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同時に学べる!世界史と地理 Vol.4 前2000年~前1200年の世界

生活環境の違いを越えた協力と対立①

歴史:この頃のユーラシア大陸の大事件は、草原地帯の遊牧民(移動して暮す必要のある人々)の大移動だ。
 彼らは海岸近くや川などに拠点を移していき、定住民(移動せずに暮らしている人々)の住んでいる地域を支配するグループも現れるんだ。


どうして場所によって気候って違うんですか?

地理:地球はボールの形をしているよね。
 だから「太陽からの光の受け方」は、中央付近のほうが大きく、北極と南極に近いところになるほど小さくなる。
 それにともなって、風の流れや海の流れが変化を受け、それによって雨の降る・降らないという違いが生まれるんだ。


どうして「風」って生まれるんですか?

地理:空気には、温度によって上昇したり、低いところに下がったりする性質がある。
 「熱を受けている部分の空気」は空へ上昇するけど、上がっていくにも「限界」がある。

空の限界?

地理:そう。
 地球のまわりを覆っている「空気のかたまり」の「天井」だ。

そこまでしか「上昇」できないので、どこかに「下がれるところ」を探して下がる必要がある
 つまり、ざっくりいえば、「上昇しているところ」から「下がっているところ」に向けて、空気が「大移動」をしていると見ることができる。
 これが、地球に吹いているもっとも大きなスケールの「」だ(注:恒常風)。

なるほど。

地理
:風の向きは、地形や地球の自転の影響(注:傾度風)も受けつつ、おおまかにはこの図のような大きな流れがあるんだよ。

歴史:それでは各エリアの様子をみていくことにしよう。

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●前2000年~前1200年のアメリカ

歴史:北アメリカの大きな川(ミシシッピ川)沿いでは巨大なお墓がみつかっている。リーダーの力が強くなっていたのだろう。

 でもこの時代にもっともにぎやかだったのは中央アメリカだ。現在のメキシコがある高原地帯や、メキシコの南部などにトウモロコシ、カボチャ、トウガラシの栽培によって栄える文明が生まれるんだ。
 文字を持ち、太陽にもとづくカレンダーも作られ、ピラミッドも建設された。

中央アメリカって、気候的にはどんなところなんですか?

地理:乾燥している。
 サボテンやアカシアなどのトゲをもった背の低いに木とか草がまばらに生えているところ(注:有刺灌木林(ゆうしかんぼくりん))や、砂漠のようなところもある。

歴史:だからこそ、貴重な水を利用して集中して農業をする必要が生まれ、それをコントロールしようとする指導者もあらわれるようになったわけだ。

 また、メキシコの大西洋に面する地域では、オルメカ文化を共有した人々の痕跡が残されているよ。ヘルメットをかぶったアメフト選手のような巨大な頭の像が多数のこされていてとっても印象的だ(なんと18トン!)。

 南アメリカではアンデス山脈周辺に、トウモロコシやジャガイモの栽培や家畜の飼育、魚介類の釣り・採集にもとづく文明が栄えているよ。
 ここでも神殿がつくられていて、地域ごとにリーダーがいたようだ。

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●前2000年~前1200年のオセアニア

 
歴史:オセアニアの島々には、台湾のあたりを出発点とする人々の移動が続いている。

 彼らはアウトリガーカヌー(本体の横に、安定させるための浮きが付いている船)をつくって、星座によって方角を読むことができた。

 島から島へ数千キロも離れた距離を移動し,東南アジアを起源とするタロイモ(日本のサトイモのような芋),ヤムイモ(日本のヤムイモのような芋)の農耕や,ココヤシ,パンノキ,バナナなどの果樹の栽培,イヌ,ニワトリ,ブタの牧畜を行っていた。ヤシの木の皮を敷き物や船の帆として編んだり,体にタトゥーを入れたりする文化も特徴的だ。
 ディズニー映画の「モアナと伝説の海」にも,ニワトリやブタがサブキャラとして出てくる。でも一見“楽園”のように見える“南の島”の生活は,実は過酷だ。


どうして南の島の生活は過酷なんですか?


地理
:特にサンゴ礁の残骸が固まってできた島では土がやせていて農業が難しく,水の確保も大変だ。
 それに比べると島そのものが火山によってできている島のほうが、火山灰を含んだ土は農業に適している。といっても狭いから、強いパワーを持った王は現れにくいんだ。

歴史:ちなみに、オーストラリアの人たちは、前の時代に引き続き外の世界との交流はほとんどない。狩りを営む生活も続けられていた。

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●前2000年~前1200年の中央ユーラシア

歴史:遊牧民の文化は、ユーラシア大陸の広いエリアに広まっている。


どうしてこの時期に、遊牧民の活動エリアは拡大していったんですか?


地理
: この時期には地球全体が寒くなった時期に当たると考えられている。

 すると、ユーラシア大陸では全体的に乾燥化が進んでいく。



どうして寒くなると乾燥するんですか?


地理: 寒くなると空気は低いところにとどまりがちになる。
 空気というは、温められると急速に空に舞い上がる。
 そのときに雲がつくられ、雨が降る。

 逆に言えば、寒いところでは空気が高いところに上がりづらく、雲ができにくい。だから雨が降りにくいわけだ。


 この時代には、そのような乾燥エリアが従来よりも拡大し、ユーラシア大陸だけでなくアフリカのサハラ砂漠でも乾燥化が進んだと見られている(ただ乾燥の進み具合は地域によって差はあるし、逆に雨が降るようになったところもある⇒同じ時代の中国)。

 西のほうでは、西アジアに入り込み定住民を支配下に置く国も現れる。
 南のほうでは、インドに入り込み、もともといた定住民を支配下に置いている。
 東の方では、中国の「周」という王国にも影響を与えているようだ。



ユーラシア大陸の北のほうには、大きな国はできないんですか?

地理:なかなか難しいね。
 気候が寒いから農業に向かず、動物の狩りに依存することが多い。
 その南の針葉樹林(注:冷帯林)の広がるところも、土が白っぽくて(注:ポドゾル)農業には向かない。

 狩りで集団が生き延びるためには50~100人の群れがいっぱいいっぱいだ。
 そういうところでは、食料や物を貯めこんで多くの集団をコントロールするしくみは作られにくいよね。

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●前2000年~前1200年のアジア

歴史:この時期、日本では縄文時代が続いている。

地理:土器の材料は「どんな土でもいい」ってわけじゃない。
 東日本だったら「関東ローム層」っていう火山灰が降り積もってできた層の下にある、粘土の層を使うんだ(注:常総粘土層)。これなら普通の土よりもはるかにコネやすい。

関東ローム層って何ですか?

地理はるか昔に、主として富士山が大噴火したときの火山灰が降り積もってできた地層だよ。
 その下の常総粘土層という地層も、箱根などの火山灰が、陸地に降り積もってできた地層だ。
 つまりどちらも「今の日本列島」ができあがってから降り積もった地層ということだ。

歴史:ユーラシア大陸の東部、中国に小麦や大麦が伝わったのはこの頃だよ。 

中国は広いから、場所によっていろんな気候がありますもんね。

地理:そうだね。
 現在の中国では、北のほうは寒くて乾燥していて、降水量は1000mmよりも少ない。小麦、大豆、雑穀が人手をかけて育てられているよ(注:アジア式畑作農業)。

 南のほうは夏場の季節風の影響を受け、雨がとってもたくさん(注:年間1000mm以上)降る
 土地に対する収穫量の割合はとても高い(注:土地生産性が高い)。
 南のほうの農業(注:アジア式稲作農業)は「狭い土地でたくさんの人が作業をしてお米を育てる」ことが特徴で、「1年に2回も収穫が見込める」ところもある(注:二期作)。

昔から小麦やお米作りが盛んなんですね。昔からそうだったんですか?

歴史:長江の下流は堤防をつくるのが難しく、台風などで洪水や土砂災害の危険もある。
 安全な農地として開発されていくのは、もっとずっと後のことになる。

地理: 当時は世界全体で寒冷化が進んでいた時期だったと考えられている。
 風の動きが地球レベルで変化し、中国では「夏の季節風」が強まって、寒くて雨のたくさん降る気候になっていったとみられる。


雨が降ることって良いことなんじゃないですか?

地理:でも降りすぎても困るよね。
 雨がたくさん降るようになったため、洪水が多発。
 生活ができなくなってしまう集落が増える中、黄河の中流はその被害をまぬがれたようだ(注:明石茂生「気候変動と文明の崩壊」57頁)。


どうやって被害をまぬがれたんでしょうか?

歴史:たくさんの穀物を栽培するには水がたくさん必要だが、暴れ川として恐れられていた黄河(こうが)の水を安全に利用するには、大掛かりな堤防工事が必要だ。この工事を仕切ったリーダーが、国王にのし上がっていったのではないかと考えられているよ。中国では皇帝のシンボルは「龍(ドラゴン)」で表されることが多いけれど、これはもともと暴れ狂う「川」の水を表しているともいわれている。

 この時期に力を付けた支配者のひとつが、のちの中国の王国につながっていくのではないかと考えられているけど、それとは関係ない別個の文明だっていう説もある。
 中国の学者たちの中には、すでにこの時期に夏(か)という最古の王国があったんじゃないかとも考えている。「正しいかどうか」判断するポイントが日本と中国の学者グループの間で違うので、日本では認められていない説なんだけど。


どうしてそんなに「起源」にこだわるんですかね?

歴史:国の歴史が古いほど、「立派な国」だっていう考えがあるようだね。
 のちのちの中国にできた国も、「自分のルーツは夏(か)だ!」って言いたがったわけだ。」って言いたがったわけだ。


 一方、日本では「」(商)という王国が中国最古の本格的な王国だといわれている。
 大規模な王宮や王の墓(注:殷墟)もみつかっていて、王は占いにより「神の気持ちを聞く」形をとって、人々を「納得」させて支配していたとされている。占いの結果は文字に表された(注:甲骨文字)のだが、これは現在の漢字のルーツだ。


 王は親戚や部下に町を支配させ、武器や農具として青銅器がつかわれていました。
 お金としてはタカラガイという南の島でとれる貝がつかわれている。

 いずれにせよ、中国には「たったひとつの文明」があって、それが「直線的」に「交替」していったわけではないことはハッキリしてきている。




◇前2000年~前1200年のアジア  東南アジア

歴史:東南アジアにはこの頃、中国から稲作が伝わった。山が多く雨の量もハンパないので、農業をやるときにはまず草むらや森に火を放ち、その灰を肥料にする。これを焼き畑という。
 米づくりには十分な雨量が必要だから、東南アジアでは焼畑による稲作が広まっていった。

 米づくりにより人口が増えると、山あいの谷などを単位にしてリーダーが現れる。彼らは中国から伝わった最新鋭の青銅器のつくりかたをモノにし、青銅器製のドラムをつかった儀式で人々を支配しようとしたんだ。青銅器は今でこそ錆びてしまって青っぽいけど、当時はキラキラ輝く宝石のような外見だった。魔法のようなモノを見せびらかすことによって、人々に「すごい」と思わせる作戦だね(注:ドンソン文化という)。
 


◇前2000年~前1200年のアジア  南アジア

インダス文明ってありましたよね。どうなっていますか?

歴史:環境悪化でインダス川の都市が見捨てられた後、北西(北を上にして左上)のほうから遊牧民がやって来る。


「環境悪化」って?

地理:偏西風の吹き方が強まって、雨がたくさん降るようになって、洪水が多発したんじゃないかとも考えられている。


北西からやって来たのって、草原地帯の遊牧民ですね?

歴史:そう。
 彼らの話していた言葉にはヨーロッパとの共通点があるよ。
 インドは農業に適した気候だから、彼らはしだいに定住生活へとライフスタイルを変えていくけど、彼らの世界観はそのまま残された。


 人間を4つのランクに分け、一番上のランクが儀式をおこなうことで、神様たちを喜ばせるんだ。その儀式ではキャンプファイヤーみたいな炎が焚かれ、呪文(注:ヴェーダ)が歌われる。神に対するお祈りが、をメディアにして行われたようだ。いけにえとして動物がささげられたんだ(この宗教をバラモン教という)。



◇前2000年~前1200年のアジア  西アジア

歴史:今のイランがあるところにも、北方からの遊牧民が移動して来ているね。


イランはどんなところなんですか?

地理:イランは高原地帯で、ほとんどが乾燥エリア(注:砂漠気候、ステップ気候)だけど、西アジアの中心地であるメソポタミア(2本の川が流れる地)とユーラシア大陸の草原地帯、インドを結ぶ中間ルートにあたる重要地点だ。
 地下水の湧き出るところ(注:オアシス)には人が住めるから、そういうところには都市ができる。
 そこに周辺から遊牧民が家畜からつくった品物・食品を持ち込むことで、「お互い様の関係」ができあがる、というわけだ。
 遊牧民は組立式のテントに住み、ヒツジ、ウシ、ヤギ、ラクダを連れ、草や水、それに定住民の持つ品物を求めて移動する人々だ。


歴史:この時期には宝石や真珠を取引して、いくつもの町を支配するグループも現れているよ。


メソポタミアはどうなっていますか?

歴史:メソポタミアには、この頃、外からアムル人という民族がやって来て、川の中流付近に巨大な都市を建設したよ。バビロンという町だ。
 立派な神殿を建てて、軍事力で広いエリアを支配したんだけど、力だけでは支配は長続きしないね。

 メソポタミアでは、すでに各地でルール(法律)によって支配しようというアイディアは導入されていたんだけれど、バビロンの王様はこれをさらに立派な形に整えて、文字に刻んで全国にお触れを出した(注:ハンムラビ法典という)。



ルールが決められると「めんどくさい」と思う人々もいるんじゃないですか?

歴史:「押し付けられている」と感じた人もいただろうね。
 内容をみてみると「やられたら、やり返せ」という内容が基本になっている。有名なフレーズに「目には目を歯には歯を」というものがあるね。「目をつぶされたら目をつぶしかえせ」という内容だ。
 一見怖そうだけど、これって言いかえれば、「目をつぶされても、つぶし返すのは目だけにしておけ」っていう意味なんだ。


つまり、復讐をエスカレートするのを防ぐ意味があったんでしょうか。

歴史:そういうこと。やりすぎリベンジの防止だ。
 ちなみにこの法律の石碑の上の部分をみると、神によって「これを人々に守らせろ」と命令されている王の姿が刻まれている。「神にいわれたんだから、お前ら守れ」というわけだ。


バビロンの王様の支配は長続きするんですか?

歴史:いや、そうもいかないんだ。
 まず、下流のほうでは海のエリアを支配するグループが勝手に王国を建てて離れてしまった。

 それに、草原地帯の遊牧民の大移動の波が押し寄せてくる。
 代表格がヒッタイト人だ。
 すでに鉄でできた武器は広まりつつあったのだけれど、ヒッタイトは馬に戦車をひかせる戦法で、西アジア最強の軍事力を誇っていた。彼らは鉄の工場を持っていたようで


歴史:ヒッタイト王国は、シリアにも進出してエジプトの支配も狙っていた。この時代のエジプトとも。


まるで戦国時代のようですね。

歴史:そうだね。北からヒッタイトvs南のエジプトという構図だ。
 それに「2本の川の地域」(メソポタミア)ではミタンニという国が強くなるよ。でも、ヒッタイトがミタンニを滅ぼすと、代わってアッシリアという国が急成長するんだ。

 この時代のことがよくわかるのは、国王の間で交わされた約束や手紙がエジプトでたくさん見つかっているからだ。

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●前2000年~前1200年のアフリカ

歴史:アフリカでは大部分で狩り・釣り・採集を基本とする生活が続いている。


地理:熱帯の草原エリア(サバナ)では雑穀やイモの栽培、ウシなどの家畜の飼育もおこなわれているよ。


熱帯の草原ではどうやって農業をやっているんですか?

地理:サバナの地域は一年のうち決まった時期しか雨が降らない。
 だから狩りをして補ったり、狩りをして生活している人と食べ物を交換したりすることもあった。


 熱帯の土は赤土(注:ラトソル)といって農業にはあまり向かない。

 木を燃やして灰にし、それを肥料にする
 人間が掘り棒という道具を使い、キャッサバ、イネ、ヤムイモ、モロコシ(注:ウガリ)、豆(注:ササゲ)などを栽培するんだ。耕すのに家畜の力は使わない


なんか適当な農業ですね。

地理:そんなことはない。ちゃんと計画して火を入れるし、場所によっては狭い場所に人手と手間をかけるより、よっぽどたくさんの食料がとれる場合だってある

定住できるんですか?

地理:2~3年したら地面の栄養がなくなってしまうから、休ませる必要がある。
 そしたら別の場所に移るんだ(注:焼畑農業(移動式農業))。


エジプトはどうなっていますか?

歴史:エジプトはこの時期に史上最強の王国が生まれる。新王国だ。
 この時代にはシリアのほうに進出してヒッタイトという強国と戦っている。ツタンカーメンの黄金のマスクがつくられたのもこの時代だし、巨大な神殿も建設されている。

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◆前2000年~前1200年のヨーロッパ

ヨーロッパにパリやロンドンができるのはまだですか?

歴史:それは、もうちょっと後だねー。
 当時のヨーロッパ最先端の地域はパリやロンドンのある北のほうではなくて、地中海に面した南のほうなんだ。


地中海ってどこでしたっけ?

地理:ヨーロッパとアフリカの間に挟まれた海だよ。
 大きな湖のようだけど、1か所だけ一番西側(北を上にして左側)に出入り口があるでしょ。
 地中海というのは地下にあるわけじゃなくって、地面と地面の間の海という意味だ。

* 英語の Mediterranean(地中海) という単語は、medi(真ん中)+terrain(土地)という部分に分かれる。

 だから「地中海」と呼べる海は、世界中にあるんだよ。


歴史
:当時のユーラシア大陸で、農業と家畜の飼育によって巨大な町がつくられていたのは西アジアだよね。地中海を介して接している地中海沿いのヨーロッパにも、最先端の文化が伝わったってわけだ。


 でも気候は西アジアと同じではないから、地中海の気候に合わせたオリーブやブドウの栽培が盛んになる。とくにブドウからはワインが製造され、ヒット商品としてさかんに輸出された。

 地中海沿岸には大きな川があるわけじゃないから農業を基盤にして強い国が作られていったわけではなく、貿易をコントロール下に置いた支配者によって港町を中心に王国が作られるようになっていく。


 その代表格がクレタ島の王国だ(注:クレタ文明)。



何人(なにじん)の文明なんですか?

歴史:「ヨーロッパの文明」に分類されがちだけど、「エジプト」や「西アジア」(注:あわせてオリエント地方という)の文明のひとつと考えたほうがよさそうだ。
 クレタ島という島は地中海沿岸のギリシャというところと、アフリカのエジプトのちょうど中間地点に位置している。
 オリエントの影響を強くうけて発達した文明だ。

 複数の港町を束ねた支配者が、各地のオリーブやブドウ畑を支配し、「輸出ビジネス」で成功したらしい。
 王宮にはガッチリとした壁はなく、壁にはイルカのかわいらしい絵が描かれているのがキュートだ。

この地域は遊牧民の進出は受けなかったのですか?

歴史:するどい。
 地中海沿岸も例外ではないよ。
 北から進出してきた民族によって、クレタの王国は衰えた。直接的な原因は火山(注:サントリーニ島)の大爆発(注:スーパーボルケーノ)によるものとされているけどね。

 このときに進出してきた民族は、長い目でみると今のギリシャ人のご先祖だ。そのうちの一派はアテネという町をつくることになるよ。

 なお、トロイア文明という巨大な町も、この時期に栄えていた地中海沿岸の文明だ。


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