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プリズム

先週の末、ゼミのみんなと研究室でたこ焼きパーティーをしたのだが、私はそこで同期たちにいろんなことを聞いたし、いろんなことを話した。

まず私がどれだけ彼ら彼女らのことを好きなのかをはっきり伝えた。

そして私がこんなに好きなんだからあなたたちも私を好きでしょ、というようなことを押しつけがましく述べ、私と同じく酔っ払っているみんなに「まあね」とか「はいはいそうね」と言われるたびに満足でふんぞりかえった。

お酒を飲んで楽しい気分になったので、かなり鬱陶しい絡み方をしてしまったとは思うけど、私が普段から嘘を言わない人間だからか、みんな私が何を言っても「はいはい、分かったから」「それあんたさっきも言ってたよ、何回言うの」とやさしく(?)なだめてくれてすごくうれしかった。

そんな会話の最中、ふと気になって、彼らに「ねえ、私って何色っぽい?」と尋ねてみた。

なぜそんなことを訊いたのかというと、就職活動の面接練習のためにもらった質問リストにそういう類のものがあり、しかし私は自分で自分が一体何色なのかいまいち分からず、答えられそうになかったからだ。自分ではしっくりくる色が思い浮かばなかったから、誰かに聞いてみようと思ったのだ。

そして私は面接官に自分が何色かを質問されて「黒です。私は黒のように、何にも染まらず自分の意思を貫く性格だからです」とか「白です。何色にでもなることができる可能性を秘めているところが、自分の思考が柔軟なところと似ていると思うからです」とかって言いたくないのだ。

ゼミの先輩はそういうのが無難な答えだと教えてくれたけど、第一私は自分を色に喩えても白だとも黒だとも思わないし、そんなあからさまな返答なんて言う方も聞く方も面白くないだろうと思ってしまうからだ(そう言ったら「面接ってそういうものだよ」と言われた)。

そういうわけで私を何色だと思うか、まず最初に恋人に聞いてみた。

彼は「うーん。水色かなあ」と答えた。私は幼いころから青や水色や紺色の服を着せられることが多かったので、自分でも寒色のような気がしており、恋人の返答は自分の中でしっくりきた。

なので、同期たちからもそういった答えが来ると思っていた。

しかしそのとき近くにいた友人は2人とも「オレンジ」と言ったので、私はおや?と思った。暖色がくるとは思っていなかったからだ。

「なんで?」と理由を訊くと、「〈青葉〉さん明るいからオレンジだと思った」とか「だっていつも元気だから」とか言われ、私は舞い上がった。そんなにハツラツとしてポップで穏やかそうな色をあてはめられるなんて初めてだった。

「えっ!でも私の恋人は水色って言ったよ」と言うと「それは彼氏の前であなたが別の顔を見せてるんでしょ」と返されて、確かにそうかと思った。

その話を後日恋人にしたら、「確かに、俺も高校生のときはじめてあなたと会ったときは、すごく明るくて元気な子だからオレンジっぽいと思った」と教えてくれた。「でも知っていくと実際のあなたは泣き虫だし、結構ネガティブだし、さびしがりだから、今は水色って感じするよ。もちろんそれだけじゃなくて爽やかな感じもするからだけどさ」と。

そのあと、家族にもためしに同じことを聞いてみた。

母は私を「オレンジか青緑」と言い、大学生の方の妹は「お姉ちゃんは寒色系だわ」と言った。父と小学生の妹は考えたまま返事がなかった(すごく真剣に考えてくれたのだろう)。

となると、きっと私は自分と深くかかわりのあるひとの前では、自分の持つ寒色系統の要素を出しているというのだろう。恋人が言ったように泣き虫とか、さびしがり屋だとか、マイナス思考だとか。もちろんそれだけじゃないかもしれないけど!

だからおそらく、私のことを赤とか黄色とかオレンジとかみたいに、鮮やかでエネルギッシュな色に喩えてくれるひとたちの前では、私はまだ「こう見られたい」「こう思われたい」のもとに振る舞い、それがまがりなりにも成功してしまっているのだと思う。

私はそれはそれで悪くないような気がする。

人間という生きものはいろんな角度から見ることができるし、いろんな面を持っている。それは太陽光をプリズムに通したら、光が7つの色に分かれるのと似たようなことなのだと思う。みんなそれぞれがきっと何色もの色の要素も当然のように持っているし、そう考えたら私たちは個人で既にすごくカラフルな存在なのだ。

私はいろんな面を友人に見せていいし、見せたくなければ見せないでいることさえも選択することができる。しかし虹は私の中にもある。私はそのことを誇らしく思えばいいのだ。

そしてちょっと傲慢かもしれないけれども、誰かの持っているカラフルを引き出すことができる、プリズムのような存在になれたらすばらしくいいだろうなあと、私は思ってしまうのだ。

***

ちなみに少し話が脱線するのだけれども、私は元々「プリズム」という言葉があまり好きじゃなかった。

初対面のひとと自己紹介をしあうと、どうも相手の名字と名前がしっくりこないような気持ちになることってあるでしょう。ああいうかんじ。私にとって「プリズム」という言葉には理科で習ったときから妙な違和感があった。

言葉とそれが示しているものが不一致な感じがするのだ。そしてその違和感は私の胸の中で長い間消えなかった。

だって「プリズム」という言葉は虹色にきらきらと輝いている感じがちっともしない。

でもよくよく考えてみたら、プリズムというのは光を通す多面体のことを指しているのであって、決して虹色に分かれた光を指しているわけじゃないのだ、ということに気づいた。

しかも光を分けるための道具がプリズムなのだから、これがないと太陽の光は単なるまぶしいものとしてひとまとめにされてしまうし、私たちがかつて理科の教科書で見たような、プリズムを透過したあとのくっきりときれいな虹色を見ることはできないだろう。

そう思ってから私は「プリズム」という物体の重要性に気づいたのだった。

ちなみに私が「プリズム」ということばを好きになった理由はそれだけじゃなくて、だいすきなYUKIちゃんが同じタイトルの楽曲を歌っていることも関係しています。

あなたは今もしかめ面で 幸せでしょうか
愛してくれる優しい人 見つかるといいね

「プリズム」/YUKI

歌詞がよいのはもちろんのこと、メロディもとんでもなくノスタルジーでエモーショナルでこう、胸がぎゅっとなる感じなのでぜひ聴いてみてください。秋が深まってきたくらいに聴くとさびしくて切なくて最高です。

***

話が逸れちゃったけれども、とにかく私が言いたいことは、私はまだ私のことをちっとも分かっていないのだということです。私を多様な色に喩えてくれるみんなのおかげで、私は自分の持っている知らない色に気づけたから。

そして自分のことを分かっていないということを、私は決して悲観的には捉えていない。分かっていないなら冒険をして知っていけばいいし、それは一生をかけていいくらいやりがいがあって、ワクワクすることだと思う。

そして私が私のことを分かっていないのだから、もし友人や恋人、家族の意外な一面があったとしても、それはそれで素敵だと思うのだ。

私は私とかかわってくれているひとびとのことをもっと知っていきたい。

さっき使ったことばを再びここで用いるのならば、プリズムのような人間になれたらいいな。「誰かの内側に隠れている新たな色を見出せるひと」という意味での「プリズム」に。

もちろん私の持つ色をうまく引き出してくれる誰かも存在しているのだろうと思う。その事実に対して素直に「ありがとう」と思う。そう考えると私たちはいつだって、自分でも知らないうちに誰かの新しい色を引き出しているのではないだろうか。

こんなに素敵なことをここで述べても、これが面接には直接役立たないのが非常にもどかしい。しかし多分これでいいのだ。

そして私は面接官に「自分を色に喩えたら何色ですか?」と尋ねられたら、きっと「オレンジ色です」と答えるぞ、とひそかに思っている。


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