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『もるうさあ』 第5話

5.「指月山とスカイ釣り」
(もるうさあ 当日) 

 こんな天気の良い日に世界は終わるのかもしれない。
 そう思いながら、碧い指月山と白い雲、そして空に浮かべた凧を見る。
 向こうで女子大生らしいグループがインスタにあげたいのか、俺の様子を写真に撮っている。まぁ、おっさんが海水浴場で釣竿を振り回して、こんな形の凧を空に浮かべていたら面白いと思う。しかし、これには深い意味がある。俺は少しでもこの世界を良いものにしたい。
「世界の終わりって、Bくんにとっては何が終わることなの?」
ちょうど一週間前、舞から言われた言葉を思い出した。俺に向かって押し寄せているように見える波は、別に俺がここにいなくても押し寄せる。ここに陸があるから波が来ているだけ。俺という存在は、この大きな自然に対して関係性をもっていない。俺にとっての世界とは何だろう。
 砂を蹴りあげる。浮き上がった砂が顔にかかる。口に入った砂を唾と一緒に吐き出す。
 俺がどうにかできるのは、せいぜい足元の砂だけだ。
 唾を吐きながら菊ヶ浜の砂を片手につかむ。俺の世界なんて、この手のひらのサイズしかない。
 しかしだからこそ、俺はこうして空へ凧を揚げるのかもしれない。

 UFOビル5階の[presage]でポテトをつまみながら、世界が終わる日の計画を再検討していた。「ちゃんとメモを取るところが、B君らしくていいよね」と舞は言った。「もう癖だな。日記代わりにもなるし、悪くない」
「今日のご相談はなんなんだよ。それが終わったら俺は帰るぞ。明日早ぇーんだよ」
幼馴染の俺たち3人組はもう40年来の付き合いだ。
「おめぇは明日、【もるうさあ】で世界が終るかも知らねえってときに、何をセコセコ生き急いでんだよ」
「ったー! まじかよ。【もるうさあ】なんて、日本しか騒いでねーじゃねーか。ま、あと韓国とかか? 世界なんて、そう簡単に終わってたまっかよ」
「ならいいけどな。でもなんか、俺は今回、ちょっと今までとは違う気がすんだよな。不穏さを感じる」
「アラフォーが何言ってんだよ。中坊じゃぁあるめーし」
雅哉はノンアルビールをグラスに注いで、「不穏さを感じる」と真顔になって俺の真似をしてから飲む。
「不穏さを感じる」舞も真似してポテトを口に入れる。
「うるせぇ」
「でもさぁ世界の終わりって、B君にとっては何が終わることなの?」
「世界ってんだからこの世だろう」
「あら、漠然としてるわね? まぁ私は家庭かなー」
舞にはケンシロウという息子がいる。漢字でどう書くのかは忘れてしまった。世紀末みたいな悲惨な世界になっても強く生き抜いて欲しいって意味だったのは覚えている。
 俺は焼酎を飲みながら、「そうか。世界って抽象だもんな」とつぶやく。
「世界って、じゃぁ、お前は世界イコール地球ってことか? それとも宇宙? ドラゴンボールかよ。宇宙が終わるとか、そんなんあるわけねーじゃねーか。ほんで、そんなことになるんなら誰も予測なんてできねーよ」
雅哉はしそわかめのかかったパスタを口にする。
「まぁそうだな」
「現実になったとしても、たかだか世界の終わりだ」
「あ、それ、いつかカンヌで賞取ったグザヴィエ・ドランの映画の邦題!」
「え? 何が?」
「it’s only the end of the world.」
「発音良いな」
「アメリカに住んでたからね~」
舞の旦那は外資系の上場企業に勤めていたが、舞の母親が体調を崩すとすぐに仕事を辞めて萩に移ってきた。そして今はこんな田舎で会社を立ち上げて、世界を飛び回りながら日本向けのツアーを売り込んでいる。俺とはスケールが違う。しかし全然嫌みのない、観葉植物のように優しい本当にイイ奴だ。舞はすごい男をモノにした。

 戦闘機が3機現れた。指月山を切り取るように飛んでいく。あれは自衛隊Fー2Aだ。そしてその後をオスプレイが飛んでいる。
「ありゃぁ、何か起こったんか?」
犬を散歩しているじーさんが声をあげた。
「今日は【もるうさあ】が来るかもしれん日やけーね」
じーさんは俺を威嚇する犬を叱る。
「【もるうさあ】はやっぱりミサイルなんかの?」
「分からんね。でも、正体がよぅ分からんから余計怖ぇーわ」
「でもあんた、こんなときに凧揚げっちゃぁ度胸がすわっとらぁ。ほいでそうやって釣竿で凧をあげるっちゅうんは始めて見たわ。格好がえぇの」
「でも、じーさんもこんなときに犬の散歩しとるやん」
「ははは。そーやの」
そう言いながらじーさんは俺から離れていった。オレンジ色のジャンパーの背中が風に吹かれてパラシュートみたいに膨らんでいる。俺は竿をしゃくった。空高く凧を揚げながら、海の向こうからミサイルを積んだ戦闘機が来ることを想像する。俺は【もるうさあ】は、軍事的な何かだと考えている。
 戦地でどうすれば反戦を訴えられるか、なんて非現実的なことをいつからかずっと考えていた。NHKの戦争証言アーカイブスを見たからかもしれない。今の世の中も、いつ何が起こるか分からない。
 裸で白旗を振ったとして、それは効果があるのだろうか。しかしその方法では女性は反戦を訴えられない。ではどうすれば力を持たない一人の人間が、できるだけ大きく反戦の想いを表現することができるだろうか? 平和を望む気持ちを、どうすれば他人に理解してもらえるだろうか?

 【もるうさあ】で終わる世界を仮に日本という国であると想定して、俺はずっと考えていたアイデアを2人に伝えた。
「今日の相談っていうのは、明日から俺は、どんな凧を揚げるべきかってことだ」
「え? 何?」舞はスマホでフランス映画を検索していた。
「タコを揚げる? 何か店でもやんのかよ。お前。冒険すんなって。ちゃんと働かないと、ずっと結婚できねぇぞ」
「うるさい。俺は結婚はせん。そんなことはいい。凧揚げだよ、凧揚げ。俺は戦争において、反戦を表現する一番良い方法は、凧を揚げることだという結論に行きついた」
「何言ってんの?」雅哉はノンアルビールをもう一本注文した。そして店内のモニターに映るRed Hot Chilli Peppers の『snow』を口ずさんだ。
 非戦表明として「白旗を上げる」は、戦争の主力が飛行機からの爆撃か遠隔操作ミサイルであるときに現実的ではない。しかし非戦表明はしなくてはならない。俺はそのとき、人力で最大規模の表現活動ができるのは凧であると主張した。釣竿を用いて凧を揚げ、効率よく高く飛ばす。実証済みだ。それはまるで、空で釣りをしているような高揚感があった。
「ま、他にも方法はあるだろうけど、まぁいいよ。それで?」
「【もるうさあ】で何が起こるにせよ、俺は反戦や、平和を願う気持ちを凧で表現する。そのときに、どんな凧だったらその想いを的確に世界に発信できるか、そのアイデアを出してほしい」
「なんで【もるうさあ】が戦争に繋がるのよ?」という舞の指摘は的を射ていたが、ここはひとまず保留した。とりあえずは「どんな凧が一番平和を感じさせるか」という話し合いとなった。
「ハートじゃない?」
「俺も考えた。でも、考えてみてくれ。ハートは心臓だろ? 気持ち悪くないか? 空に心臓が浮かんでたら。あと、赤色ってのが、むしろ動物を興奮させてしまい、良くないと思う」
「偏屈。ハートで心臓とかイメージせんし」
舞のスマホケースにはハートがプリントがしてある。雅哉がパスタの皿にポテトが入っていた皿を重ねながら、
「ビキニのねーちゃんは?」
「興奮して良くない。戦時中、兵隊は馬鹿な男ばっかだから、逆効果」
「子どもに悪影響。発想がオッサン」
「うるせぇなぁ。じゃぁ、どっかのばーちゃんの凧揚げろよ」
「それは悪くないかもな。母親ってのが、誰にとっても一番愛すべきもんだし」
「まぢかよ、やめろよ。ばーちゃんの形した凧とか、むしろ撃ち落とされる」
「あ、そうそう。凧は立体をイメージしてくれ。海外では立体のバルーンみたいな凧が主流らしい。立体の方が目立つ」
「立体の風船ばーちゃんかよ。怖っ」
「日本は凧っていったら平面やもんね。あ、そういえば、あたしの家に鬼ようずあるわ。たとえばさぁ、むしろすっごくグロテスクなやつ…は、ダメだね。地獄が極まるだけだ。結構難しいねぇ、これ」
「そうだろ? 今まで結構考えたんだけど、難しいんだよ」
俺が自分のグラスに焼酎を足すと、舞が氷を入れてくれた。
「それにしても独り身の暇人は変なこと考えんなぁ。でもそういえば俺も実家にあったわ鬼ようず。あれって長男を災難から守る鬼なんよな」
「そうそう。あれって目の横にふさふさが付いとって涙を流しとるんよね」
「なんで?」
「鬼の目にも涙? そんなんあったけ?」
「強いだけじゃなくて、心優しい人に育ってほしいっていう思いが込められとるんよ。そこに」
「へぇー」俺たちは納得して同じ相槌をうった。
「まぁ元の話に戻るけど、一応、これなら良いんじゃねぇーかっていう凧の候補が一つあるんだ。見る人を興奮させることなく、平和を感じさせる、しかも日本人以外の人種にも理解してもらえる形」
俺は手元のノートのページを捲った。

青い空に浮かぶ白い雲のような立体の凧の上下を、二本の飛行機雲が伸びていく。旅客機が並んで飛ぶことなんてあるのだろうか? 
俺の凧は二本の白い線に挟まれて、滑走路の前にいるみたいだ。
 上空は風があり、俺の両手には振動が伝わってくる。
 辺りを見回すと誰もいなかった。そのとき、少し空しさを感じている自分に気付いた。なんだよ。俺は誰かに見てもらいたいから、こんなときに凧を揚げてんのかよ。
 この世界に独りでいいじゃねぇーか。何を今さら。
 俺はこの年で未だに契約社員だ。高校を出て千葉で正社員として2年働いたが、辛くなって地元に帰ってきた。今思えば全然辛い仕事じゃぁ無かった。俺が甘いだけだった。でも、それは今だから分かることだ。
 中古車販売の会社で整備をしているが、営業もなんでもする。知り合いのツテを頼って単発でいろんなバイトもしている。長時間労働の割に手取りなんて小遣いみたいなもんだが、親と同居している独り身の俺には十分だ。いつのまにか黒ずんでいる手と一緒に歳を取って死んでいくんだ。
 俺は上空に揚げているキャラクターを見る。
 こいつはただ、黙って平和を祈っている。このキャラクターには口がない。それは、態度と行動でやさしさを示そうとする覚悟だ。俺も何も語らないでいよう。誰も俺みたいな人生に価値なんか見出せない。ただ、俺は世界の平和を祈っている。糞みたいな、無意味な人生を歩んでいる俺だが、世界が少しでも良いものであってほしいと思っている。世界が終わったとしても、その瞬間まで俺は願う。
 でもそう思うことで、俺は少しでもこの世界と繋がっていたいのかもしれない。
 カモメが飛んできた。竹原ピストルの泣けてしょうがない歌を思い出した。口ずさみそうになったが、俺にも今、口はないんだ、と思ってやめた。空中に独り、異物としてそこに浮かぶ凧を見上げた。

 俺はノートに描いた絵を2人に見せた。
「まーね」
「そっちの方がドラえもんよりもメジャーかぁ」
テーブルにはイカの塩辛のピザが運ばれてくる。
「世界に誇る日本のkawaiiだし、良いかもね。悪意もないし、勘違いもされない」
俺は肯定的な意見にほっとする。
「なんと彼女、好きな言葉は『友情』です」
「おぉ、ちゃんとしてる」
「そして、夢はピアニストか詩人」
「カッコつけたいお前に合ってる」
「うるせえ」
「でも、おめぇみたいなオッサンがその形の凧を揚げてたら、変態だと思われるんじゃねぇか? なんか、丸眼鏡みたいなんかけて、アーティストですってな格好でやらねぇと、勘違いされるぞ」
雅哉の嫌みな笑いをスル―しながら、「悪くないわね」と微笑んでいる舞を見た。口紅がいつもよりも赤いような気がした。

 そのキャラクターはずいぶん遠くまで揚がっているが、リボンの赤ははっきりと見える。糸を通して繋がっている俺たちは、青い空に吸い込まれたとしても、ずっと繋がっていられるなんて思った。
そのとき、1本の白い光の矢が東の空から西へ流れた。
ポケットでスマホが振動する。ニュース速報で「都内で無数の飛翔体」とあった。
 写真のフラッシュのような眩しさを感じて顔を上げると、太陽と同じくらいの大きさの光が空を走った。ミサイルか。彗星か。
 俺は釣竿を強く握る。
 車のドアが閉まる音がした。と思ったら、舞がケンシロウを抱いて砂浜に降りてきた。何でこんなところに来たんだ。空を指差して何か言っているが、遠くてよく聞こえない。
 無数の流れ星と共に、空に獣の爪跡のような3本の光の矢が留まっていた。その矢はゆっくりだが長くなっていく。
 舞はその光と俺の凧を見上げている。
 俺はもしもここにあの光の矢が飛んできたら、舞の前に立ってそれを全身で受け止めようと思った。微かでも舞を守って死のう。そのとき俺の世界は俺の手のひらの範囲だけじゃなくなる。俺の体全体が俺の世界そのものになる。こちらに向かってくる舞を見た。舞はケンシロウを抱えて、風になびく髪を押さえながら近づいてくる。こんなときは外出せずに家にいろ。砂に足を取られながら、俺に何か言いながらこちらに向かってくる。こんなときになんでそんなに明るく笑ってんだよ。綺麗だった。
 世界が終わる。でも俺の人生は悪くなかった。
「B君、あのキティちゃん、りんご5個分の身長じゃないね」
 この状況で、舞は何を暢気なことを言っているのだろうか。俺は凧を見上げ、海の上で膨張していく光の矢を見た。釣竿を動かして「俺と一緒に最後までいてくれ」と空の上の凧に合図を送る。舞のモネの睡蓮みたいな柄のワンピースが風になびいている。ケンシロウは舞の肩の上で大声を出しながら右手を空に伸ばしている。 
 空の光の矢は、3本から7本に増えていた。

次回は  6.「徳山動物園とオシャレ眼鏡」
       (もるうさあ 1日後)です。


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