世界史のまとめ × SDGs 第6回 王国の発展と金属貨幣の登場(前800年~前600年の世界)
SDGsとは―
「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解決するために、国連で採択された目標」のことです。
言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
17の目標の詳細はこちら。
SDGsの前身であるMDGsが、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
一見「発展途上国」の問題にみえるても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。
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6. 前800年~前600年の世界
Q. 各地で王による支配がすすんでいったのはなぜだろうか?
SDGs 目標16.1 あらゆる場所において、すべての形態の暴力および暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる。
歴史:さて、ユーラシア大陸では引き続き、遊牧民と定住民の関係を軸に様子をみていこう。
「遊牧」って何でしたっけ? 遊びながら牛を飼う?
地理:うーん、「遊ぶ」っていうか、「動く」といったほうがいいね。
なにも好きでやっているわけじゃない。
雨が降らない気候だから農業ができない。でも草くらいは生えるので、ラクダ、牛、馬、羊などにそれを食べさせて太らせ、その肉を食べ(→食料)、骨や皮を利用し(→道具)、乳を飲む(→水分)。
増え過ぎちゃっても草を食べつくしちゃって困るから、頭数を管理する技術も発達した。
家畜は「動く資産」だ。
それに合わせて人間も移動する。
組み立て式のテント(注:ゲル)には、家畜の皮でつくられた生地とか骨が使われるよ。
その遊牧民の活動が、歴史を動かす原動力になるわけですね。
歴史:そうだね。この時代になると、武器を持って馬に乗った兵隊をたくさん集め、広い範囲の草原を支配するリーダーが現れるよ。
定住民の中には、遊牧民の良いところを取り入れながら、より広い国を支配しようとするグループも現れる。
それに比べるとアメリカ大陸には武器を持った遊牧民がいないから、その分ゆっくりとすすんでいるようにみえるね。まぁ別に競争しているわけじゃないんだけど。
中央アメリカでは「巨大アタマの像」を建設した文明が有名ですね。
歴史:インパクトのある像だよね。
大西洋に面する現在のメキシコの人たちが、なんらかの目的でつくった像だよ(注:オルメカ文明という)。
この影響を受け、少し東でもピラミッドのような神殿が建てられ始めている。おそらく、巨大な建物によって「すごさ」を見せつけ、食べ物や珍しいモノをコントロールしようとした支配者が現れていたのだろう。
トウモロコシを育てているんですよね。
歴史:そうだよ。
現在のメキシコでは、しだいに農業を取り入れて大きくなる町も増えているよ。
南アメリカのアンデス山脈でも、トウモロコシやジャガイモの農業が盛んだ(注:チャビン文化という)。
チャビン・デ・ワンタル(ペルー)
地理:この地域の気候は太平洋の水温によって影響されやすい。
とくに赤道あたりの水温の変化によって地球レベルの複雑な仕組みがはたらく。
水温が高め(注:エルニーニョ現象)になるとエクアドルやペルーなどでは普通は乾燥しているんだけど豪雨になりやすくなり、逆に低め(注:ラニーニャ現象)になると雨があまり降らなくなる。
こういう気候の変化を敏感に感じとり、人々は「人間には計り知れない存在」を自然の中に読み取り、その考えをシェアしてみんなでお祈りをしたのだろう。
歴史:一方、ユーラシア大陸の草原地帯では、遊牧民が武器をもって馬にまたがり、広い範囲を支配する国をつくりはじめている。
もっとも強かったのは、ヨーロッパや西アジアのお隣さんに位置するスキタイという人たちの集まりだ。
ヨーロッパの歴史書には、「馬とともに生活している とんでもなく強いやつらがいる。彼らは農業をしない」という記録がのこっているよ。
強さの秘密は何ですか?
歴史:「すぐに動ける」ことだね。戦っていて不利になったら、別の場所に逃げればいい。土地にこだわらないので、ピンチになれば別のグループと「くっついたり、離れたりする」ことも簡単だ。
「土地との結びつき」よりも、「人との結びつき」が大切なんだね。だってひんぱんに「住所が変わる」からね。
「どこどこに住んでいる誰々」、というよりは、「あの有名なご先祖の子孫の誰々」というように個人を特定し、集団としてまとまることが多いんだ(注:共通のご先祖さまを中心にまとまるグループのことを、氏族とか、部族といったりする)。
ユーラシア大陸は広いよね。
各地の草原には、こういうグループがいくつもできて、言葉や文化の違いも生まれていく。でも遊牧というライフスタイルだけは、共通しているんだ。
歴史:朝鮮半島を通して日本に稲作が伝わったのはこの頃のことだ。当時の日本最先端の地は九州北部。新しい技術を受け入れ、強力なリーダーも現れるようになるよ。
有力なリーダーの中には、九州と朝鮮をまたにかける者もいた。
一方、その頃の中国では北方の黄河流域で、周という王国が広い範囲を支配している。
「ありがたみ」を感じさせることによる支配でしたよね。
歴史:そうそう。封建制(ほうけんせい)ともいうね。石のほうの遊牧民
中国の南のほうは、長江文明という別のルーツを持つ人々が国をつくっていたんだけど、この頃になると周の支配を受けるようになっているよ。
でも王様の位をめぐって仲間割れが起きたり、西の方からは遊牧民の攻撃も受けている。
どうして遊牧民の攻撃を受けるようになったんですか?
地理:人口増加に対応して、高原地帯(注:黄土高原)の森林が伐採されていった。それで、西のほうの遊牧民と出くわすことも多くなったんだ。
黄河の上流エリアには、西の砂漠地帯から風に舞って黄色い土が降り積もっている。農業には適する細かい砂や粘土(注:風成レス)なんだけど、それで川の色が変わってしまうくらい、木が切り倒されたってわけだ。
それで、中国の黄河流域の王様はどうなったんですか?
歴史:王様は東に王宮を移すことになったけど、この頃から王様の権威は落ちていく。
家来たちは国王をみんなでお守するふりをして、実際には家来の中で一番上の位につこうとして争うようになっていくよ。特に長江流域の楚(そ)という国は、自分がトップになろうとして何度も他の家来の国と戦争を起こすようになる。
周の王様は、しだいに「有って無いようなもの」になっていくんだ。
この周という国が、のちのちの中国のルーツになっていくんですか?
歴史:後世に大きな影響を与えたのは事実だけど、中国には南の大河(長江)流域にも、いくつもの文明が栄えていた。
巴蜀(はしょく)、荊楚(けいそ)、呉越(ごえつ)だ。
聞き慣れないですね。
歴史:中国の歴史は、北の王朝中心の書かれ方をしているからね。
でも実際には、南中国の文明も、その後の中国の「キャラ」づくりに大きな影響を与えているんだ。
その証拠に、現在でも南中国の言葉は、北中国とは違うよね。
今でも南北で大きな差が残っているんだ。
そもそも、王による支配が進んでいったのはなぜでしょうか?
歴史:王っていうのは、経済や宗教をコントロール下に置き、軍事力を掌握して大勢の人々を動かすことができる人のことだ。
どの程度まで経済や宗教をコントロールできるかというのはケースによって違うけど、自分の親族や子供に後を継がせる(注:世襲させる)ことがほとんどだ。
こういう人間が現れるよになったいちばんの理由はやはり技術の発達だ。
当時の人間にとって最も「硬く」て「万能」な素材といえば鉄だね。
すでに西アジアで作られていた鉄の製造法に関する情報は、すでにユーラシア大陸各地に広まっている(中国はまだ)。
…ということは、争いが増えますね?
歴史:武器として使えばそういうことになるね。
でも農具として使えば、土を深く耕すことができるようになる。つまり農業の効率がアップする。ということは余るほど小麦が取れるようになる。
たくさん食べ物がとれるようになると、それを輸出してビジネスでもうける人が現れる。
王としても、商人の力を無視することができなくなる。
いままでのように農民から税をとっているだけじゃ物足りなくなるわけだ。
社会が変化すれば、それに応じて価値観も変わる。
今までのようにみんなが農業をやっていた社会では、雨の神様にお祈りをすることができる神官が尊敬の的となる。
でも、ビジネスマンが活躍する時代になると、別に神官のお祈りなんて不要だ。それに生まれつき神官に生まれなければ、次の人生(生まれ変わりが信じられていたのだ)でも高い身分に生まれ変わることはできないなんて不公平だ。
本当に「生まれ変わり」なんてあるのか? あるとしても、神官の言っていることは正しいのか?
などなど、今までの伝統を疑う考え方も出てくるようになるよ(注:ウパニシャッド哲学)。
Q.金属のお金は、人間の「物との関わり」をどう変えたのだろうか?
SDGs 目標17.10 ドーハ開発アジェンダにおける交渉完了などにより、WTOの下での普遍的でルールに基づいた、差別的でない、平等な多角的貿易システムを促進する。
この時期の西アジアはどうなっていますか?
歴史:この時期にはメソポタミア(2本の川の地)の上流でアッシリアという王国が軍事力をパワーアップさせ、なんとエジプトからイランのほうまで広い範囲を支配する。西アジアでは当時史上最大の面積を支配した国ということになる。
いろんな民族を支配するのは大変ですよね。
歴史:言葉も考え方も違うからね。首都はメソポタミアの歴史ある大都市バビロンに置いた。こおに「空中庭園」といわれる植物園テラス付き高層宮殿を建設し、「すごさ」をアピールしたんだ。
そんなすごい建物、材料はどこから運んできたんでしょうか?
歴史:各地に拠点を持っていたラクダ貿易集団のアラム人に請け負わせたんだ。
当時の西アジアで取引をしようとしたら、アラム語が話せなければやっていけないほどだった。
アッシリアの支配に反抗する民族は「ふるさと」から別の場所に強制的に移住させたのだという。現在のユダヤ人のご先祖も、このときに故郷エルサレムからバビロンに連行されたらしい(注:バビロン捕囚)。
住民を強制移住させるなんて、手荒ですね。
歴史:現在でも、国家によって移住を余儀なくされてしまう人々は依然としているよね。
SDGs目標10.7 計画に基づき良く管理された人の移動政策の実施などを通じて、秩序の取れた、安全で一定的かつ責任ある移動やモビリティーを促進する。
結局、厳しい支配に対して各地で反乱が起き、アッシリアは崩壊してしまう。
エジプト、メソポタミア、イラン、それに小アジア(シリアからヨーロッパに突き出た半島のこと)にそれぞれ王国が立ち並ぶ4つの王国の時代になるよ。
このうちの一つ、現在のトルコがあるアナトリア半島に建てられたリディア王国では金属製のお金がつくられている。
人類最古の金属鋳造貨幣だ。
この貨幣の登場により、ヨーロッパ方面や西アジアとの取引が活発化していくことになる(詳しくは後述する)。
当時のヨーロッパはどんな状況ですか?
歴史:ヨーロッパでは鉄を手にした「ケルト人」という民族が、広い範囲で活動している。
地中海の周りでは「ギリシア人」や、あとあとにローマ帝国という巨大な国をつくる人々が国をつくっているよ。
歴史: ギリシアの中でも土地が狭く、農産物を自分でまかなうことができないところでは、海に乗り出して広い範囲でビジネスをする国(街のようなサイズの国)も現れる。
どうして農産物をまかなうことができなかったんですか?
地理:土地がやせているからだ。
この地域の土は、鉄やアルミニウムなどをたくさん含み、けっして養分が多いとはいえない(注:赤黄色土)。熱帯の赤土の一歩手前という感じの土だ。
なんでそんな土ができるんですか?
地理:石が、風・雨・熱によってバラバラになる(注:風化)すると、最後の最後にそういう土になってしまうんだ。
「作物のうまさは土によって決まる」。
この地域の石は石灰岩(せっかいがん)が多いので、カルシウムを含んでいるから農業向きだ。
どうして石灰岩が多いんですか?
地理:はるか昔、地中海のあたりには広い入江(注:テチス海)があってね、今よりももっと南にあって熱帯気候だった。
だから、さんご礁が発達。
そこが岩盤の移動によって北に移動され、陸地になった。
そういうわけで、さんご礁に由来する石灰岩が見つかるんだよ。
ギリシャでは例えばどんな国が発展したんですか?
歴史:例えばアテネだ。
こういうところでは、経済的に余裕のある人が増えていっているよ。
一方、土地が広くて自分で農産物をまかなえたところでは、戦争に負けた国の人たちを奴隷にして、厳しい支配をするよ。
例えばスパルタだ。
スパルタって、「スパルタ教育」のスパルタですか?
歴史:そうだよ。ギリシアの歴史書によると、すべての国民は男女問わず軍人として育てられていたようだ。
奴隷の人口が多いので、反乱を防ぐためだ。
お金が入ると、お金持ちと貧しい人が生まれて”鉄の結束”が崩れる。だから、ビジネスは禁止されていたんだ。武器や道具は外国人の商人から手に入れていた。
アテネはどんな感じですか?
歴史:土地が狭いから領土を拡大するわけにも行かず、外に出ていってビジネスをする人が多かった。
新しくつくられた港町の中には、アテネから独立した国のようになるところも現れたよ。
外に出てみると新しい価値観が生まれ、この世界の謎について考える学問(注:自然哲学)も盛んになるよ。
モノの取引が活発じゃないときは、モノの値段は高くなりがちだ。商品の数が少なく珍しいからね。
でも、この時期に「金属貨幣」の登場で商業がさらに盛んになるとモノの値段がいっそう安くなり、平民には手のとどかなかった武器がお手頃値段になった。
どうして金属貨幣が導入されると商業が盛んになるんでしょうか?
歴史:「安心」して取引できるからだよ。
お金自体は、ずーっと昔からあったことには以前触れたよね。
物々交換というのは、その都度で条件を決めなきゃいけないからめんどくさいよね。
そこで、いろんな物の価値を一気に指定できる「お金」が導入されたわけだ。
「お金」の素材としては粘土を丸めたものや、麦、貝殻など、いろんなものが使われたけど、「いつまでたっても、誰にとっても、それは「お金」である」ってみなされ続けるかというと、ちょっと心配だ。
そこで導入された新素材が金属だ。
誰が導入したんですか?
歴史:先に触れたように、現在のトルコが位置するところにあったリディア王国という国の王様だ。
ちょうど地中海とシリアやメソポタミアの間に位置するから、重要な貿易ルートに位置していた国だった。
王様はもともとは「税」を納めさせることによって、領域内の富を得ようとしていた。
だけど、各地で貿易が盛んになるにつれて、「物の取引」を利用することで富を得ることができないかと考えるようになったんだ。
で、どうしたんですか?
歴史:そこで、貿易ルートを活発化させようと考えた王様は、金の鉱山を押さえた。
それから金でできたコイン(もともと数十%の銀も含まれている)をつくり「これは“お金”だ」と宣言した。
王様は商人グループにその“お金”を提供して商品をゲット。
商人は、他エリアの商人との取引にもその“お金”を利用した。
リディアの“お金”を持っていれば、リディアの取引先の商品を手に入れることができるということで、しだいにその“お金”を使うコミュニティも拡大していくことになる。
それにともない王様は“お金”を追加で発行していった。偽物が出回らないように、ライオンの紋章と印が打刻されていたよ。
このように、権力者が発行する“お金”というアイディアは、周辺に広まっていくことになる。
そういうわけでアテネをはじめとするギリシャの都市国家群も、金属貨幣を発行することになったわけだ。
なるほど。商業が盛んになったアテネの社会はどう変わっていきましたか?
歴史:アテネに限らず、当時の人間社会では、自分たちの共同体を守ることができて、はじめて“一人前”とみなされることが普通だった。
つまり、武器を持って国を守ることが可能になれば、平民もそれ相応の発言権を求めるようになっていくわけだ。
ただ、平民には馬を飼うほどの余裕はないから貴族のようには戦えない。
そこでヨロイを着てタテを持ち、集団でヤリを持って戦う作戦を考えついた。この戦法は大当たり! 平民たちが時間を稼いでいるスキに、馬に乗った部隊が回りこんで敵の中心に切り込むことができたのだ。
平民たちが活躍すればするほど、ごほうびがもらえないと不満もたまりますよね。
歴史:そのとおり。平民のほしかったごほうびは、参政権だ。自分たちの声を政治に届けることだ。
当時は貴族が国のルールを独占し、平民は借金で苦しんでいた。借金を返すことができない平民の中には奴隷になってつぐなおうという人も現れる始末だ。
お金の取引が活発になると、社会は大きく変わっていきますね。
歴史:お金によって自由に物が取引できれば、たしかに物質的に豊かになるし、自由な取引が進めば進むほど基本的に経済の水準は高くなると考えられている。
現在の世界でも、経済の水準が低い国々にも配慮しつつ、どうすれば自由な取引を進めることができるか協議が続けられている(注:ドーハ開発ラウンド)。
でも自由な取引が進み、「成功」する人が現れれば、同時に「失敗」する人も出てくるよね。
借金のカタとして自分自身を奴隷にする人も現れるようになってしまった(注:ソロンの改革)。
そんな中、「成功」した平民は貴族に対して政治的な平等を要求するようになっていき、対立も深まっていくことになる。
お隣のイタリア半島にはローマ人が栄え始めていますよね?
歴史:ううん、この時代にはむしろエトルリア人という民族のほうが栄えている。イタリア半島の北部に都市国家をいくつも建設したけど、一つにまとまることはなかった。
ローマ人もはじめはエトルリア人の支配下にあったけど、のちにローマの街を中心に国を建てた。
神様や歴史などをみると、エジプトやギリシアからの影響を強く受けていることがわかる。
「エジプト」? ローマはヨーロッパの文化なのにどうしてですか?
地理:たしかにローマは今のイタリア。
イタリアはヨーロッパという地域に分類される。
でも、ローマは地図でみると、地中海を越えればすぐにエジプトだよね。
当時の最先端の文明はエジプト周辺にあったわけだから、ローマはその影響を受けないわけがない。
ただ、この地域のおもしろいところは、影響を受けながらもオリジナリティ豊かな文化を発展させていったところだ。
どんなオリジナリティですか?
歴史:エジプトには強大な王がいたよね。
でもローマではその反対に、「王」が支配できないような仕組みがつくられていったんだ。
じゃあ、誰が支配していたんですか?
でも、政治に関わることができたのは、広い土地と多くの奴隷を動かすことのできた「セレブ」(貴族)だ。
貴族は「手下」を従えて重要な職を独占する一方、「一般ピープル」の平民のできることは限られていた。
例えば、トップの役職(注:コンスル)は貴族が独り占めしているし、貴族オンリーの国会(注:元老院)は、コンスルのOB(経験者)が独占する状態だった。でも、トップの役職(注:コンスル)も定員が2人で、王様の出現を防止するため子供への世襲は認められていなかった。
だけど、戦争といったやむをえない緊急事態のときには、トップを1人にして独裁をしてもらう場合もあるよ。
(*第7回に続く)
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊