腰痛を“なおす”ために、通院するより重要なこと
整体や接骨院や整形外科において、患者は術者からしばしば一方的で不明瞭な「原因の説明」をされます。
それはどこか事務的・流れ作業的で、伝えられても「で?どうすればいいの?」となるばかりではないでしょうか。
いまいちピンとこない原因の説明も、形容矛盾に思える“治らない治療”も、もはや治療院業界の“当たり前”になっています。
どこへいっても、なにをしても、原因はわからないし、痛みはなおらない
痛み治療への評価は、概ねこんなところでしょう。誰しもハナから「なおる」期待はしていないと思います。
そしてこれはいまの日本医療における「構造的問題(余裕のなさ)」に起因している、あるいは忙しい現代人の―「単純明快な“答え”を求めている」―ニーズに対応した結果、起きている問題にも思えます。
しかしながら、それはそれとして
ハッキリいって姿勢や筋肉やヘルニアなど「ある特定の因子が一義的な原因となって生じる腰痛」はほとんどありません。
じっさい原因なるものを―姿勢の“矯正”や、筋トレや、外科的手術によって―取り除いた後もなおらない腰痛はざらにありますし
反対に極端な話、姿勢も筋肉もヘルニアもなにも変わっていないのに痛みが消えることもあります。
それもこれも「腰痛の発生には、じつに多種多様な“変数”が絡む」からだと考えます。
腰痛を“なおす”ために、通院するより重要なこと
さて、そんな腰痛をなおすために
「通院」するよりずっと重要かもしれないことがあります。
それは‥
人間らしい生活を送ること、です。
○○筋や○○リリース、○○矯正が大好きな「専門家」であればあるほど軽視しがちな印象もある「人間らしい生活を送ること」
人間らしい生活とはつまり、
朝日を浴びながら散歩したり
おいしいご飯を適量たべたり
ゆっくりお風呂に使ったり
寝る時間をしっかり確保したり
人類何十万年の歴史を経て、人間が「すこやかに生きる」ために確立してきた生活様式のことです。
あらゆる刺激やストレスにさらされ続けた現代人は、このことの「価値」や「意味」をすっかり忘れ「脱力の仕方」や「呼吸の仕方」を忘れてしまいました。
お客様の経験や経過を伺っていても…
たとえば「激務」や「介護疲れ」などにより人間らしい生活を送れなくなった時期が「カラダを壊し、腰を痛め、健康を損なう」ひとつの大きな契機になっている―と思えてならないケースは多々あります。
また、日本の人々の認知的傾向として「権威主義」かつ、他者からの評価を重視しすぎるきらいがあり
とくに「医師の診断」がつくと(「ヘルニアが原因」などと言われると)、じっさいは違くてもそうなのだと、それが「諸悪の根源」なのだと感じ、固執し、呪いになり、輪をかけて改善から遠ざかってしまう傾向があるようにも思います。
窮地に立たされている時はなおのこと、救いを「外部」に求めたくなる(イジワルな言い方をすれば“責任転嫁”したくなる)のかもしれません。
だからこそ、ここで強調しておきたいのは
腰痛はひとつの原因で説明可能なほど単純ではなく、自分以外がなおせることでもなく、一朝一夕に生じたり消えたりすることでもない、ということです。
カラダに生じる現象は(主観的にはそうでなくとも)往々にして“歴史の結果”ですし、歴史の清算は自分にしかできません。
先生のおかげです、といった発言や気持ちを否定するつもりはありませんが改善という結果が出たとき、そこに至るまでのより重要なパートを担っていたのは、あたりまえですが「その人自身」です。
そもそも論、他人はあなたのことを全然わかりません。それは医療従事者も一緒です。
その日はじめてあった目の前にいる先生は、あくまで所見から推測できる仮説としての「あなたの腰痛の原因」を教えてくれるのが精いっぱいですし
(一部の例外を除く)腰痛の本当の原因は、根治したあと“結果論的に”わかることです。
それが何であるにせよはじめはハッキリとはわかりません。決して初対面で断言できることではないのです。なので「〇〇筋が弱いです」「ヘルニアです」などと告げられた原因は、必要以上に重く受け止めても仕方ありません。「かもしれない」というものなので、他の可能性を探ることもやめてはならないです。
だいじなのは「原因」を言い訳にせず、人任せにせず、今やれるやるべきことを自分で淡々とやる――そんな「主体性」であり
やることは、なにも通院や筋トレだけではありません。肩の力を抜いて、穏やかですこやかな【人間らしい生活を送ること】も、通院と同等か同等以上に大切です。
我々がヒトとして生きるうえで、切っても切れない「腰痛」を克服する上で
朝日を浴びながら散歩したり、おいしいご飯を適量たべたり、ゆっくりお風呂に使ったり、くだらない動画を観て笑ったり、音楽をかけてストレッチしたり、寝る時間をしっかり確保したり
一見、無関係に思えるこれらの営みが、案外かなり重要な意味を持つかもしれません。
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