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『ダダダデスダッタ派』

春の嵐の2度起き、3度起きのせいで酷い有様だ。
『キア痛』も起こるし、なんなのだ
ま冬のように、ひっちゃかめっちかゃかに荒れ放題の我が家の庭だ。

さて、みなさんはお気づきだろうか。
私が、『ダダダデスタダッタ派』の書き手の、『句読点過多派』である事を、だ。
『ダダダデスタダッタ派』とは、文末が、~だ。~た。~です。~だった。で、終わるものの、とくにダダダダッと『だ』を愛する者の『派』の事だ。
『句読点過多派』は読んで字の如し、だ。
これが、私には心地よい文章のようであり、癖であり、長年の悪筆でもある(いまは『だ』を堪えた)。

『ダダダデスダッタ派』は、離脱する可能性をのこす。が、『句読点過多派』を離れることは一生ないだろうと思う。
私は、『おもうけれど派』でもあると思う。が、クドいのでこの話題からは、一端、離脱しようとおもうけれど、どうだろうか。

そう、春の嵐にもどろう。
昨日、そんな荒れ放題の狭い庭を見て、「木を切ってハーブ系の植物を植えていいだろうか」と、母親に尋ねた。
「あの木は泥棒避けにもなるから」と一端はね除けられたが「あの木が私の目に刺さりそうになった。玄関にセンサーライトも取り付けよう」と、説得をした。

この庭は、私の感覚と情緒では受け入れがたいほどに樹木が多いのだ。『樹木から草花へ』の移行を進めていきたい。正直に言ってしまえば、汚部屋ならぬ汚庭だ(いやな言い方だ、もう使わない)。老齢になると、そう、なるのかも知れない。体力もなくなり、手入れが行き届かなくなる。こうして、母親からの許可はでた。父親からの許可はいらない。そういう我が家のシステムだ。

『ガンかわいがり中』は、このような作業は極力避けたほうがいいのだが、ストレスの解消がてらに、木を切り倒そう。私にはまだ体力がある。体力があるうちにやっておいたほうがいい。
そんなわけで、私は、我が家の内と外の整理整頓をすすめている。

そう、母親から一点条件が出たのだ。隣の家との境に2メートル級の目隠しが欲しい。そんな要望もでた。いまある140~150センチ高のブロック塀では駄目らしい。樹木の変わりに、庭の仕切り、柵、板塀が欲しいそうだ。難題だ。ハーブを植える時期が過ぎてしまう。
しかし、大谷翔平を何人並べればいいのだ。明日から我が家の庭では、『ショウタイム』が始まる。



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