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悔しさをバネに(前編)

皆さん、こんにちは!今回は僕の人生について記事を書きたいと思います。最後まで読んでいただけたらと思います。


僕のプロフィール

26歳、大阪出身。父親の仕事の関係で東京、京都と幼少期を過ごし、大阪に戻ってからは普通の生活を送る。小学校から英語の魅力に触れ、中学時代に完全に英語に目覚める。それと同時に生徒会長を務める。高校時代には軟式野球部でピッチャーを務める。大学は私立の文学部へ進学。大学2回生の20歳の時に大学の派遣留学プログラムでアメリカのカリフォルニア州のカレッジに10か月間留学。それとともに筋トレに目覚める。留学後にTOEIC等でハイスコア。残りの大学生活で英会話の練習、筋トレ、フィリピンの公立小学校にて教育実習、教員採用試験に挑む。一発で合格し、2017年大阪の高校の英語教員に。現在、初任校でにて勤務4年目。

英語との出会い

僕が初めて英語に触れたのは幼稚園のときです。友人の家で英会話をしたのですが、まさかそのときは英語に興味をもつなんてこれっぽっちも思っていませんでした。小学校に進学し、5年生から塾に通い始めました。そこで出会ったフィンランド人の講師との出会いが、僕の英語人生の始まりでした。そこで少し英語を話す機会があって、自分の稚拙な英語で通じたことがすごく感動して、それから英語を頑張りたいと思いました。しかし、この段階ではまだ、将来英語を使うとは思っていませんでした。

中学時代

中学校に進学してから、学校でも塾でも英語に精を出しました。学校の定期考査で100点を取ったことも自信に繋がりました。全国模試でも常に高得点を取得し、順風満帆にいっていたと思いました。しかし、高校に進学してから、僕の人生が少し変わりました。

高校時代

高校に進学してから、僕は軟式野球部に入りました。中学時代は勉強や遊びに時間を費やしていたので、高校ではしっかりと運動もして充実した生活を送ろうと考えていました。そんな中で塾でバイトし、クラブもしての二足の草鞋は高校生の僕には少し厳しかったようで、受験に失敗しました。今思うともう少しがんb荒れたと思いますが…  そして、友達に誘われるがまま受験した大学に合格し、入学することにしました。不甲斐ない結果に家族に対してすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。(私立なので学費が高い…)

人生を変えた大学時代

そして、大学に進学しました。そして大学というこのステージが僕の人生を大きく変えた4年間でした。自分の不甲斐なさで家族にも多額の学費を出してもらい、頭が上がらない思いで大学生活を送っている中で、ふと目にしたものがアメリカ留学のパンフレット。しかも学費は大学持ち。当時の僕はとにかくこれ以上家族に迷惑かけるまいと必死でした。留学に行きたかった気持ちも相まって、決意しました。「絶対に行ってみせる!」 それと同時に僕が考えたのは、バイトしたお金で家族に美味しいものを食べさせてあげるよりも、自分のしたいことを胸はってできている自分自身が親孝行なのではないかと。それから僕は必死に英語の勉強を頑張り、無事留学行きの切符を手にすることができました。

後編に続く…

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