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陽気なモロッコ人から学んだこと

この陽気なモロッコ人は私の人生に最も影響を与えた人物の一人である。
今回は「彼から学んだこと」と「私のこと」を絡めながら書こうと思う。

・陽気なモロッコ人が教えてくれたこと
▪️一見意味の無いことでもどこかで役立つ
▪️宗教
▪️アイデンティティ
▪️人生なんとかなる
▪️量より質

【アラビア語との出会い】

私は大学から人のやらないことをやろうと思い、真っ先に思いついたのは何故だか「アラビア語」であった。すると途端にアラビアのマジックにかかり「すぐに話せるようになりたい、もっと知りたい」と思ったがその難しさに悪戦苦闘。それとは別に私の通っていた学部は外国語(フランス語、スペイン語、中国語)が必須だった為フランス語も同時並列で勉強することに決めた。ここから“アラビアン““トレビアン“ライフが幕を開ける。

【フランス語本格始動!】

アフリカなどに話者が多いことから何となくフランス語を選んだものの、英語すらままならない私の肩にフランス語が重くのし掛かる。そんなフランス語の授業内容は教授が作ったDVDを購入し、そのDVDの解説を黙々と聴くという極めて単調なものだった。私は途中から「このスタイルの講義がつまらないかも」と気づき他にフランス語を勉強する方法はないかと模索した。そんな折、兄の友人Wが原宿にあるフランス語学校に行っているとの情報を得た。私は透かさずその友人Wに会い一度その学校に紹介してもらった。始めてフランス語学校に行った私は“外国人ばかり“ “日本なのに外国語しか話してない“ なんか匂いが違う“ “とてもフレンドリー“ “異空間“なコミュニティが存在する学校に一目惚れした。私は一目散に契約書に判子を押した。

【出会いはいつも突然に】

このフランス語学校には「日本人はフランス語」を「フランス語話者は日本語を」勉強しにやって来る。そして私が振り分けられた初級のクラスはわずか二名。私とチュニジア人のNだった。私は知らなかったのだがチュニジアの公用語はなんと「アラビア語」。「フランス語もアラビア語もこの学校で勉強できる」ありがとう友人W! そしてもう一つ、ここの一番の目玉ポイントは「原宿散策」「箱根温泉」「浅草巡り」など「アクティビティ」という課外活動があることだ。日本人とフランス語話者が一緒に観光スポットを巡り学校の先生が案内してくれる有り難いサービスである。そのアクティビティの「折り紙」で出会った人こそ「陽気なモロッコ人」である。折り紙をしながら私が女性に" Merci mademoiselle"というのを間違えて" Merci madame"と使ったことが偶然的にアイスブレイク(赤面したのは言うまでもない)となりみんなと打ち解けたので夜の食事に誘ってみた。すると5人程食事に来てその中でも特に意気投合したのが陽気なモロッコ人だった。アニメを見て日本語を勉強したらしく喋り言葉が「北斗百裂拳」や「聖闘士星矢」の影響をもろに受けているのが漏れ出ていた。

【カムバック】

それからというもの陽気なモロッコ人からのアプローチはほぼ毎日、スカイプを通して行われた。私は気づいたら自然と「この彼についてもっと知りたい」と虜になっていた。しかしその時の彼はホームステイで日本に滞在していたので門限があったりステイ先の人と出掛けたりでなかなか一緒の時間は作れなかった。そんなこんなで帰国してしまったのだ。しかし私たちのスカイプの通知は鳴り止まない。私たちは一刻も早くコミュニケーションしたいという欲望から彼が日本語を少し話せることをいいことに私はフランス語ではなく、もはや日本語で意思疎通を図っていたのだ。今となっては彼の日本語はとても流暢だ。そしてもう一度日本に来る旨を聞き「今度は一緒に出掛けよう」と二人の熱い契りを交わした。彼が来るまで色々なお店や観光地を調べながらあることに気づいた。それは「ハラールのお店が少ない」ことや「アルコールの入ってない料理を探すとかなり絞られる」ということだ。実はこの陽気なモロッコ人は厳格なムスリムで調味料にアルコールが入っていても食べない程きっちりしている。さらにこのモロッコ人、本当はベルギー人なのだ。親の世代からベルギーに移住したため国籍はベルギー人なのだが自分の居場所はベルギーには無いと頑なに言い張る「心はモロッコ人だと」。日本にいると宗教や人種は意識することは皆無に等しいがこのモロッコ人は政治や宗教について饒舌だ。そんな彼に「あなたの宗教は何教なの?」と聞かれ戸惑った私を見て「じゃあイスラム教になれば?」と平然という彼。宗教に対する価値観や姿勢が全く異なることを知り自分の宗教に対する姿勢を改めないといけないと認識した。日本に来た際に、一緒に観光地へ行き「触ると幸せになる銅像」というのがあったのだがそれも絶対触らない。そうイスラムの世界では偶像崇拝は禁止とされているのだ。そして「日本のモスクに連れてってくれ」という彼。どうやら代々木上原に東京ジャーミィというモスクがあるらしい。アラビアに興味のある私はすぐに一緒に行くことにした。駅から少し歩くとオスマントルコ様式のモスクとミナレットと呼ばれる塔が天高くそびえ立っていた。また金曜日ということもありアザーンが鳴り東南アジアのムスリムや日本人のムスリムなど沢山の人が押し寄せていた。そんなアウェイな空間に飛び込んでみると中にはなんとフランス語学校で同じクラスメイトのチュニジア人のNもいるではないか。これがムスリムの日常なのか!私はあまりの偶然に驚きを隠せなかったが彼は驚く素振りを見せなかった。そんなこんなで私たちはモスクの中へ入っていった。靴を脱ぎ整列し時間になると奥からコーランを読む人が現れた。私は何を言ってるのか全く理解できないがそれっぽいことを復唱しておくことにした。しかし困ったことに右を向いたり左を向いたり立ったりするのだ。数秒遅れて行動する私は横の知らない人と顔が鉢合わせてしまう。今考えてみれば、この時ほど脇汗をかいた時はないかもしれない。そんな時間が15分ほど経つと無事終わった。このように彼と過ごした奇妙な七日間が私達の友情を築いた。

【脱日本!】

そんなこともあり、私の中では至ってシンプルにある計画が出来上がった。それは彼の帰国と同時に私もベルギーに行くという計画だ。私は今まで海外に行ったことは無かったので、さっそく髪を切り胸を踊らせながらパスポートを作りに行った。だが無念にも同じ日のチケットを取れなかったのでニ日遅れでベルギーに出陣することになる。そのため彼の帰国日には、すぐにまた会えるという安心感からか涙は出ることが無かった。ニ日後、ブリュッセル国際空港に着くとそこには彼とその父親が私を待っていた。私を見た途端に彼ではなくなぜか父親が力強いハグをプレゼントしてくれた。ここから彼の親戚紹介のツアーが始まる。親戚はザッと8名位が世帯を持って同じような地域で生活している。この中で一番お世話になったのは博物館を経営しているノッポのモロッコ人である。彼が紹介してくれたこのノッポのモロッコ人の家に行くとまずは大きさに驚いた。それに隣にも同じサイズの家がもう一つ。いったいこの一族とは何者なのかという疑問がふつふつと湧いてきた。聞いてみるとこのノッポのモロッコ人は博物館を経営しているそうで、この大きな建物の一つがそれで隣の大きな建物が自宅になっているそうだ。「せっかく日本から一人で来たのだから」と博物館を案内してくれるノッポのモロッコ人。中に入るとどうやら有名な展示物があるらしくノッポのモロッコ人と陽気なモロッコ人が一生懸命身振り手振りとフランス語で伝えてくるのだが私は全く理解できない。このときに言葉が伝わらない歯痒さを身をもって思い知った。

【1200kmの旅路へ】

ベルギーに滞在中に行きたいところはあるかと陽気なモロッコ人は聞くので透かさず「モンサンミッシェルに行きたい」と答えた。なぜなら写真だけを見たことがあり、あまりの美しさに感銘を受けたからだ。しかし陽気なモロッコ人はそれを聞いてあまりいい顔はしなかった。なぜならモンサンミッシェルはカトリックの聖地としての修道院でありフランスにあるからだ。なぜだかベルギー人はフランス人があまり好きでない。しかし私の猛プッシュの甲斐もあってか翌日から往復1200kmの旅路が始まる。しかしこの時はまだこれから起こることを知る由もなかった。

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つづく


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