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13.2.3 ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗 世界史の教科書を最初から最後まで

19世紀前半に続々と独立したラテンアメリカ諸国。



しかし独立した後も植民地時代に発達した「一部の支配層が大土地を所有し、そこで貧しい人々を働かせる」不平等な社会は存続していた。

また、「政治と宗教は分けるべきだ。ローマ=カトリック教会の大土地所有をやめさせよう」と考える自由主義の政党と、「いや、ローマ=カトリック教会を守るべきだ」とする保守主義の政党が対立。


つまるところこれは、ラテンアメリカの国々が「どうやって発展していくべきか」をめぐる方針の対立だった。



ときに軍部がクーデタを起こしたり、地方の軍事的なボス(軍閥)が反乱を起こすなど、正常は不安定。

その背景には経済的な利権の“取り分”をめぐる争いがあったのだ。




その後、19世紀末にもなると、ヨーロッパ諸国の「ものづくり」は、石油化学や鉄鋼などの重工業へとシフト。


その原料を安く仕入れることができる土地として、ラテンアメリカ諸国に熱い視線が送られた。


工業化して社会が豊かになるにつれ、農業をする人口も減っていたヨーロッパでは、平均寿命もアップし、しだいに食糧不足に。
その不足分をおぎなうために、その頃実用化された冷凍船

ラテンアメリカの大草原(パンパ)

で飼育した家畜の肉を運搬するビジネスも登場する。


また、各地の気候にあわせ、ブラジルではコーヒー


キューバではサトウキビからとった砂糖

そしてチリの海岸地帯では海鳥の糞由来の硝石(グアノ。火薬の原料)がさかんにヨーロッパに積み出された。





こうした輸出業者たちの影響力は日増しに強まる中、“お得意先”であったイギリスに対して、アメリカ合衆国もラテンアメリカにビジネスチャンスを見出す。
1889年以来、アメリカ合衆国が主導し「パン=アメリカ会議」というラテンアメリカ諸国の国際会議を開催したのも、そのような下心が裏にあったのだ。



しかし、ヨーロッパ諸国への輸出ビジネスブームに対し、「少数の大地主層や大商人ばかりが得をするのはずるい」と農民や労働者たちの抵抗運動も勃発。


ブラジル

とくに、19世紀末になってもまだアフリカ系の奴隷をコーヒー農園ではたらかせていたブラジル帝国では、「ヨーロッパ人の移民も増えたことだし、そろそろ廃止しよう」と1888年にようやく廃止が決定。
1889年には皇帝による政治から、皇帝のいない政治(共和政)に国の仕組みを改めた。


メキシコ

また、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国の“口出し”に悩むラテンアメリカ諸国の代表例が、メキシコだ。
1846〜1848年のアメリカ=メキシコ戦争でアメリカ合衆国にボロ負けしたメキシコでは、

自由党のフアレス(在任1858〜72年)政権によって、ローマ=カトリック教会の土地の所有を禁止する改革がすすんだけれど、これに対し保守党が反乱。
その混乱に乗じて、1860年代にフランスのナポレオン3世が政治に介入した。


当時のアメリカ合衆国は南北戦争真っ只中。
そのスキをねらったのだ。
しかし、アメリカ合衆国の反対や国内の抵抗もあって、フランスの進出は失敗。


その後、ディアス大統領(在任1877〜80、84〜1911年)のもとで鉱山の開発などによる近代化がすすめられていった。
でも、長期政権となったディアス政権はしだいに独裁化。

1910年に自由主義者のマデロ(在任1911〜13年)の呼びかけによりメキシコ革命が勃発。ディアス政権は倒れ、マデロが大統領に就任した。

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だが、ポルトガル系のマデロは、大農場や工場の持ち主であり、貧困に苦しむ多くの人々(特に先住民たち)は視界にない。

これに対し「先住民から奪われた土地、森、水などの財産は、ただちに人々のもとに返すべきだ!」(アヤラ綱領)を訴えた、農民のリーダーであり先住民系(メスティーソ)のサパタ(1879〜1919年)が立ち上がる。

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現在でも高い人気を誇るサパタ

サパタは、同じく先住民系のビリャ(1878〜1923年)

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とともに首都に進出。マデロ政権とともに改革を急いだ。

しかし、革命を阻止しようとした将軍ウェルタによりマデロは暗殺。
このウェルタをサポートしようと、アメリカ合衆国のウィルソン大統領(任1913〜1922年)が「憲法にのっとった政権を建てるべきだ」と海兵隊を派遣して軍事介入。
まるで現代のアフガニスタンのような状態だ。

それに対しウェルタはアメリカの介入を拒否。
国内の革命派グループからの圧力も強まり、ウェルタは辞任する。
その後、マデロ派のカランサが大統領(任1915〜1920年)に就任。

カランサ派によって、先ほどのサパタは暗殺されてしまった。


そして迎えた1917年、革命にピリオドを打つ憲法が制定された。

大土地所有を整理する土地改革、勤労者の権利の保護、さらに政教分離(政治とローマ=カトリック教会を切り離すこと)や大統領の権限の強化をうたった、とっても民主的な内容には、サパタがかつて掲げた政策も影響を与えていた。


この革命は、ヨーロッパ諸国やアメリカの国家や企業に「従属」を強いられていた、ほかのラテンアメリカ諸国の動向にも大きな影響を与えることとなる。

しかし、メキシコのその後は、かならずしもバラ色の道のりとは言えない。
アメリカ合衆国が工業化していったようなスピードとスケールは、メキシコにおいては実現しなかったのだ。


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