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ふと思ったこと。雑誌やTVのシーンを写真で撮って拡散するのはNG行為。では「写経」のように小説を転載していたとしたら?


おはようございます。

#KENMAYA です。

最近あまり聞かなくなりましたが、
一時期コンビニや書店で雑誌や漫画のページを写真に収めるという行為が横行し、「デジタル万引き」などと呼ばれ、書店側がスマホでの撮影を禁ずる張り紙や、出版側もテーピングをするなどして対抗してきました。

客のモラルに期待していた時代は終わり、紙ベースからデジタルベースでの出版に切り替わる大きな転機でもあり、いわゆる町の本屋さんはほとんどその姿を見ることはなくなりました。

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そんなときふと思ったのが、
個人のSNSなどでの発信力が強まっていく中で、
いわゆるテキストの「コピペ」、「パクリ」といった行為にどれ程歯止めが効くのか。またそれが発覚したとして、ネット上には似たような記事は腐るほどあるわけで、ある程度それを防ぐようなツールがあったとして、機能するかどうかは疑問視せざるを得ません。

わたしの書いてきた記事もセンテンスごとにググってみたら、同じような内容の記事やブログはたくさんあるでしょう。
自己啓発系の記事の内容なんて、ぶっちゃけほとんどコピペで作れる気もします。


京都アニメーションへの放火殺人事件を起こした犯人も、
当初「おれの作品をパクりやがった」などと供述しており、
思わぬところで恨みや反感を買う恐れもあるわけです。


またITエンジニアを志す人も多くなってきていますが、
プログラムのソースコードなんてネット上に腐るほど例やテンプレがあるわけで、実際ゼロからソースコードを書くエンジニアなんて実はほんの僅かで(※個人の感想です)、大体同じ挙動をするテンプレートのソースコードに少しずつ手を加えて、バグチェックを行いつつ完成形に仕上げる、これが当たり前です。


これらを全て「パクリ」とするならば、
いつどこでどんな権利侵害を起こしてるか分かったものではありません。
音楽、文章、イラスト、プログラムコード、などなど、
これら全てが先人たちから、何らかのインスピレーションを受けて、よく言えば「オリジナリティを付与」してリリース。
悪く言えば「一部パクって」リリースしているようなもので、
全くのゼロから全く新しいモノを生み出すことは、今の時代不可能といってもいいでしょう。

ちなみにわたしの今日の記事は、
参考文献やwikipediaからの引用も一切なく、
自力で書いていますが、恐らくネット上には似た記事を探せばいくらでもあるでしょう。


では、トーマス・エジソンのような人類史上に名を残す、画期的な発明や
ミケランジェロやゴッホのような世紀の大傑作以外は、全てパクリでしょうか?

それは暴論ですよね。

わたしはパクり、パクられは、ある程度は仕方ないとしつつも、「主体性を持って取り組んでいる」か「悪意を持ってやっているか」の違いではないかと考えています。
どんな絶賛された曲でも、「これはわたしが作りました。」と高らかに宣言し、後にパクリだと発覚したことがありましたよね。
そう、「踊る大捜査線」のテーマです。

あれは元の曲が著作権の期間が失効していたため、
大きな問題化はしなかったものの、「オリジナル曲」と偽っていたのは事実であり、そして「踊る大捜査線」のテーマは自称作曲者の著作権によって守られています。

これが正義でしょうか?


話がそれました。

これからの時代、マスコミの情報発信の信頼性が低下し、
個人の情報発信にも付加価値がつく時代になりつつあります。
そんな時代に「パクり」「パクられ」を意識していたら、
あっという間に時代に取り残されていきます。

人より儲かる鉄則は「他の人の真似できないことをする」。
しかし、情報格差のある今、「成功者の真似をする」だけでもある程度稼げてしまいます。

情報リテラシーとモラル、この両軸をしっかり自分の中で持つ。

これが今大事なのではないでしょうか。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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