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11.4.4 近代大都市文化の誕生 世界史の教科書を最初から最後まで

19世紀後半になると、ヨーロッパの強国の首都は、「その国がどれだけ工業化(=近代化)できたか」を誇るシンボルとしての役割を果たすようになった。


馬糞や汚物でぐちゃぐちゃだったロンドンやパリでは、しばしばコレラを初めとする感染症が大流行しており、それでは急増する人口を抱え込むことは物理的に不可能。




そこで、研究が進められていった公衆衛生学の知見、

それに最新の土木工学の叡智を集め、近代的な上下水道を普及させることで、飲み水と汚い水を分離させようとしたほか、

計画的な都市建設によって道路や都市の交通ネットワークが整備された。

パリではオスマン知事が街区の「大改造」を実行。現在のパリに放射状に広がる大通りは、このときに古い街路をとりこわしてつくられたものだ。



また、オーストリア=ハンガリー帝国の都ウィーンでも、都市をぐるっと取り囲んでいた壁がとりこわされた。
増加する人口に耐え、交通インフラを整備するには、あのウィーン包囲にも耐えた壁はもはや “ジャマ” でしかなかったのだ。

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数十万人規模の大都市にはおびただしい数の人々が集まり、「最新の商品のディスプレー」や「同じ情報」が都市をいろどった。

ロンドンには最初の地下鉄が開通し、近代的都市交通の先陣を切った。
1851年の第1回ロンドン万国博覧会につづき、

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パリ・ウィーンでも万博が開かれ、近代産業の発展によって首都がいかに様変わりしたかをまざまざと人々に示した。


こうした便利で快適な都市の生活環境の進展は、農村から都市への人々の移動を加速させ、首都だけでなく、中小都市の人口増加をもたらした。


大都市では近代的な改造に加えて、博物館・美術館・コンサートホールなどの文化施設、娯楽施設の拡充もすすみ、市民文化の成果を示す場となった。


20世紀にはいると発行部数を飛躍的に増大させた大衆向けの新聞によって、さまざまな情報が伝えられ、映画などの新しい大衆娯楽や、デパートなど大規模商業施設も普及しはじめる。

なお、世界最古のデパートは、パリの「ボン・マルシェ百貨店」だ。

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出典:有富智世「19 世紀後半のフランスにおける大衆消費の相貌 -ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』とロビダの諷刺画をめぐって」、『常葉大学経営学部紀要』5(1・2)、2018年、1-15頁。各部の拡大図あり。


19世紀の工業化によって、人々の多くは農業ではなく「工場での労働」にたずさわり、一部の産業資本家が労働者とは比べ物にならない富を築いていく時代となっていた。

一方、ショーウィンドウのディスプレーや、きらびやかな建物に彩られた大都市では、まるでそんな対立なんて存在しないかのような “豊かさ” がたくみに演出されていった。

社会全体が年々豊かになるにつれ、しだいに労働者の中からも経済的に余裕のある人も現れるようになり、19世紀末には、17〜18世紀に発達していった「市民文化」(生活に余裕のある都市の人々の文化)の中から、新しい現代の大衆文化(一部のセレブな文化ではなく、普通の人々 “みんな” に通用する文化)が姿を現すことになるよ。


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