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『もるうさあ』 第4話 

4.「錦帯橋と間違い電話」 (もるうさあ 前日)
 
 クレヨンはせっけんと同じ。クレヨンは白い紙をキレイにするし、せっけんは汚れを落として体をキレイにします。クレヨンで作った青い空を指でなぞってみたら、青色が手について、指でこするとぬるっとしました。空をさわったら、ちょっとぬるっとするのかもしれません。だって、雨は空から降ってきます。そんなこと考えながら見上げると、そこは天井でした。そう。今、あたしはおうち。お母さんがお仕事から帰ってくるまでひとりでお留守番です。
 天井がプレッツェルに似てたから、おなかがすいてきました。柱の上のホコリはウサギの絵本のセサミとかシュガーとかに似ています。おかあさんは、お昼ごはんはカゴの中のパンを食べなさいって言いました。スーパーで安売りの、いろんな種類のパンが入ったお買い得なやつ。
 立ち上がると大きな音がしました。
 チンパンジーが叫んでいるような音。
 あたりを見る。こんな音、聞いたことない。なんだろう。ランドセルの防犯ブザーじゃぁなかった。なにがなんだかわからん。ウゥーウゥーずっと大きな声。何かがすっごく近くで叫んでる。体のいろんなところがビックリしてお腹の中が動いてる。
 どうしようもなくてあたしは泣きました。ウゥーウゥー大きな叫び声が聞こえなくなるように大声で泣きました。
 
 そうしてたら、だれかが家のドアをドンドンドンドン叩きました。そうして何か言ってる。叩くからドアが揺れてる。怖い。誰かの大きな声。そしてあたしの近くでは何かがウゥーウゥー叫んでる。あたしはいろんな音に負けないように、もっともっと大きな声で泣く。
 
 うつむいて泣いてたら、ほっぺが冷たい。頭を起こすとカーペットの上に涙と鼻水の水たまりができていました。
「びっくりしたやろぉ」
顔を上げると知らないおばあさんがティッシュで顔をふいてくれました。
「だれ?」
「近所のばあちゃんよ。びっくりしたねぇ」
そのおばあさんのうしろにも、おばあさんがいました。
「なんでここに? あたしん家に入って来ちょるん?」
「あら、ごめんなさい。入るわよって何度も言ったんやけど、泣いちょったから聞こんやったわよね」
そう言うと、オレンジ色の服を着たおばあさんは玄関まで戻って靴をはきました。そして、「入ってえぇかしら」と言いました。
「ダメ」
と私は言ってから、テーブルの上の携帯電話を取り、本棚の『ウォーリーを探せ』の横に隠していた財布を手に取って玄関に行きました。
「あたし、これからお出かけやから」
銀色の近未来なシューズをはいて、おばあさんを家の外に押し出しました。そしてドアノブにかけてある家のカギを首にさげて、ドアを閉めました。
「あ、でも、どうやってカギ開けたん?」とおばあさんに聞くと、
「管理人さんにあけてもらったんよ。急に携帯電話からおっきな警報が鳴ってびっくりしたやろ? あなた、すっごく大きな声で泣いちょって。かわいそうやったから」
「かわいそう? あたし?」
「うん。かわいそうやったわ」
「ふーん」とあたしが思っていると、灰色のセーターを着たおばあさんが、「かわいそうって決めつけるなんて、なんて思いやりがない。かわいそうって言われたら、私はかわいそうなんだって、余計に悲しくなるわ」って、もう一人のおばあさんをにらみました。灰色のセーターのおばあさんは、髪の毛も灰色でした。だから私は、くもり空ばぁだと思いました。
 じゃあもう一人は、オレンジばぁだと考えながらアパートの階段を下りていると、
「あんた、どこに行くん?」とオレンジばぁが尋ねてきました。
「おとうさんに電話をかけに」
階段の4段目のところで返事をしました。
「ケータイがあるやないの」
「ケータイからはかけられんの。カエル電話からしかダメ」
地面に着きました。
 お父さんへの電話はいつも、錦帯橋の近くにあるカエル色の電話を使います。

 肉まんを食べているときでした。冬。こたつ。
 お母さんの目の下にはくまがあって、そのくまは、プーさんとは違うくまです。
 テレビが付いていました。
「ミル、もしもこれから大変なことがあったらねぇ、このカードでおとうさんに連絡をしなさい。地震とか、爆発とか、火事とか、怪獣とか、何かあったら、まず、錦帯橋の近くのカエル色の電話で、おとうさんに連絡をしなさい」
「なんで?」
「えー。うーんとねぇ。そこだったらだれかいるから、助けてもらえるんよ」 
あたしにカードを渡してから、おかあさんはまたテレビを見ていました。そしてぼそっと言いました。
「世界が終わればいいのに」
テレビの中では火山が噴火していました。
「なんで?」
あたしが聞くと、おかあさんは両手で自分のほっぺたをつねったあとで「うそうそうさぎ」と言って手を頭の上にのせて、おいでおいでしました。おかあさんが本当にうさぎみたいな目をしていたからあんまり面白くなかった。

 錦川沿いを歩いてると、おばあさん2人がついてきました。「わたしたちも、ちょうどこっちに行く用事があるんよ」とオレンジばぁが言いました。ついてくるからあたしは、「蛇が100年生きたら龍になって、龍が100年生きたら錦帯橋になれる」ことを教えてあげました。そして、あたしたちのアパートって川西駅に似てるってことや、駅から出てくる電車は、山を通ると緑色の電車になって、川を通ると青色の電車になることを教えてあげました。オレンジばぁは愛想がよく、くもり空ばぁは愛想がわるかったです。でも、くもり空だからしょうがないです。そんなくもり空ばぁは、私と同じアパートの1階に住んでいるみたいでした。
「お母さんは?」
「お仕事」
オレンジばぁは、話をしていると何回か、「ひとりでえらい」と私をほめたけど、「人ってひとりなんよ。だれかと合体とかできんの。テレビじゃないんやから」という、お母さんから前に言われたことを思い出して教えてあげました。すると、「あなたは1人の人間ね」とわかりきったことを言ってきたので、「私が2人に見えるん? これはTシャツの絵よ」と、私はピンクのTシャツにプリントしてあるサングラスをかけた女の子をオレンジばぁに見せてあげました。
錦帯橋に着きました。
 近くのバス停のところにカエル電話はあります。私は財布からテレホンカードの束を取り出しました。
「すっごいいっぱい。トランプみたい」
「そうよ。あたしはリッチなの」
今日はどのカードにしようか考えます。さっきちょっと大変なことがあったから、白猫のミィにするか、看護師のおねぇさんにするか迷います。だけど、グッドポーズをしているラッキーカードにしました。電話に入れて、080、おとう3ででねぇ、と数字を押しました。すると、何度かぷるるるって呼ぶんだけどだれも電話に出ません。失敗でした。
 あたしは受話器を置いて、カードを取り、白猫のミィを入れて、080、おとう3でてよぅ、で数字を押しました。今回は、3をたくさん押してみました。すると、出ました。
「あ、おとうさん、わたし、ミル。げんき?」
ちゃんとつながってほっとします。
「あのねぇ、時間がないからすぐに話すけど、きょう、おうちにおサルさん、じゃなくて、Jアラートっていうサイレンがなったみたいで、あたしびっくりしちゃって大変だったわ。でも、あたしがんばってちゃんとおるすばんするね。で、おとうさんは、いま、なにをしているの?」
おとうさんはあたしが急に電話をしたからびっくりして、あたふたしているのでしょう。返事がありません。
「ただ、今、何をしているか言ってくれたらいいのよ」
とまどってハテナ?みたいな声が聞こえてから、車の走る音と一緒に、おとうさんの声が聞こえました。
「しごと中。そうなの、お仕事中なのね。おつかれさま。わかったわ。おとうさんもがんばってね」
受話器を置き、カードを取ると、オレンジばぁが、「誰?」と聞いてきました。
「おとうさんよ」
「会ったことはあるの?」
「あるよ。ずっと前やけど」
あたしはカードを財布になおすために、バス停のベンチに座ります。
「おとうさんはねぇ、アンパンマンとかプリキュアとか作っちょる人なんよ。あ、でも、それ、言っちゃあダメなヤツやった。あら。ゴメン。今のはうそうそうさぎ」
お腹がすいてきました。電話も終わったので、家に帰ってパンでも食べようと思います。
「あ、ちょっと待って、どこ行くん?」
「帰るんよ。ばいばい」
「おだんごでも食べん?」
家にはパンがあるけど、今すぐ何か食べたいくらい、すごくお腹がすいていました。
あたしは、魔法のステッキみたいな、緑と黄と白のおだんごにしました。てっぺんのおだんごを食べると、草のにおいがしました。2人を旅館の近くに連れて行って、星がたの葉っぱがあるところに案内してあげました。「カエデね」「そうよ。星の葉っぱ」私はおだんごのお礼に、2人のおばあちゃんの願いごとを叶えてあげることにしました。くもり空ばぁが、「勝手に取ってもいいの?」とくもった顔でつぶやいたので、「ちゃんと一枚だけよ。欲張ったらダメよ」と教えてあげました。
2人のばぁは、ウノチヨキネンカンというなんだかネバネバしそうなところに行く予定でした。何があるのか聞いたら、「感じのいい家」があるって言いました。誘われたけど、あたしはお留守番だからまた今度にすると言いました。おだんごを全部食べてお腹がいっぱいになったからパンはもういらないけど、お家に帰っておかあさんを待つお留守番です。
 階段を下りて錦川に行きました。そして、
「今から星の葉っぱを川に流して天の川にするの。葉っぱは流れ星になるからお願いごとをするんよ。こうやって、」
あたしは葉っぱを合掌した間にはさんで、お願いの仕方を教えてあげました。
「お願いは、葉っぱがみえるうちに、3回唱えんにゃぁいけんよ」
あたしがお手本で最初に流れ星をしました。するとそのあとにオレンジばぁが流れ星をしました。
「何をお願いしたん?」
「みんなが幸せになりますように」
「あたしはおかあさんが、はやく帰ってきますように」
くもり空ばぁは葉っぱを持って、ぼーっとしていました。
「ねぇ、くもり空ばぁもお願いごとしたら?」
2人は「くもり空ばぁって何なの?」って聞いてきたから説明してあげました。するとオレンジばぁは変な感じの笑い顔、なんだか完成途中の笑い顔で、
「でもサナエさんは、最近引っ越してきたばっかりで、色々と不安なんよ」
と言いました。
「私も来たくてここに来たんじゃないさ。もうあそこには住めないって言われたから仕方なく。縁もゆかりもないこんな田舎町、来たくなんてなかったさ」
大きな声でくもり空ばぁは言いました。そしてうつむきながら、手に持った星の葉っぱを見て、
「ひとりであとは死ぬだけさ。いいじゃないか。だれにも迷惑をかけずにひっそりと死んでいくんだから。関わらないでくれ」
くもり空ばぁの目には涙がたまっていました。
オレンジばぁが、「あなたの辛さはわたしには分からん。でも、この場所に来たんやから、この場所で、なんとか生きていく方法を考えんにゃ」と言いました。
「とりあえず、それお願いしたら?」
あたしは早く帰りたかったから、くもり空ばぁに葉っぱを流すように指示しました。
「何を願うのよ」
「知らんよ。だってあなたのお願いやろ? さっき言っちょったやつでえぇやん」
「そんなの願えない」
くもり空ばぁは泣いているからか、よくわからないことを言います。自分でお願いごとを言いながら、そんなのお願いできないって。よくわかりません。
「死にたいってお願いするの?」
カマキリみたいに言いながら目を閉じるとくもり空ばぁから涙が落ちました。くもり空ばぁは、ついに雨ばぁになりました。
「それはダメよ。いい歳して、なに言っちょるん?」
あたしは早く帰りたいのに、くもり空ばぁがバカなことを言うのでイライラしてきました。
「おばあちゃん、ばかなの? 生きちょるんやから、そんなことは考えんの。死ぬってすごく怖いんよ。痛いんよ。そんなことも知らんの?」
「そうよ、サナエさん」
オレンジばぁもなぜか泣きました。オレンジばぁですが、目からオレンジジュースは出ません。
「あなたは生きちょるんやから、生きるしかないんよ」
くもり空ばぁは何も言わずに目を押さえました。
オレンジばぁがハンカチを取り出すのを見て、あたしもポケットを探したけどハンカチはありませんでした。ただ、手にクレヨンの青色がついてるのに気付きました。

 前にクレヨンで絵を描いているとき、おかあさんは青が一番好きだって言っていました。「だって、空とか海とか、この世界で一番大きいもんは青色やろ? ほら、ミル、地球だって青いって、前にテレビでやっちょったやん」
「でも、宇宙のが広いんよ」
「えぇ!? じゃぁ、この世で一番大きいもんは宇宙の黒なん? それっておもしろぅないやん」
「だってしょうがないやん」
おかあさんはため息をつきながら、黒いクレヨンを見つめていました。
すると、突然立ち上がってカーテンを閉めて電気を消しました。真っ暗になりました。
「宇宙ってさ、光がないから暗いってだけやないん? たぶん。」
電気を付けます。
「こうやってさぁ、光を点けたら色がついちょるんやないん?」
「そうなんかもね」
「あれ? ママ、鋭いところに気が付いたと思ったのに、ミルは反応うすいねぇ」
あたしはたしか、チューリップを描いていました。黄色と赤の。
「ミルさぁ。ママはミルに、良く物事を『見る』って意味で、ミルって名前を付けたんよ。この世界は色々あるけどしっかり見る。そんな強い人になってほしいんよね。っということで、宇宙もしっかりと見たら、本当は黒ではありません。では、何色でしょうか?」

 あたしはくもり空ばぁをじっと見ました。
「宇宙ってね、本当は黒じゃないんよ」
「なに? 急に」
くもり空ばぁはオレンジばぁのハンカチを鼻の下に当てています。
「何色だと思う?」
涙をふいたくもり空ばぁは、
「何よ、急に、もういいわよ。泣いたらなんだかスッキリした。まぁ、どうせ近いうちに【もるうさあ】で世界は終わるんだし、もういろいろと考えることはやめにするわ」
と言って、なぜだか急に元気になりました。しかしそれよりも今は、宇宙の色をちゃんと考えて、あたしの質問に答えてほしいです。
「サナエさん、週に3回は宇野千代記念館のスタッフとして、私を手伝ってくれるわよね」
「いいわ。別に。暇だし」
「ありがとう」
オレンジばぁはくもり空ばぁの背中をなでて、ハグしました。
「えぇからそんなことは。それよりもまず、宇宙の色を言ってよ」
2人のばぁはおばあさんだからなのか、反応がにぶいです。早くあたしの質問に答えてほしいです。2人は顔を見合わせてから、私の服を見ました。そして同時に「ピンク」と答えました。
「ブッブー」

次回は第5話『指月山とスカイ釣り』【もるうさあ 当日】です。


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