「仕事」と「稼ぎ」の境界
貴方の仕事は何ですか。
以前の記事で家事や育児について「仕事」という表現をしましたが、これは人によっては違和感を覚えるかもしれないと思いましたので、整理していきます。
「職業」「仕事」「稼ぎ」、全て異なる用語と考えます。
一番わかりやすいのは職業で、これは収入を得る手段として一般に「名前」のついている「役割」です。会社員だとか、公務員だとか、調理師、教師、看護師、漁師、美容師、挙げ始めたらキリがありません。資格職と呼ばれるものは、一定の基準を満たし試験等によって資格を得る必要があります。
では「仕事」と「稼ぎ」とは何か。
内山節 (うちやま たかし)という哲学者がいます。彼は群馬県上野村を訪れ、そこで農業に従事しながら生活することも経験し、現在では東京都と上野村の往復生活を行いながら思索を深めているといいます。彼の書籍は労働や自然を切り口にしたものが多く極めて示唆に富みますが、ここでは「仕事」と「稼ぎ」に注目したいと思います。
あるとき内山は村人たちが「仕事」と「稼ぎ」という言葉を明確に使い分けていることに気付きます。村人が「稼ぎに行ってくる」というときは、賃労働に出かけるか、お金のために労働することを意味していました。一方で「仕事をする」というときは、その「仕事」の多くは直接自然と関係していたようです。山の木を育てる仕事、作業道を修理する仕事、畑の作物を育てる仕事、家や橋などを修理する仕事、寄合いに行ったり祭りの準備に行く仕事など。山村に暮らすために必要な、自然や村や暮らしを守るための諸々の行動を、村人は「仕事」と表現していました。「仕事」によって収入を得ることもありますが、山村で暮らすにはそれでは不十分で、村人は「稼ぎ」に行く必要があったのです。
これを端的に表現するなら、直接価値を創ることを「仕事」、対価に貨幣を得ることを「稼ぎ」と表現していたと考えます。
さて、現代日本においては、仕事と稼ぎの境界が曖昧です。それは金銭に極めて大きい価値が置かれてしまったことの弊害であり、仕事=稼ぎと解釈されていった結果であるように思います。固定観念として、職業とは仕事のことであり、それは貨幣を稼ぐものでなければならないという構図ができてしまいました。
生き生きとした「仕事」は姿を隠し、直接価値を創り出しているのに「お金にならない」と蔑まれ、忘れられていきます。残るのは「職業についているか、いないのか」「稼いでいるのか、いないのか」そんな無味乾燥なモノクロの世界です。
私は「無職」という表現を好みません。人間の価値は、既存の職業についているとかいないとか、お金を稼ぐとか稼がないとか、そんなことでは決まりません。いかに「価値」を創り出せるか。その取り組みが重要と考えます。
もう一度、問います。
貴方の仕事は何ですか。
私の「職業」は、医師であり、占い師です。
私の「稼ぎ」は、保険診療に則った医療業務です。
私の「仕事」は、「人助け」です。それは西洋医学と東洋医学の融合された医療を提供することであり、心理学や哲学を背景に真理を探究しながら解決策を模索することであり、時には占術を用いて試練に立ち向かう支援をすることであり、私の関わる全ての人の人生を豊かにすることです。その仕事の一環としてnoteでの執筆活動、コメント欄での交流、サークル「アカデメイア」の運営を継続しています。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは貴方が「仕事」と「稼ぎ」の境界に気付き、豊かな人間性を存分に発揮して主体的な人生を謳歌できますように。
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