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1番星をさがして

台風がくる前の夕焼け空は、なぜだかいつも信じられないほど美しい。

それがなぜなのか理由は分からないけれど、ただ台風前の夕暮れが美しいということだけは知っている。

日本列島を通過している最中の台風は、おそらく夏を連れ去ってしまうのだと思う。

雨風をどうにかできるわけじゃない私は、あんまり被害がひどくなりませんようにと、ただそう願っている。

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これまたなぜなのかは分からないけど、私の記憶では、季節が秋や冬になり、空気がつめたくなってくると、夕方の月の隣に金星が輝くようになるはずだ。

宵の明星と呼ばれるものだろう。明けの明星もあるけれど、私は夕方の三日月とその傍らにきらりと光る金星の方により親しみを持っている。

ちょっと気になったので調べてみたら、やっぱり月と金星が寄り添うのは毎年10月ごろから数か月間だけらしい。国立展望台のページには、そのことが「月と金星のランデブー」と書かれていた。

そんなふうに三日月の横に静かにきらめいている金星を見ると、まるでえくぼのようだ、といつも思う。

三日月のかたちがにっこり笑っている唇の形みたいだからかもしれない。

三日月の隣のえくぼのような金星は、とてもチャーミングだ。自分の頬にえくぼがないから余計にそう思うのだろう。私は三日月と金星から微笑とえくぼを連想する。そしてそのあと、妹のことを思い出す。彼女は片方の口元にえくぼを持っており、幼いころの私はそれがとてもうらやましかったから。

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この夏は実にいろんなひとに会い、そのひとと誰かとの恋の話を耳にした。うまくいっている話、そうでない話、どちらを聞いていても、やっぱり恋ってとてつもなくエネルギーのいることなんだ、と思った。

1年半ほど前から、Instagramで「きらきら、あおい。」という名の漫画を読んでいて、その最終話が今日更新されていたから、さっき見てきた。

この漫画を書いている方の絵をもともと知っていて、たまたま見かけたからフォローして読んでいたのだけど、冊子が欲しいくらいによい話だった。すこしせつない最後だったけど、青く輝いていた。

私は「恋愛」と呼ばれるものがちっとも上手じゃない。

その理由はふたつあって、ひとつは駆け引きと呼ばれるものが全くできないということ、ふたつめは私には男の子を見る目が全くないからである。

けれども私も私なりに、私のことをだいすきになってくれる誰かを探し求めてきた。

私は小さいころから結婚したいという気持ちがあったから、誰かを好きになるときにはいつもそのひととの将来を想像した。

いつか家族になってくれそうな、家族ではない男の子を見つけ出すのって、大変なことだと思う。おまけに私がどれほどそのひとを好きになっても、そのひとが私を好きになるかどうかはまた別のお話なのだ。

そしてまた、誰かと想いを通わせ合うまでのところで生じる悩みと、こころを通わせてから生じる悩みはまったく種類が異なっている。

片思いをしているときは、両想いのひとたちが相手への不満を言っているのを耳にすると「両想いなんだからいいじゃない」と思う。ところが誰かと付き合うと「あっ、ほかの女の子と楽しそうに喋ってる!」とやきもちを焼いたり、「遠距離恋愛で全然会えない…」ともやもやしたりする。

だから恋って、なんだかすんごく難しい。

正解はひとつじゃないし、それぞれの恋愛の形がある。言葉も態度も、ちょっと間違えたら全部ががんじがらめになって、赤い糸で自分の首を絞めているみたいになる。

何度も失敗してぐるぐる同じところを回って、ときどき何もかもがこわくなってくると、もしかして自分を愛してくれる異性なんて、世界のどこにもいないんじゃないか?と思い込んでしまったりもする。

もちろん私も好きなひとと思うような進展がなく、すばらしい夢を見ては目覚めて学校へ通う日々を繰り返してきた。

けれどそんな私の前にも、ちゃんと私のことを好きになってくれる男の子が現れた。

それが恋人。

彼の何が他の男の子と違っていたかというと、まず、彼の方が最初に私を好きだと言ってくれたということ。私は今まで自分からアタックして砕けてばかりだった。けれど彼は、私に対して「好きです」と直球に告白してくれた、初めての男の子だった。

そして、彼は私にとって生まれてはじめての恋人だった。

私には過去に誰かと付き合った経験はない。いま付き合っている彼だけだ。だから私には元恋人と呼ぶべき男の子はひとりもいないし、今までに彼以外の男の子を恋人と呼んだこともない。私が恋人という言葉を使うとき、その言葉が指すのは今も昔も彼一人だけなのだ。

彼と私との関係性は(色々あったとはいえ)高校2年生の夏に動き始めた。

ここまで6年間のうち、最初の半年は友だちとも恋人ともいえないような感じだったし、大学4年間は完全に遠距離恋愛だった。

今年に入ってからは、彼が東京から帰ってきた代わりに私が県外へ出ているから、ひょっとすると遠距離恋愛期間は5年と言っていいのかもしれない。

高校生のとき、私には、一体私の何がそんなに彼を夢中にさせるのかよく分からなかった。私の何がそんなに好きなのだろ?なぜ私でなくちゃだめなのだろう?と不思議に思っていた。

その理由については、やっぱり今でも自分じゃよく分からない。

でもこんなふうにがむしゃらに私を好きで、決してその手を離さないでいてくれる男の子は彼のほかにはいないのだということは分かっている。だから私の方も離したくない、と思うのかもしれない。

私は私で、彼をすごく好きなのだ。

彼を好きになってから、私にとって彼がはじめての恋人であるように、彼にとっても私が唯一の恋人であればよいのに、と願うことは幾度となくあった。

私が彼の最初の恋人で、そして同時に最後の恋人ならばよかったのに、と。

私は彼の最初の恋人にはなれなかった。

とは言いつつ、私と彼とが出会うタイミングはおそらくベストだったとも思っている。あれより早く出会っていても遅く出会っていても、私たちは互いを好きになったり付き合ったりしていなかった気がする。これについては私と彼とで意見が一致している。

彼の最初の彼女になれなかったことはすこし残念だけど、「はじめて」という称号というものはそれが決定したときから絶対に塗り替えられないものだから、それは仕方がない。

その代わり、私は彼にとっての最後の恋人になりたい。

こんなことを書いたのを後悔する日が一生来なければいいのだけれども、何があるか分からないのが人生だ。残念ながら、断定的なことはあんまり言わない方がいい。でも、やっぱり言ってしまう。私は彼の最後の恋人になりたい。

というより、そうなれるような私でありたいのだと思う。

それが叶うかどうかはまだまだ分からないのだけれども、そんな風に思える相手と出会えて、そのひとが変わらず私を好きでいてくれることは、私にとってすばらしくすてきなことだ。

***

今日の夕方も西の空はたいそう美しかったので、恋人に今日の夕焼け空の写真を送った。そうしたら、きれいね!と返事がきていた。夜勤なのに、合間に連絡をよこしてくれる彼が本当に本当に好きだ。

彼と一緒にきれいなものをたくさん見たい。おいしいものをたくさん食べたい。

9月の頭から12月の終わりまで、私と彼とはまた離ればなれになる。しかも今までの遠距離恋愛とは違って連絡も一切取ることができない。

それどころか、おそらく私にとってこれからの数ヶ月は、彼のことを満足に想う暇もないほどの日々になる。それどころではないことをたくさん強いられるだろう。しかもそれは自分から望んで強いられにいっていることでもあるのだ。

だからひとまず、この数ヶ月間を越えなくてはならない。私たちはがんばってばかりだけど、彼となら大丈夫な気がする。

夢や希望をまっすぐに抱き、まぶしいであろう未来を無邪気にあれこれ想像している私は愚かだろうか。

けれど冬には夕暮れの三日月と金星みたいに、彼とふたりで寄り添って星を眺めたいのだ。そしたらまたすこし冬を好きになれる気がする。


とりあえずみなさん、台風には気をつけて。



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