「急がば回れ」。中日・大島選手が2000本安打達成。大学、社会人を経験してプロ入り。「6年遅れ」でもコツコツ結果を積み上げた
「急がば回れ」。中日の大島洋平選手(37)が2000本安打を達成した。大学と社会人を経由してのプロ入り。「6年遅れ」でも着実に結果を積み上げ、プロ14年目にして大台に到達した。チームは最下位と低迷している。その中で自分のやるべきことは変わらない。コツコツとヒットを量産して「大打者」の仲間入りを果たした。
26日にホーム名古屋で行われたDeNA戦。三回にセンター前ヒットを放って2000本安打を達した。大学、社会人を経験しての大台到達は4人目の快挙だ。
名古屋市出身の大島選手。地元の強豪、享栄高校では甲子園出場は果たせなかったが、駒沢大学に進学。4年生の2007年秋に東都大学リーグで首位打者となった。「東都のイチロー」というニックネームをつけられていた。
プロからは注目されていたが、志望届は出さず社会人の日本生命へ進んだ。1年目からレギュラーとして活躍したが、翌年に右手首を骨折するアクシデントに見舞われた。
この年の2009年、中日からドラフト5位で指名された。すでに結婚して子どももいる。大学、社会人と進んで、同い年でプロ入りした選手とは「6年遅れ」。
「大きな決断」を迫られた。社会人に残れば、家族がいる身としては安定した生活が送れる。しかし大島選手の選んだ道はプロ入りだった。
24歳で始めたプロ生活。2010年のルーキーイヤーから1軍で出場し、3月27日の広島戦で初安打。3年目からは毎年100安打以上をマークした。
巧みなバットコントロールでヒットを量産。身長176センチ、体重75キロ。プロとしては小柄な方だ。自身のシーズン最多本塁打は2018年の7本。アーチを放つことが少なくても、コツコツ安打を打ち続けてきた。
大きなけがでシーズンを棒に振ることもなかった。10年前から将来のことを見据え、筋力強化と体のバランス維持に努めてきた。長期間活躍するために、何をすべきか見通す力があった。
大学、社会人を経験して2000本安打を達成したのは、2005年の古田敦也さん(ヤクルト)、2012年の宮本慎也さん(ヤクルト)、2015年の和田一浩さん(中日)に続く4人目。1787試合目で到達した大島選手。過去の3人よりも速いペースで達成した。
宮本さんは「大学社会人で達成すると、その瞬間に『もういいだろ』と思われてしまうような雰囲気にもなります。ここで安心せず、そんな雰囲気を覆すような活躍を続けてほしいと思ってます」とエールを送った。
自ら大学と社会人を経て、遠回りしただけに、宮本さんの言葉には重みと説得力がある。
「6年遅れ」でプロ入りした大島選手の偉業をたたえたい。そして「急がば回れ」。この言葉はあらゆる人たちに勇気を与えてくれる。回り道は無駄ではない。そのことを大島選手が教えてくれた。
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