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『国境の妖怪』

物騒な話ではない。ただ、『国境』の話がしたい。『上越国境』の話だ。
川端康成が決めたわけではない。が、文句をいいたい。
私が思うに、その雪国へ向かう国境は「国境の長いトンネル」を、ぬける前にあるのだ。群馬と新潟の国境は、三国峠の群馬側にある(残念ながら群馬の面積は小さくなる)。
三国峠の群馬側で、標高800m~900mの間で絶えず正しい(私が思う)国境が動きつづけているのだ。

私はオートバイで走るのが好きだ。『走りっぱなし』のせいのほうと言えば、今初めて言ったので、誰も知らない。が、昼飯を抜いてでも走りっぱなすのが私なのだ。そんな私だからわかることがある。三国峠の標高800m~900mの間に空気の変わり目があるのだ。まず、車ではわからない感覚だろう。新潟から群馬へ帰る三国峠のくだりで「むん」としたぬるさをオートバイなら感じることができるのだ。

例えば、鎮守の森の神社の鳥居をくぐり、一歩二歩と進んでゆくと突然あらわれる得体のしれない、「しん」とした神聖な空気の層。からだが洗われてゆくようなそんな経験をされた者も多いはずだ。
群馬と新潟の国境にはその得体のしれない『ぬるい』空気と『つめたい』空気が、標高800m~900mの間でのぼりくだりをくりかえしているのだ。私はそれを妖怪『ぬるりんぼう』と『つめたいんじょう』と呼んでいる。『ぬるりんぼう』と『つめたいんじょう』は夫婦の妖怪だ。三国峠の守り神でもある。

夜半、標高900mでは『つめたいんじょう』が熟れたくちびるでぬるい空気を探し求めて「吸う吸う吸うぞ。われの夫を吸う吸う吸うぞ」と、山をくだりはじめる。
いっぽう、標高800mでは『ぬるりんぼう』がまるまるとした尻を山上にむけてぬるい屁を「むんむれむんむれ、われの放屁は妻をいざなう」と山上をずいずいのぼる。

「見つけたりわが夫」「見つけたりわが妻」
『つめたいんじょう』が『ぬるりんぼう』のぬるい屁を吸いきった。白桃を食う美しい娘のようだった。『ぬるりんぼう』の尻はすこし萎んだ。『つめたいんじょう』の頬は紅く膨れた。夫婦の妖怪の愛が辺りの空気を変えた。
夜な夜な三国峠の標高800m~900mでは夫婦の営みが行われている。
そこが、正しい(私が思う)国境なのだ。

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