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エッセイのほう

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野蛮で図々しくてくだらないことを書いています。400字~2000字くらいでしょうか。
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#コラム

『ほう』

「ほう」と感心してみましょう。 何ごとも「ほう」から始めてみましょう。「ほう」には含みが持たせてあります。一例をあげましょう。「ほう」と言いながら、その間に脳をフル回転させて見ましょう。二の句が出てこない時の時間稼ぎの「ほう」です。そのわずかな時間で失言も防げるでしょう。 また、よりよい対人関係づくりの為の一歩だと思って、毎日トーンを変えて「ほう」の練習を心掛けてみましょう。リラックスして反響する風呂場がいいのではないでしょうか。そこから、メロディーが出てきたら儲けものです。

『自堕落静養日記。九月二十六日』

これが。 こうなった。 ほぼ、四十八時間が経過している。丸い風船が細長くなった。しぼんだ風船の横に筋が入り凸凹してきたら完了。自ら針を抜く。もう抜いてもいいくらいだと思うけれど。念のため、もうすこし様子をみる。 胸についた温度センサーを外し、管をロックしたら、右鎖骨下に埋め込んだポートから針を抜く。このとき、テープで固定されているので慎重にぴりぴり剝がさなくてはならない。指先がしびれているので余計難しい。

『自堕落静養日記。九月十五日』

昨日、書いた事の続きのような文章になる。 『ストレンジャーシングス』を、シーズン4まで一気見している最中は、それ以外の情報をシャットアウトしていた。 目覚めて起きたら、トランプ候補が暴言を吐いて、兵庫県知事が目に涙をうかべていた。 私は、しつこく何度も書いている。「涙は怖い」と。プーチン大統領の涙も、兵庫県知事の涙も本物だからだ。涙とアルコールは人を酔わす。そして、自らの都合のよいほうに真実を曲解する。 だから、島田紳助より、明石家さんま派であり、長渕剛より、桑田佳祐派な

『まとめ途中。自堕落静養日記。追記中。九月八日~』

薬の副作用でずっとねむい。かといって、発疹の治まる気配はない。 よって、自堕落に静養するほかない。過ぎ去らない盛夏の中で、動けば動くほどに、ぽつりぽつりと発疹は何処からともなくやって来る。 これは愉快犯だ。目的がわからない。 文章を書きながらでも、ねむい。これだけねむければ、明後日の化学療法もいつのまにか終わってしまうだろう。胸に埋め込んだポートをどれだけ利用するのかもわからない。明後日の最後の点滴は確実に利用することにはなる。そして、家に持ち帰り、丸二日間経った後に自らで

『自堕落静養日記。九月十二日』

無数の赤い軍隊蟻が私の肌の上に波紋をつくり、侵略するように発疹が拡がる。そして、其処に駐留する。毎日だ。消える発疹は僅かで、赤色のままであったり、黒く染みになったりもする。 その痒みも、波紋の拡がりと道連れと共に侵略するように細かい蟻塚を量産する。その痒みは、気づかないうちに肌から無くなる。が、幾度かの噴火を繰り返す。 私は、秋を待っている。私は、夏の陰に窮屈な身体を押し込みながらひたすらねむっている。

『自堕落静養日記。九月十日』

抗がん剤治療が二週間の延期となった。 好中球の値が低すぎるということらしい。つまり、私の免疫力は底をうっているという状態だ。「抗がん剤が効きすぎているようですね」と、言われた。 今の私は、風邪や肺炎に罹患しやすい。けれど、抗がん剤はしっかり効いている。なんとも悩ましい。抗がん剤治療中に、好中球の値が下がる副作用はよくあるという。そして、好中球の値が下がったほうが、五年生存率が高くなるというエビデンスもあるらしい。 何度も書いているのだけれど、私は六月と九月に体調不良になる

『夏と秋。九月六日。なにもない』

なにもない日だ。ただ、私の生活の昼夜は逆転している。 信じられないくらいの発疹が、私の身体を襲来しているが、まあ、どうということもない。もう、私は私の見た目に関心がない。一応、ステロイド軟膏を医師の指示どおりに塗るだけだ。 新しい抗がん剤治療の1クール目なので、なにが異常なのかもわからない。「発疹がでて当たり前」の可能性がある。この抗がん剤治療の副作用は発疹なのだろうと納得している。来週の火曜日に受診する予定なので、はっきりするだろう。鼻血は数日前に止まった。抗がん剤が身体

『夏と秋。九月五日。嘘つき』

秋の政治の季節が始まろうとしている。 与党と野党の総裁選、代表選がまじかに迫っている。私は、国の運営には、日本でいちばんの『嘘つき』がむいていると思っている。 『噓つき』とは、言い換えれば『夢』だ。つまり、夢を見させてくれる者こそが、国の運営にふさわしいと思っている。 私はいま、『真夏の果実』を聴きながら、そんなふうにかんがえている。 桑田佳祐氏は、日本音楽界、最大の嘘つきだ。何度も何度も、嘘をついて、私を夢見心地にしてくれる。嘘と夢は離れ離れには決してならない。 そんな

『夏と秋。九月四日。指輪』

二十四時間経過しても、トイレの排水に異常はなかった。多分、直ったという事だろう。私のうすっぺらい人生の経験則に基づいて考えると、これ以上深追いすると失敗する。ボルトをなめたり、プラスチックを破損させたり、たかが、掃除、されど、掃除だ。 そう、なんとなくぼうっとamazonprimeの『力の指輪』を見始めてしまった。途中で気づいた事がある。私はそもそも、映画版の『ロードオブザリング』を観ていなかった。小説も。で、その世界観の時系列的に『力の指輪』を2シーズンの三話目まで観てい

『夏と秋。九月三日。もわり』

涼しい、はずなのに。もわり、とした台風一過の空気が私にまとわりつく。 この季節と、私の抗がん剤治療の相性がわるい。発疹が、あとからあとから発生してくる。発疹がでたら、その都度、抗ヒスタミン薬を服用するつもりだった。けれど、ずっと消えないので朝夕服用しなければならない。 そして、最悪のタイミングでトイレの排水が止まらなくなった。 私は、本来ならば衛生的に過ごさなければならない。土いじりはおろか、トイレのタンク内を掃除するなどもってのほかだ。 私が止めなければならないのは排水

『ま夏。九月二日。虫の音』

昨夜、虫の音がした。秋の虫だろう。 とうとう、夏が終わるのか。 が、そんなわけはなかった。今日も蒸し暑い。おまけに、どしゃぶりだ。 金木犀の香りが町いっぱいにひろがるまでは、夏でいい。 おそらく私は、気象病で調子がわるい。 けれど、そもそもが、肝臓がんで不安神経症でむずむず脚症候群で発疹が身体中にぽつぽつ増殖を続けていて、更に眠剤を処方されているので、『調子悪』の正体を、核を、突き止めるのは難しい。 昨年の秋が私の人生の底の底で、おまけに底の穴に自ら滑り降りるところでもあ

『ま夏。九月一日。鞄』

小さな小さな、円墳がある。 私の右鎖骨下にこんもりとした、百円玉くらいの円墳だ。 それは、肉がついて、いっそう丸々としてきた。 私のこの五十年というものの肩掛け鞄のベルトは右肩にあった。常に荷物は左腰にあたり、そのバランスに慣れ親しんできた。この格好が不可能になった。右鎖骨下のカテーテル・ポートにベルトがあたり、鞄の重量がモロに肉の円墳にかかるからだ。これからの人生は左肩掛けスタイルで過ごさなければならない。 これが、意外と変だ。歩いていても鞄が落ち着かない。鞄の所在がう

『ま夏。八月三十一日。坂の上の雲』

よい、ニュースがながれてきた。 かつてNHKで足かけ三年に渡って放送された、司馬遼太郎原作『坂の上の雲』の再放送が決まった。地上波とBS4Kの二回の再放送があるという。 放送当時、私は保存版として日立製テレビのWOOO専用のHDDカセットに録画していた。これは失敗だった。WOOOは廃盤になった。テレビの買い替えとともに、他メーカーとの互換性のなさから、テレビの寿命とともに廃棄せざるを得なくなったからだ。 今回は、ごくごく普通の互換性のあるHDDに録画保存することが出来る。

『ま夏。八月三十日。主食』

退院してタガが外れた。 以前にも書いたが、私の主食が『パピコ』になっている。副作用の腹下りもないことから、日がな一日パピコを食べている。ステロイド軟こうを身体に塗りたくっているせいかも知れない。ギトギトベタベタの現実から逃避する為、私は清涼感を求めている。それが、パピコだ。 パピコを食べた途端、涼やかな風がぬめった肌をすがすがしく通り抜けていく。私は『パぴ感』の虜だ。布団に寝転がりながらでも食べられる。手離しでも食べられる。衛生的でもある。一本でも止められる、けれど、未だか