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【雑文】父を見送り、この世がサイコホラーではないとわかったので、これから無敵になれそうな娘の話。

物心ついて以降からほんの6、7年前くらいまで。つまり人生の3分の2くらい、父のことを大嫌いだった。別に、私や私の周辺の人間に対して悪意ある言動や暴力的な行為をする父だったわけではないのだが。ただ人として、自分とは徹底的に合わないと思っていた。私の子ども時代には「親ガチャ」という言葉はなかったけど、父の子として生まれたことは、私の中ではまさに「外れくじ」もしくは「もらい事故」の位置づけだった。

父に対する自分の心情を覗き見ては、「この世には、本人は何も企まずただ自分としてまっすぐ生きているだけなのに、血を分けた我が子にここまで嫌われる運命が存在しうるのだ」という事実を突きつけられ続けてきたことで、私は「この世はある種サイコホラーだ」という認識を抱きながら戦々恐々と生きてきた。「どこでも生きていけそうな人」と評されることが多いので、あまり傍目にはバレてはいなかったのかもしれないが、内心は、いつだって相当びびっていた。

が、ここ6、7年、特に父が倒れて寝たきりになって以来の2年半、父への私の感情は大いに緩和した。父との間に何か特筆すべき出来事があったわけでもないのだが、家族とは関係のないさまざまな場所で私に起ったさまざまな出来事を通して、自然に、本当に自然に、じわじわとそうなっていった。そして、お見送りして間もない今現在、父は傍にいると苛々させられる面はあったものの、愛すべきところも多々あるおじさんだったと思っているし、私自身が父を愛していると言っても過言ではない。心の底からだ。通夜を終えた夜中に目がさえて起き、棺に入れる手紙を泣きながら書いたし。文面を写真に撮っておいたのを読み返して、いまでも泣けるし。

コロナ禍のせいで、2回しか面会できなかったけど、1回目で「お父さんの人生は正しいよ」、2回目で「ぜんぶありがとうね」と、“私からお父さんに伝えられる言葉のとしては、おそらくこれが最適にして最上であろう”と思われる言葉を伝えられたので。発語力を失った父からは返事は聞けなかったものの、顔を見る限りでは理解してもらえていたようだったので。一切、悔いはない。もちろん、亡くなった当人の気持ちはわからないから、あくまでも自己判定だけど。

ありがとう、お父さん。この世がサイコホラーではなく、「素晴らしき哉、人生」だとわかったので、娘はたぶんこれから、割と無敵です。


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大丈夫かな、この文章。父への棘が残っているように読みとれてしまわないかな? ちょっと心配。私としては200%本音での愛と感謝を込めているのだけれど。

あ、あと。もしかしたら誰かの役に立つかもしれないと期待して追記↓

いま、親御さんとの関係が良くなくて、どうしても愛情を持てなくて悩んでいる人へ。いつか私みたいな日が来るかもしれないから、いまは別に愛せなくても気にしなくていいと思うよ。その日は来るかもしれないし、来ないままかもしれないけど、ひとまずは他のこと考えて、他のこと一所懸命やっとこ。

そういえば、こういうのも書いてたわ。


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