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完璧な不完全性、人間性を晒す


さて このたびは何から晒し始めよう?
先に書いた記事『あなたも作家になろう』の書籍の一行からの影響で
とにかく溢れるままに 勢い書いてみた。

雨上がりの朝のウォーキングは気持ちよかったよ、ってことの話。
山の登山道の足場は思いっ切りぬかるんでて 所々小さな川のようになって浸み出した雨を流していくのだけれど それがどれも澄んでで気持ちがいい。そのいくつかの場所は 決して美しいわけでなくて 堆積した枯葉や土、木の根の間を小さく水が流れていく。 ただそれだけのことなんだけど、光が反射するからかな、キラキラして そこに音はなくても 何処からか音を連れてくるような錯覚で気持ちよくなる。そんな感じだ。

そこに一歩足を踏み込んで 場所によってはヌルッとした一瞬に 今度は
僅かな不快さを靴裏に感じながら 足の置き場をまずったなぁ〜と
悔やみながらも進んでいく。
けど、そんなぬかるみに足を取られるのは 別に大した事ではない。怖いのは濡れた岩や石の上で滑りバランスを崩すことの方だ。ちょっとした体幹ならある方だと自負していたけれど 言いたくはないがそれなりの年齢を重ねたこと 膝を悪くしたことで 受け入れていかなければならないことの 諦めみたいな 寂しさみたいなものはあるなぁ、って思う。

自分の決めたコースを、毎回同じ様に歩く。もちろん同じコースとはいえ
来るたびごとに違うことはたくさんある。天気や時間帯など外からの刺激によるものばかりではなくて 自分のこころの状態でも 見える景色が違ってしまう。今はどうなんだろう?

自分に問いかけてみる。

山に入ってしまえば自然の緑が放出する空気、香りなのか
またそこを歩いたり走ったりの体力を必要とする行為によってなのか
全部ひっくるめての 総合的な作用なんだろう。状態がどんなに悪かろうとも いつしか気分は 悪くない方へ向かう。

なので

手っ取り早いストレス解消には 山がいい。

めんどくさいな…  って思い躊躇するより 
その先の自分を想像することによって 動き出す習慣みたいなものを
身につけたかなって思う。

私にとっての幸運は この高すぎず低すぎずでもない 適度に険しくて
けれども短時間で てっぺん登頂の達成感を味わうことのできる山がある。
その山という自然は 歩いて行くことのできる すぐそこにあること。

イ_rising_sun

海のない県に生まれたけれど 
そんなことをとても残念に思っていた時代が長くあった。

果てしないものに憧れ 地平線を見てみたいと思いながら
それが叶わないならと 水平線の見える海の景色に憧れた。
10代の頃 バイクに乗りたいと 何をおいてもライセンスの取得を
目指し、行動し、海へと走る。

海に行って『バカヤローーー!』と叫ぶことはなかったが
流れに身を任せていると出逢うものがある。

海が無いのに船舶のライセンスにまで手を出し、小型船舶を操作してみる。
水平線を見るだけでなく 自分の操作で波に揺られる経験も格別なものだったと振り返ってみて思う。

たくさんの土地を巡ったわけではないが 自分が選んだ流れから
面白い体験につながるものがある。
だから若いうちは 出会うもの体験できそうなことは なんでもやってみたらいいと思う。そのことによって体感したものは 今もこれからも深いところに残り、暮らしていく中で何かしらのエッセンスとなり人としての味わいが重なっていくのではないだろうか。

今 目の前の山を エンジン付きのもので入っていくことはないが
自分の足で登れる豊かさを思う。
本当なら もう少しだけ自分の生の足で山を駆けめぐることをしたかったなぁ、と そこだけちょっぴり残念に思う。

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