきりいって「見掛けだおし」の改革に終わってしまった。
憲法をつくるなど国のしくみの改革には手は出せなかったからだ。
こんな調子だとますますヨーロッパ諸国につけこまれますね。
歴史:だよね。
ヨーロッパ諸国はオスマン帝国の中にいるいろんなグループに、「お前たちは○○人だ。○○教徒だ。さっさと独立したほうがいい」とアドバイスする。
もともとそんな意識はこれっぽっちもなかったのに、だ。
オスマン帝国はゆる~く支配をしていたんですもんね。
歴史:そうそう。
でも、この時代には支配地域にあったギリシアがヨーロッパ諸国の支援で独立してしまうし、エジプトもコントロール不能になってしまった。
ヨーロッパ諸国は独立運動を助けるフリして、恩を売りたいだけだったんだ。「助けてやったんだから、領土や港をよこせ」って言いたいがための行動だ。
オスマン帝国側も、このようなバラバラの状況に対して、なんとかしなければという思いから、「オスマン帝国はオスマン人の国だ!」っていきなり言いはじめるんだ。
民族も宗教もいろいろだけど、みんな平等のオスマン人だ、っていうわけだ。
でも、いきなりそんなこと言われても響かないよね。
統一された教育制度があるわけでもないし。
状況はますます悪化していくことになるよ。
強い国をつくりたいんだったら、「○○人」しかいない国を作ればいいっていう考え方。これってヨーロッパの考えの影響ですかね。
歴史:そうそう。
「○○人」という共通の意識を持った国を作ることで、強い国をつくろうという考え方はこの時代のヨーロッパで流行するんだ。
でも、これを実現しようとすると、かなり強引に進めなきゃいけない部分も出てくるよね。
単純に「○○人」しか存在しない地域なんて、地球上どこ探してもないわけで。
狭いヨーロッパでさえ大変なんだから、オスマン帝国でそれをやろうったって、そりゃあ難しいわけだ。
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●1815年~1848年のアフリカ
歴史:東アフリカでは、アラビア半島のオマーンが進出して奴隷貿易がブームになっている。
南アフリカはイギリスの植民地となり、土地を追われたオランダ人は北へと逃げていった。一方、バントゥー系の民族どうしの争いも激化し、“戦国時代”となっている。
貿易が盛んになったことも関係しているんでしょうか。
歴史:それもあるだろうね。
西アフリカでは、イスラーム教を旗印に遊牧民と定住民が協力した国づくりがすすんでいるけど、沿岸では相変わらず奴隷貿易が続いている。
アメリカ合衆国はこの時期に「かわいそうな黒人をアフリカにかえしてあげよう」という運動が置きて、「自由な国」という意味のリベリアっていう国を建国させてあげた。でも、縁もゆかりもない人が国を建てたことで、もともと住んでいた民族との対立が人工的に生まれることになってしまった。
北アフリカではオスマン帝国の支配地域が狭くなっていますね。
歴史:そうだね。
エジプトはオスマン帝国と戦って、事実上の独立を勝ち取り、南のスーダンまで支配下におさめているよ。
また、フランスは地中海を挟んで反対側のアルジェリアを植民地化している。国内の不満をそらすために王様がやったんだ。
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●1815年~1848年のヨーロッパ
フランスの軍人皇帝が大暴れして「いろいろあったヨーロッパ」ですが、どうなっていますか?
歴史:思い返せば混乱のきっかけは、一般人たちが政治に参加したことだ。
「やつらを政治に参加させたら、ロクなことがない」
これがヨーロッパの王族、貴族たちの共通認識だ。
秩序のためにはヨーロッパを、皇帝・王様・貴族の体制に戻そう。
この「昔に戻す」体制の中心になったのが、まさにヨーロッパの中心にあったオーストリアの皇帝だ。
オーストリアはかつては神聖ローマ帝国という、由緒正しい国のトップだった。しかしそれがフランスの軍人皇帝に滅ぼされ、今度はヨーロッパの「復興」の中止に立つことで「栄光」を取り戻そうとしたんだ。
でも、イギリスはそれが気に食わない。
だけど、あんまりヨーロッパのことには関わりたくない。
だから、直接かかわらずに外でじーっと様子をうかがっているのが当時のイギリスだ。
新技術を一番乗りで導入して、世界で一番の工業国になっていますもんね。
歴史:そうだね。
べつに友達がいなくたって、かまわない。「余裕」なんだ。
一方、オーストリアと陸続きの国ロシアは、オーストリアがリーダーを気取ることにいらだちを隠せない。
地理:ロシアは経済的にはイギリスにはとうてい追いつける状態ではない。まずは領土を広げ、農業のできる土地と凍らない港を確保することが先決だった。
ヨーロッパの気候はまだ寒い状況が続いていた(注:ダルトン極小期)。
食料の確保は
じゃあ、どこに進出しようとしたんでしょう?
地理:南。
そして東だ。
ヨーロッパの東部には暖かい海流(注:北大西洋海流)が北上しているから、東に行くほど温暖だ。
そこでジャマになるのが、中央ヨーロッパの大国であるオーストリアだ。
フランスの皇帝を追い出した後、オーストリアはヨーロッパの政治の中心に立とうとしていた。
皇帝と王様のヨーロッパに戻すっていっても、なんだか団結力はなさそうですね。
歴史:その通り。
時代は「身分がすべて」な時代から、「実力がすべて」の時代に変わりつつある。
国を強くしたいのなら、実力を付けたビジネスマンの意見を取り入れ、政治に参加させることも重要だ。
皇帝や王様は保守的(変化に弱い)から、「変わる」ことを恐れる。
だけど、これからの時代は刻一刻と変化するビジネスチャンスに合わせ、「変わる」ことを恐れない力が必要となっていたわけだ。
どこかで「爆発」しそうですね。
歴史:その通り。
フランスでは2段階で爆発するよ。
まず、第一段階で王様が追放されて、ビジネスに理解のある親戚の家系から王様が呼ばれた(注:七月革命)。
でも、その王様は一部の極端なお金持ちの意見しか聞こうとしなかったから、企業家たちが怒って、もう一度王様を追放したんだ(注:二月革命)。
じゃあ、二度目の事件で、企業家たちが中心になった国づくりが進められたんですか?
歴史:いや、この二度目の事件には、多くの貧しい労働者も参加したんだ。
「もう一度、世の中がひっくり返れば、自分たち労働者にも優しい国に生まれ変わるかもしれない」と期待したからだ。
近未来に、”労働者中心の社会”が出現すると「予言」する書物も発表された。
この一連の事件の影響はヨーロッパ中に広がり、各地で「昔に戻そうとする古臭い皇帝や王様」が倒され、自由にビジネスをしたい企業家たちが政治に参加するようになっていくことになるよ。もちろん地域によって差はあるけどね。
企業家たちは、どんな国づくりを目指したんですか?
歴史:まずは「国が、国としてしっかりまとまる」ことを目指したよ。
バラバラのままだと、ビジネスのルールもバラバラでは取引も不安定だ。
それに言葉の違いも面倒だ。
ドイツ人の住んでいる地域では、いちばん産業の発展していたプロイセンが中心になって、まずは経済的にドイツをまとめようという運動が起きている。
おなじくバラバラだったイタリア人の住む地域でも、統一をめざす運動がはじまっているよ。
一方、オスマン帝国に支配されていたバルカン半島では、それを見習って自分たちの国をつくろうとする運動も盛んになっている。
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