同時に学べる!地理と世界史 Vol.5 前1200年~前800年の世界
生活環境の違いを越えた協力と対立②
前回から、ユーラシア大陸のあちらこちらで遊牧民の動いた影響が出ていますね。
歴史:そうだね。違う個性がぶつかり合って、新しいものが生まれるのもこの時代の特色だ。
アメリカ大陸でも農業エリアが広がって、世界各地でいろんなライフスタイルの人たちの住み分けができつつあるね。
例えば…?
ユーラシア大陸の北の方の寒冷エリアでは,狩猟・採集をしながらの移動生活。主食はオットセイやアザラシ。
草原地帯では,おなじみ騎馬遊牧民。
内陸の乾燥地帯では,オアシス(湧き水を利用した町)で定住農耕・牧畜を営む人々。
大河流域にでは,移動せずに暮らす人々
海に近いエリアでは、釣りや貝採り、運送業や商売をする人々…のように。
それぞれ「固定的な職業」のようなものではなく、人々は気候に対応して柔軟にライフスタイルを変更していった。
例えば気候の乾燥化が進むと、農業ではなく遊牧に転換する人々も現れているよ。
みんなが同じような歩みを進めていったわけではないんですね。
歴史:そうだよ。“違い”があるからこそコミュニケーションが生まれ、コミュニケーションが生まれるからこそ、人類の新しい可能性が互いに引き出されていったわけだ。
もし全部が同じ条件だったら、そもそも交流や交換なんて起きないよね。
自分に足りないものを相手に求めるからこそ、交換がうまれるんだ。
軍事的な強さにも差はありますよね? 遊牧民には馬の力がありますし…
歴史:その通り。
この時代には、ユーラシア大陸の中央部で「雨のあまり降らない草原地帯」が拡大し、遊牧民が武装するようになっていく。
どうしてこの時代に変化が起きたんですか?
地理:この時期のはじめと終わりごろに特に寒い時期があったようだ。太陽の活動が弱まったことが原因だという説もある。
遊牧民が武装するようになったのには地球の乾燥化が大きく関わっているんですね。
歴史:あくまで仮説だけどね。
気候と歴史に関する研究は、まだまだ始まったばかりだ。
一方、経済的には定住民のほうが豊かだから、遊牧民は定住民と協力する必要がある。どんなコミュニケーションが生まれているか、あとで各地の様子をみてみよう。
従来の文明がユーラシア大陸の乾燥エリア中心だったのに比べて、この時期には草原地帯の遊牧民が加わって、バラエティが豊かになりますね。
歴史:そうだね。
遊牧民と定住民。
どちらも人間の歴史にとって重要な役割を持つ人々だ。
この時期には、今まで栄えていた文明が崩壊し、新しい文明が生まれる時期にあたる。例えば地中海の沿岸では「海の民」と呼ばれる集団が移動しているし、ヨーロッパの北のほうにいたゲルマン人もこの頃、南のほうに移っている。
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●前1200年~前800年のアメリカ
「トウモロコシ」のサイズが大きくなってきたようですね。
歴史:品種改良の成果だ。これでより多くの人を養うことができるようになるね。
とくに中央アメリカでは大きな町がにぎわいをみせている。土器もつくられるようになっているね(注:マヤ先古典期)。
どうしてこの時期に大きな町ができ始めたんでしょうか?
地理:地球レベルの寒冷化・乾燥化に対応した結果とも考えられる。
農業がさかんになり人口も増えると、限られた資源を分け合うために「身分の差」が生み出され、「神殿」を中心とする人々の「まとまり」が生まれていくようになった。
南アメリカ大陸では高い山で文明が見えますね。
歴史:アンデス山脈の文明だね。
この地域は、海から山まで一気に駆け上がるような地形になっている。
海の近くでは魚介類がとれるし、山の上ではジャガイモがとれる。
高度によって手に入る植物・動物が変わるので、その取引きをコントロールする人が現れたわけだ。
海岸近くには神殿が建てられ、エリアごとに支配者が現れている。
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◆前1200年~前800年のオセアニア
歴史:この時代には、オセアニアの南西部(北を上にして左下)にまで、人間の進出がすすんでいるよ。
一方、オーストラリアでは引き続き狩猟と採集生活がおこなわれている。
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●前1200年~前800年の中央ユーラシア
歴史:この時期のユーラシア大陸の草原地帯には鉄器が広まっていく。
鉄でできた武器を持ち、馬にまたがった遊牧民は「騎馬遊牧民」(武装した馬に乗った遊牧民)にバージョンアップ。
定住民にはとてもかなわない。
ユーラシア大陸の西部(北を上にして左側)の“ヨーロッパのお隣”ではスキタイ人というグループが騎馬遊牧民のルーツともいえる文化を編み出していた。
地理:彼らが暮らしていたウクライナというところは、栄養分のある黒色の土(注:黒土、チェルノゼム)が広く分布しているから、定住して小麦などを育てる人々もいた地域だ。
で、彼らの技術は、他の地域に広がっていったわけですか?
歴史:そう。
草原地帯は東西に途切れ途切れに続いているから、スキタイ人のアイディアは急速にユーラシア大陸の反対側(東側)へと広まっていく。
中国の北の方の遊牧民も、馬にまたがって戦うための新技術(馬の上に座るためのサドルや足掛けなど)をみてビビったのだろう。次の時代にはスキタイの技術を導入して、広い範囲を支配する遊牧民の王が現れることになる(注:「匈奴」(きょうど))。
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●前1200年~前800年のアジア
◇日本
歴史:日本は縄文時代の終わり頃にあたる。
縄文土器の形も地域によってはお茶を注ぐ「急須」のようなタイプ(注:注口土器)が現れるようになる。
神社でお神酒(おみき)が儀式に使われているように、その後の日本の文化とも関わりがあるかもしれないね。
地理:この頃すでに日本でも稲作が始まっていたという研究もある。すでに朝鮮半島では始まっているね。
これも、地球レベルの寒冷化・乾燥化に対応した結果とも考えられる。
◇中国
歴史:中国では黄河流域で殷という王国に代わって、「周」という国の勢力が強くなっていった。やはり気候変動が背景にあるようだ。
周の王様はどうやって人々を支配したんですか?
歴史: 「殷」の王様は、神様の気持ちを聞くことで人々を支配していたよね。
都市国家がいくつも連合した形をとっていたようで、王様は「親から子、子から孫」に引き継ぐのではなくて、有力な「家柄」(注:氏族)によって担当されていたようだ。
「たった一人」の王様による支配ではなく、「親戚どうし」による集団的な支配体制だ。
一方、新勢力である「周」も、家来たちに土地や位を与えるときには、必ず盛大な儀式を行った。
「ご先祖様」が神様としてまつられ、ご先祖様に報告する形で、王様と家来との間に「特別な関係」が約束されたんだ。
この儀式によって王様から家来には、土地や住民、財産やステータスが与えられた。その宝物にはピカピカに光る青銅器も含まれていて、そこには漢字(今とは字体がちょっと違う)が彫られていた。漢字入りの青銅器は周の王様だけがつくることのできる、めちゃめちゃステータスの高い品物だ(注:威信財)。
そりゃ当然家来は「ありがたい」と感じるわけで、その「ありがたみ」によって国を支配しようとしたのが周のうまいアイディアだった。
ちなみに「中国」という言葉は、はじめは周の王様が直接支配していた土地のことを指していたんだけど、しだいに周の王様の文化を受け入れたに地域全体を「中国」と呼ぶようになっていった。
ちなみに周の王様につかえた家来たちも、それぞれ自分たちの祖先を神様として大切にしていた。今の日本の「家族」よりもはるかにたくさんの人を含む「宗族」(そうぞく)という一族の結束が、重んじられていたんだ。
周の王様の「ありがたみ感じさせ作戦」は長続きしたんですか?
歴史:ううん。やはり時間がたてば「ありがたみ」も薄れるよね。中国は広いし。
王様をなめる家来が現れたり、西の方から遊牧民のエリアが広がってきたりと、しだいに周の支配は揺らいでいくことになる。
○前1200年~前800年のアジア 東南アジア
歴史:東南アジアでは中国に近い方は、その影響を受けるようになっている。まだ強力な支配者は現れていない。
東南アジアって、暑いイメージがあります。
地理:そうだね。赤道(北極と南極を結んだ線のちょうど真ん中の地点をつなげた線)の近くになるととくに暑い。
こういうところでは、宇宙空間にある地球に対して、太陽の光が高めの角度から当たる。
だから、地面がものすごく温められ、午後から夜にかけて激しい豪雨(注:スコール)が降り注ぐことがあるよ。
一年中暑いから、気温の変化は少ない(注:気温の年較差は小さい)けど、一日の気温変化は大きい(注:日較差は大きい)。
じゃあ、ジャングルが生えるようなイメージでいいんですかね?
地理:ジャングルが生えるのは、一年中気温が高くて雨が振りまくる気候だ(注:熱帯雨林気候区、Afという記号で表す)。本当に赤道の周辺地帯のエリアだね。
でももうちょっと北のほうに行くと、一年のうちにあまり雨の降らない時期を持つようになる(注:サバナ気候区、Aw)。こういうところでは、雨の降る季節には長めの草が広がり、乾燥に強い幹を持つ木がパラパラ生えるエリア(注:サバナ)となる。
カンボジアの大部分はサバナ気候である(「髙嶋政宏の旅番長」)
どうして季節によって雨の降る降らないっていう差ができてしまうのですか?
地理:地球が微妙に傾きながら、太陽の周りをまわっているからだ。
太陽のほうに向かって傾いている時期と、太陽と反対側のほうに向かって傾いている時期とでは、太陽からの光の当たり方に差がでる。
そういうわけで赤道からちょっと北の地域では、雨が降る時期(注:雨季)と降らない時期(注:乾期)に分かれるんだよ。
このエリアは農業に向いているんですか?
地理:まず、そもそも動物の種類が豊富だから、狩りや採集だけでも小さなグループで活動するのであれば十分やっていける。
もし人口が増えて農業したくなったら、森に火をつけ、灰を肥料にして農業をする。で、しばらく土地を休ませて、別の場所で農業をする。これを、焼畑農業というよ。
どうして火を付ける必要があるんですか?
地理:土に栄養分があまり含まれていないからだ。
雨がとにかく降るから、枯れた木や動物の死骸はすぐに微生物とか昆虫に分解されてしまう。それもすぐに雨によって流されてしまうから、土ができない。
太陽の光も強く、岩の成分も粉々に分解されて粘土とか泥になって雨で流されてしまう。だからこの地方を流れる川は茶色いんだ。これじゃあ土はできない。
赤茶っぽい川の色(ベトナムのメコン川)
さらに、植物にとっての「ご飯」となる土の中の栄養分は、水によって下の方に運び去られてしまう(注:溶脱作用)。
そうなると、土にはもはや栄養分がほとんどない鉄やアルミニウムくらいしか残らない。それじゃあうまい具合に「栄養分豊かな土」にはなってくれない。この赤い土のことをラトソルというよ。
こういうところの植物は、生きのびるために養分を自分の体に溜め込むしかないわけだ。
なるほど。水がありすぎるのも大変なんですね。
○前1200年~前800年のアジア 南アジア
南アジアには前の時代に、ユーラシア大陸の草原地帯から遊牧民が移住してきていましたね。
歴史:そうだね。彼らは雨がたくさん降る東の方(北を上にして右方向)へと移動し、農業を基盤とする生活を送るようになっていく。
どうして農業をするようになったんですか?
地理:おそらくここでも寒冷化した気候に対応し、食糧確保のために生活スタイルを変えたのだろう。
歴史:彼らの社会は4つの身分に分かれていた。
大変な農作業にあたるのはそのうちの一番下の身分だとされた。
農作業はどんなふうにやっていたんですか?
歴史:この時代には鉄器が導入され、ウシに鉄製の犂(すき。フォークのような形をしている農具)をガリガリ引かせて、固い土を効率良くやわらかくすることが可能になっていった。
いまから250年前に蒸気機関が発明されるまでは、動物の力が地球でいちばん大きな動力のひとつだったんだ。
テクノロジーが転換すれば、社会の中身も変わる。
新たなテクノロジーの導入によって農業の効率が高まれば人口が増え、余るほどの食料もつくれるようになる。すると土地をめぐる争いも起き、戦争を勝ち抜いた軍人が王になった。後の時代に語り継がれる大戦争も起きたらしい(『マハーバーラタ』というお話になる)。
王は自分が「えらい」ということを、神様への儀式をおこなうことができる神官に認めてもらったから、王の身分は上から2番目だ。1番上の位はあくまで神官だ。
○前1200年~前800年のアジア 西アジア
ここまで、西アジアはユーラシア大陸“最先端”の文化を生み出してきましたね。
歴史:たしかに。
でも、いったんこの時期に、すべてが「リセット」されてしまうほどの大打撃を受けるんだ。
すべてが“リセット”ですか…なぜ?
歴史:どうも、さまざまなところから難民が押し寄せて来たようなんだ。
しかも、最強の武器である鉄器を持って。
特に鉄器を持ち船に乗って沿岸に上陸した集団がいた。正体不明なので「海の民」(うみのたみ)と呼ばれるけど、たぶん今のイタリア沿岸部のあたりにいた人たちではないかといわれている。
小アジア(注:今のトルコあたり)のヒッタイト王国が滅んだのも、エジプトの新王国が衰えたのにも、彼ら「海の民」の影響があるんじゃないかといわれている。
でも、ヒッタイトとエジプトの大国が滅んだということは、今でいえばロシアとアメリカが同時に滅んでしまったようなもの。
とくにヒッタイトとエジプトが取り合っていた現在の「シリア」のあたりは、東の方から地中海に向かうビジネスルートに当たるということもあって、地中海のビジネスと、東の方面の陸上ルートのビジネスを独り占めにしようとする民族が、ここぞとばかりに進出しようとした。
結果的にどうなったんですか?
歴史:地中海のビジネスはフェニキア人という民族が、各地に港町をつくりまくって活躍する。活躍しまくったもんだから、彼らがコミュニケーションのために既存の文字を改良して編み出した「アルファベット」は、のちの「ABC…」の元になる(注:フェニキア文字)。
陸の方はアラム人という民族になる。彼らは武装してラクダにまたがり乾燥地帯を股にかけた。当時の西アジアではアラム語が国際ビジネス共通語(今の英語のような言葉)、つまりアラム語がわからなければビジネスができなかったほどだ。
当時は警察なんていないから財産は自衛しなければならない。こうしたビジネス民族は自分たちで国を建てることができるほど強力だったんだ。
ただ、国を越えてビジネスするには、いつの時代にもその土地の権力者のご機嫌をうかがうことが重要だ。
海のフェニキア人も陸のアラム人も、のちのち様々な権力者によって保護を受けることになる。
同じ頃、今のユダヤ人のルーツとなる民族が、シリアの南のパレスチナというところで国をつくっている。たいていのことは『聖書』という本に記録されているけど、歴史的な事実かどうかはわからないことも多い。
イランの方はどんな感じですか?
歴史:イランのほうでは、南の沿岸部にエラムという大きな国があって、西のメソポタミアに何度もちょっかいを出している。
一方、北からやって来た遊牧民(アーリヤ人)の一派も、しだいにイラン各地に広がっているね。
この時代にはなんらかの事情があって、「神様に関するストーリー」が新しくつくり直されている。ある有名な神官によるもので、この世は2つの神様(良い神様と悪い神様)が戦うことによって成り立っているという説明は斬新で、多くの人をひきつけている。
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●前1200年~前800年のアフリカ
アフリカでは新王国が衰えていますね。
歴史:さっき見た「海の民」のせいだね。
王様のパワーよりも、神様をまつる神官グループのパワーのほうが大きくなったのも理由のひとつだ。
それからというもの、エジプトを「統一」することのできる王国は現れず、「バラバラ」な時代が続くよ。各地から豊かなエジプトを求めていろいろな民族がやって来て、支配するようになるからだ。それにもともとエジプトは、上流と下流との間に対立があるからね。
ほかの地域はどうですか?
歴史:アフリカの真ん中付近で大きな動きがあるよ。
バンツー語という種類の言葉を話すグループが、アフリカの東や南の方向に向けて大移動を開始するんだ。
彼らは鉄器を持ちウシを連れ、ヤムイモやモロコシを栽培しながらサバンナづたいに広がっていくよ。
どうして移動することになったんですか?
地理:気候変動によりサハラ砂漠が乾燥していったことが原因なのではと考えられている(注:砂漠化)。
サハラ砂漠の南側には、まばらな草原地帯が広がっているだけで、木は生えない(注:ステップという乾燥草原)。それぐらい雨が降らないんだ。
あまりに雨が降らないと、乾燥に強いとされるモロコシ(ソルガムともいう)でも、育てることが難しくなってしまうし、ヒツジやヤギもほっとけばわずかな草を食べつくしてしまう。
歴史:彼らの移動には、こういう背景があったんじゃないかと考えられているよ。
だけど、移動はユーラシア大陸のようにスムーズにはいかない。
なぜ移動がスムーズにはいかないんですか?
地理:アフリカは中央部に、雨がものすごく降って気温も高く、うっそうと茂る密林地帯があるからだ(注:熱帯雨林気候)。
地域特有の病気(注:眠り病)も発生しやすく、危険な野生動物も多い。
午後になると毎日のように激しい豪雨(注:スコール)が降るし、土も酸性だから農業には向かない(注:ラトソル)。
この気候の周辺部には、1年にうち雨があまり降らない時期を持つ気候が分布している。
乾燥シーズンが1~3か月の場合、生えている木々の葉っぱはその時期になると落ちてしまう(注:熱帯モンスーン気候、Amという記号で表す)。
ただ、雨のシーズンに降る降水量はハンパない。このエリアでは、季節風が山にぶつかるところで、雨がたくさん降ることが多い。
乾燥シーズンがもっと長く続く場合は、雨の降る夏には背丈の高い草原が生えるけど、乾燥シーズンには枯れていまう。バオバブやアカシアのような木がパラパラ生えているよ。
こういうエリアを「サバナ」という(注:サバナ気候、Aw)。
バオバブって何ですか?
地理:乾燥に強い、実のなる木だよ。実は食用になるし、葉っぱは調味料にもなるよ。重要な水分の補給源だ。
バオバブの木 Photo by 2Photo Pots on Unsplash
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●前1200年~前800年のヨーロッパ
歴史:ヨーロッパにはケルト人という民族が、青銅器を基盤として文化を発展させている。彼らはユーラシア大陸の中央部の草原地帯にルーツをもっているようです。現在のイタリアも、人口が増えてにぎやかになっています。
地理:地球全体で気候が寒くなっていたことから、北ヨーロッパにいたゲルマン人が南のほうに移動している。今のドイツ人やイギリス人などのルーツになる言葉を話していた民族だ。
大きな国はできないんですか?
歴史:ギリシャの沿岸では、地中海の貿易で栄えた街が、国に発展しているよ。
広い範囲を支配したわけではないから、「都市国家」(街みたいな国)というんだ。
ギザギザの海岸が多く、山が海岸の近くにまでせまっているから平野が少ない。大きな川もない。
だから、発展して人口が増えると外に進出するしかない。
どうしてギザギザの海岸になってしまうんですか?
地理:リアス海岸といって、川が削ったV字型の谷(注:V字谷)に、海面が上昇して水が入り込んでできたんだ。大地の動きにより陸地が水に沈むことを沈水(ちんすい)という。
ギザギザになっているところの奥は波が静かだから、港づくりに向いている。
ギリシャの海 Photo by Val Vesa on Unsplash
じゃあ、ギリシャの人たちは地中海の貿易を独り占めですね!
歴史:そうもいかないんだ。
ライバルがいる。
シリアの港町の勢力だ。
地中海の西のほうに進出して、莫大な売上を独り占めにする王が、地中海のど真ん中に国をつくっている(注:カルタゴ)。
ここにギリシャとシリアとのビジネス合戦が始まるんだ(注:シリア沿岸にはフェニキア人という人たちがいた)。
「シリア」ってどこですか?
歴史:シリアは地中海の東の端っこ(北を上にして右端)にある。
土地が狭いので、地中海を西へ西へと進んでいったわけだ。
地中海のど真ん中の都市は、始めはシリアの本部に対する地中海中部支部のようなものだったけど、次第に“のれん分け”されて独立勢力として発達していくことになる。
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