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8.4.2 イタリア戦争 世界史の教科書を最初から最後まで

15世紀末のイタリア半島の状況はさんざんだ。




東方からはオスマン帝国が侵攻し、ヴェネツィアやフィレンツェといった都市国家は大打撃。



そんな中、宗教政策や、新たな領土やアジア・アメリカへの新物流ルートをめぐってヨーロッパ諸国が争った。

とくにフランス国王や神聖ローマ皇帝は、イタリアの小国家やローマ教皇を巻き込んだ対立に乗じてイタリア半島に進出しようとし、それが長期にわたる戦争に発展。
ヴァロワ家のフランス王と、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝の対立でもあった。

これをイタリア戦争(1494〜1559年)というよ。


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ナポリ王国に進軍するフランス王国軍



当時のイタリア半島は、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、ナポリ王国、ローマ教皇領の “ビッグ5” を中心に、
小国が同盟・対立を繰り返す状況だった



1519年には、ハプスブルク家出身でスペイン国王に即位したカルロス1世(在位1516〜1556年)が、神聖ローマ皇帝カール5世に選出された。
スペイン王としての君主名は「カルロス1世」、神聖ローマ帝国としての君主名は「カール5世」というわけだ。
もともとフランス語を話せた王は、スペイン王に即位するとスペイン語を頑張って勉強。しかし、ドイツ語に関してはさっぱりだった。


いったい「何人」なのかわからないくらい複雑で広大な領域を支配したカルロス1世(カール5世)。
彼にしてみれば、キリスト教の世界を「神聖ローマ皇帝」として統治したかったわけで、どこどこの国民だけを支配しようという思いなんて、なかったわけだ。


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カール5世


こうして、ハプスブルク家の“はさみうち”を受けることとなったフランスのフランソワ1世(在位1515〜47年)は大ピンチに。

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フランソワ1世


フランス王と神聖ローマ皇帝は、イタリアの支配権をめぐるイタリア戦争でするどく対立。

1520年には、フランソワ1世はイングランド国王ヘンリ8世会見し、共同で対抗しようと試みてもいる(結局失敗)。

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イタリア戦争は、イタリアの大国と小国を巻き込み、刻一刻と変化する複雑な国際関係を生み出した。

その過程で、1527年には神聖ローマ皇帝カール5世の軍隊がローマに侵攻。

ローマの美しい街並みは徹底的に破壊されてしまった。

これを「ローマの劫掠(ごうりゃく)」というよ。



かつて東方貿易で栄華を誇ったイタリア諸都市も、度重なる戦争によって衰えていった。

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「イタリア戦争」というと、「イタリアで起きた戦争」くらいのイメージしか浮かばないかもしれないけれど、この過程でするどく浮かび上がったフランス王家とハプスブルク家との対立は、その後、18世紀半ば(今から270年ほど前)までのヨーロッパの国際関係の重要な対立軸となっていくんだ。


なお、イタリア戦争自体は、1559年のカトー=カンブレジ条約で終結する。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊