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NHKBS『英雄たちの選択 江戸川乱歩』を観て 

テレビのチャンネルをザッピングしていると、たまにだが、面白い番組にばったり出会う。
この偶然は、ユーチューブじゃあ、楽しめない。


江戸川乱歩と日本近現代史

NHKBSで、江戸川乱歩(1894-1965)を扱っていた。
乱歩がヒットした背景には、第1次世界大戦後の、都市化が進み、大衆消費社会が発展し、生活様式が多様化した時代があったという話は、興味深かった。
たしかに都市大衆は、隣人が何をしているか何を考えているか分からない。
つまり隣人が怖い。
その心の隙間に入るように、乱歩は大衆向けの恐怖小説を書いた。
従来の夏目漱石などの文学作品が、ごく小さなインテリのサークルに向けて書かれたものであったのに比し、乱歩は大衆のために書いた。

しかし第2次世界大戦中、乱歩は軍部の厳しい検閲にあった。
手足を失った傷痍軍人の妻の情欲を主題とした『芋虫』は、幾度も書き直しを命じられた。

また検閲だけが問題だったのではない。
読者大衆が乱歩を忌避するようになった。
戦争に突き進む大衆が望んだのは、乱歩の暗く陰鬱な病人の物語ではなくて、明るくたくましくどんどん日本が世界に進出していく〈勝者の物語〉だったのだろう。

けれども乱歩の生涯で決定的だったのは、戦後直後の日本社会だった。
高橋源一郎氏によれば、乱歩は、ついこれまで「戦争万歳、神軍万歳」と言っていた大衆が、終戦となって急に「平和万歳、民主主義万歳」と言う、その様子を見て落胆した。そして絶望し、大衆のために文章を書くのをやめた。
実際、戦後、乱歩は恐怖小説を書かなくなる(子供向けの『怪人二十面相』は例外だった)。

そして乱歩に嫌悪感を抱かせた、この戦後日本のヌエのような心的態度は未だに健在だ。

ヌエのような

例えば、ここ四半世紀で日本の大学は「真理探究の場」から「教育サービス提供の場」へと、「社会に有益な人間を育成する場」から「学生が満足できて楽しめる場」へと、その目的を変えた。
私が奉職していた短大の学長は、「それがいまの流れです」とおっしゃった。
しかしながらその「いまの流れ」に合わせるように、学校の「教育理念」を変更したという話は、寡聞にして存じ上げない。
目的が変わったのならば、それに応じて、掲げる理念も変えるべきだろう。

そこにあるのは理念の軽視だ。
骨太の理念を軽んじて、ヌエのように、クラゲのように、その場しのぎで、〈おかみ〉の顔色を伺いながら、ダラダラフニャフニャ生きていこうという態度である。
いまどきの流れに流されても、生き残れば、それでいいのだ。
理念や信念なんて、どうでもいいのだ。
そうやって、「戦争万歳」も「平和万歳」も、すべてを嘘にして、嘘で嘘の上塗りをして、何がほんとうで何が嘘かも分からなくなって、自分が何のために生きているのかも分からなくなって、寂しくご飯を食べてトイレに行くのが、この国の民なのだろう。

リンチにかけられる〈犯罪者※〉

(※日本語の日常用語は、フランス語と違って、軽罪délitと重罪crimeを区別せず、あらゆる違反を〈犯罪〉と呼ぶ。けどこの原理主義、おかしくないか?未成年の飲酒と殺人は同一視できなかろう。)

さてこの国の寂しい民は犯罪者をリンチにかけて、日頃の鬱憤を晴らす。
一億総パパラッチ。盗撮と盗聴にあけくれる。
楽しそうに不倫をする芸能人。無邪気に外遊する政治家。自らの性癖に正直すぎるひと。ほんとうに思ったことを口にするひと。交通ルールを順守しないひと。所定の場所にゴミを捨てないひとなどなど。

もちろん、何もしなければ、犯罪者になって吊るし上げられることもない。
だから何もしない子供が増える(子供の観察眼と処世術を侮ってはいけない)。
勉強もしない、冒険もしない、貝になりたいと引きこもる子供が増える。

もちろん犯罪は良くないことだ。
しかし犯罪者をバッシングするのは良いことなのか。
盗人にも三分の理。理由があってのことなのではないのか。

おそらく犯罪者をはやしたてて喜ぶ大衆は、常日頃、嘘をつくことを強いられている。
そしてそのことに、心の奥底で、うとましさ、恥じらい、良心の呵責を感じている。
だからこそ、まさにそんな良心の呵責を忘れるべく、自分のヌエのような生き方こそが正しいのだと強弁すべく、犯罪者を大声で糾弾するのだろう。

いまこそ、犯罪文学のチカラを

優れた犯罪文学は、江戸川乱歩にせよ横溝正史にせよ、どんなに猟奇的な犯罪を扱っても、犯罪者の悲哀を忘れない。
だから文学なのだ。
たとえ相手が精神を病んだ犯罪者だとしても、想像力さえあれば、理解可能だとする前提が、そこには在る。
別言すれば、犯罪文学は我々の、他者への想像力を養ってくれる教科書だ。

いま、中東では、未曾有の戦争犯罪がおこなわれている。
パレスチナの復讐心、イスラエルの恐怖心を、想像しよう。

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