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ウィズ・コロナ時代の豊かさ再考

”私たちが平常に戻ることはないのです。少しも平常ではなかったのです。私たちのコロナ以前の生活は平常ではなく、強欲、不平等、極度の疲労、枯渇、抽出、分離、混乱、激怒、買いだめ、憎悪、欠乏を平常としてきたのです。友よ、私たちは元に戻ることを望むべきではないのです。私たちは新しい衣服を縫い合わせる機会を与えられているのです。人類と自然全てにぴったり合う衣服を。”
ーソニア・ルネー・テイラー


 ここ数ヶ月で世界の様子は大きく変わってしまった。そして、僕らは本当の豊かさとは何かを再考し、それに合わせて変化していく機会を与えられている。だが、世界規模で今までの常識がひっくり返るような変化が起ころうとしているときに、その変化を支える知恵は必ずしもメインストリームから立ち現れてくるとは限らない。「ビヨンドコロナ」や「アフターコロナ」などの新しい言葉がメディアにも並び始めているが、居心地の悪い今をしっかり見据えずに、改善された未来をすでに意識させるような言葉を生み出しているその超越的な思考を当たり前とするシステムそのものが問題の根底にあることはまだあまり認識されていない。


 色々な立場や事情の方々がいるので、外に出て働く必要があったり、外出自粛したりと外面的な現れとしては様々だと思うが、内面的に今求められていることとは、その超越志向のシステム内から自動的に思考・行動しないために、スローダウンして立ち止まり、今までの生活・歴史を振り返ることで自分たちのルーツ・生命の源と繋がり、今まで見過ごされてきた知恵とまだ見ぬ知恵を迎え入れることである。そうすることで、持続可能ではない果てしない成長・超越への志向が是正され、新しいバランスの取れた生き方が見えてくるはずだ。


 今まで見過ごされてきた知恵は、メインストリーム(主流)の対義語とされるフリンジストリーム(傍流)に目を向けることで明らかになってくる。例えば、現在、地球の生物多様性の約80%は世界総人口の約19分の1にしか過ぎない世界各地の先住民の居住地域によって守られている。気候変動と生物多様性の喪失の相関関係は概ね科学的に裏付けられている。生物多様性が失われると、食物連鎖が乱れ、水資源が乏しくなり、様々な種より作られる薬や資源が失われ、今まで自然界の内部に封印されていた諸々のウイルスが新しい宿主として人間を選ぶことも起こり、今までの、特に先進国の世界観の下で安全とされてきた生活はますます脅かされる。結局のところ、主に西洋植民地主義の影響下の抑圧に負けずに生き延びてきた各地の”未開人”、”傍流”とされて来た先住民たちの知恵が、地球のバランスをギリギリの所で保ってくれているのだ。


 ということで、自分自身の歴史や日本文化、世界の歴史の中で傍流とされてきたことやマイノリティーに目を向け、そこからも学ぼうと努めているのだが、主流のメディアからはあまり情報が入ってこないフリンジストリームとされるであろう国々からの情報や知恵にも触れようと試みている。その流れで、アジアの至宝と言われた故ヤスミン・アフマド監督によるマレーシア映画「タレンタイム〜優しい歌」を観た。


 マレーシアは三つの主要民族と地域の歴史が複雑に絡み合っている多民族・多宗教の国。この危機の時代だからこそ、多くの人たちに観て欲しい映画だと思う。ハリウッド映画の一部にありがちなダイナミックな展開やテンポに慣れてしまっている人にとっては、緩やかに立ち上がってくる序盤のストーリーテリングに惹かれないかもしれないが最後まで観て、離れ離れになった様々な糸が絡み合って、希望ある未来につながるであろう鮮やかなタペストリーが、素敵な音楽に揺られながら織りなされていく様子をぜひ見届けていただきたい。


*映画館に直接足を運べない中、こちらの「仮設の映画館」のサイトから、「タレンタイム〜優しい歌」をはじめとする数々の映画を単館映画館に訪れる形で視聴出来ます!


 今、世界のリーダーたちや人々の中には、より強固な壁を築いて既得権益を守ろうと試みたり、消化されていない怒りなどのエネルギーから何かしらの敵と捉えられた対象物や権力機構を倒すことで力の維持を図ったり、革命を起こそうとしている人たちがいる。そこからは、さらなる分断の世界が作り出されてしまうように映る。一方で、他のリーダーたちや人々の中には、悲しみや怒りなどの感情や心の傷を抑圧せずに、かつそれらに向き合いながら、分離を生み出している様々な壁を対話や愛情で溶かそうと試みている人たちがいる。アフマド監督は後者に属する類稀なる人であったのであろう。


 人類がさらなる分断を選ぶのか、その分離してしまったように見える個々をも包み込むような愛情の円環を描くことで、様々な繋がりとワンネスを取り戻すことが出来るのか。その行方は、一人一人が本当の豊かさとは何かを再考し、日々日常の中で様々な選択を積み重ねていくことにかかっている。そして、様々な壁を愛で溶かそうという試みは外側の世界ではなくて、それぞれの人が適切なサポートを得ながら自分に無理のないペースで、自分の人生そのものと向き合う内側の取り組みから始まるのかもしれない。

”結局、私たちが心に感じる葛藤の大部分は、私たちが生きている人生そのものから私たちが切り離されてしまっていることによるのです。私たちは自分と調和しないものから自身を分離し、それらを生きていながらも、自分に属さないものとして扱っているのです。私たちはどこか他の場所、もっと良い仕事、他の恋人のことを漠然と想像しているのです。でも、皮肉なことに、私たちを不幸にすることの大半は、自分たちが築いた人生への私たち自身による拒絶なのです。

いずれ私たちは自分たちの人生を自分の腕の中に迎え、それを自分のものだと呼ばなければなりません。私たちは、自分の人生とその見苦しい質の全てを正面から見据えなければならないのです。そして、その人生を何としても愛する方法を見つけなければならないのです。その完全な抱擁によってのみ、人生はそうなるように運命づけられているものに成長し始めるのです。”
ーToko-pa Turner (belongingbook.com)

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