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名がある悲劇と救済

こんばんわ、海太郎です。

なるべく毎日書くと言ってはじめたnoteも今日で7日目。やっと一週間にきました。なんでも一週間やるとやりきった気持ちになってしまって、そのあとぱったり何もしなくなるなんてことがあります。

ここから“習慣化”にもっていくためにはもうひとフンバリか、ふたフンバリかそれ以上のフンバリが必要になりそうです。

フンバリってあえてカタカナにしてみたんですが、アフリカとかアマゾンとかどっかの民族の名前っぽい響きですね。フンバリ族、いや、微妙だなぁ。

フン=バリっていう村一番の戦士みたいな方が響きとしては的確な感じがしますね。素手で熊を倒したことがあるとか、ピラニアをそのまま食ったとかそんな勇姿が村人たちに口伝に語り継がれているのでしょう。

いつしかそれは“勇あるもの”の称号になり、フン=バリの名をを与えられたものは村中の尊敬を集めるみたいなことになるでしょうか。フン=バリの名を与えられた戦士の人生は一夜にして様変わり、そのプレッシャーたるや凄まじく、さぞ生きづらいだろうなぁ。

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さて、余談はここまでにします。今日は、作品の感想を書きたいと思っています。

作品は、島本理生さんの『ファーストラヴ』です。

この作品は例によって友人からの紹介で、「深夜2時から読み始めて、そのまま読み切ってしまうほどにのめり込んだ」と言われたのでそれだけで気になって購入しました。ぼくは単純なのです。

本屋さんに買いに行った時には平積みでスペース大きめで置かれていたのですぐに目に飛び込んできました。ズキュウウン!釘付けです!そう、初恋ですね。直木賞受賞作で最近文庫化ばかりなので読んだよって人も多いのではないでしょうか。

煽り文はすごく強烈です。「なぜ娘は父親を殺さなくてはいけなかったのか?」

結論からいうとすごく面白かった。ぼくも一日で!とまでは読むスピードが遅くて無理でしたが、2日であっという間に読みました。物語は煽り文以外にも多くの謎孕んでいて、その謎を追ってぐいぐい読めました。

しかし、ただのサスペンスものかというとそういうわけではありません。

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名前がないということは恐ろしい。

名前がないと人はその存在を認知できない。いじめにおいても苦しいのは無視。バイキンと呼ばれることよりもその存在が空白になることが苦しい。

有名な『フランケンシュタイン』はあのツギハギの怪物の名前ではない。怪物を生み出した博士の名前だ。怪物は名前すらも創造主である博士に与えてもらうことができず、この世の全てを憎む。彼が望むのは自分の嫁を探す、または創り出してもらうことだった。名前を読んで欲しかったのでしょう。

(余談ですが、フランケンシュタインすごく面白いです。)

しかし、名前があることは、存在の認知と同時に、存在の固定化をすることでもある。

そう名付けてしまわれるとそうならざる得ないというか、そうでしかなくなってしまう。ともするとその名の牢獄から抜け出せない。独房から見える窓の景色しかみえなくなってしまう。

本当は新種であったのに、元々ある名前をあてがわれてしまったが故に消えてしまった生物のように。

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ぼくは、この小説を読んだことによって、名前が与えられて苦しむことはなく、救われた。

「ずっとなんかクラクラしてて貧血だと思ってたんだよね。ここから血が出ていたんだ」と、いうように、自分が今までケガをしていたことを気づいていなかったことに気づいた。

それは今までずっと背中に張り付いていて、ぼく自身の目だけではどうあがいてもみることができなかったものだったけれど、
この小説が背中の闇に光を当てて、名前を与えてくれた。

名前があるのなら、見えたのなら、もう怖くはない。

自分でも説明のできなかった自分の行動が、この名前が与えられることに伴って、あの時の…これまでの…、全ての謎が解けた。だからぼくはアレをしてしまったのかと。

行動してしまったことへの光を通さない濁りきった後悔の澱だけがぼくの心を満たしていたけれど、全てが一瞬にして、名前一つで、流れて消えた。

作中の女子大生がなぜ父親を殺してしまったのかわかったように。クロスワードの一つが埋まると、周りが途端に埋まり出すような感じだった。

なんて特別な体験だろう。人生で何度小説に救われただろう。
この一冊はまたぼくにとって特別な一冊になった。


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