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大学生活に関する自論と主張①

大学生活が始まり、もうすぐ一年が経とうとしている。
 
    部活やサークルに邁進する学生や、勉学に励む学生、バイトに明け暮れる学生、遊びや何かしらの学外活動に精を出す学生、人生の夏休みと言わんばかりに分かりやすい青春的生活に没頭する学生、恋愛に溺れる学生。そして、それらすべてを一つの体で執り行おうとする欲張りな学生。
 
    色々いる。色々見てきたように思う。そんな中で、あまり注目されないのが、「特に何も頑張らない、何もしない学生」である。

 これは、割合的にはマイノリティというほど少なくはないのにも関わらず、恐ろしく存在感がないため、そして誰も相手にしないため、学生たちの話題の矢面に立たされることは基本的にはない。たとえるならば、大気中の「アルゴン」みたいな存在である。酸素や二酸化炭素よりはるかに割合は大きいけれど、普段の生活の中で意識することはあまりないと思う。
 
    自分は、そんな「何もしない学生」の中の住人である。この一年、そんな生活を送ってきた。でも、そんな彼らも、「何も考えていない」訳ではないと、考える。自分がそうであるからだ。
 
     「何もしない」とは言っても、本は読むし、課題もこなす。バイトも最低限するし、友人とも時々集まって近況報告会を開催する。つまり「何もしない」のではなく、「すべてが中途半端」といったほうが、的確かもしれない。
 
     それなら、「何もしていなくない」ではないか!と、これを読んだ人がいたら、考えるだろう。
 
     しかし、学問やバイト、サークルや部活も、一応しているんだが頑張るわけでもなく、その道を究めようとしているわけでもない学生らのことを、世間は「何かしている」と認めるであろうか。
 
     わかりやすい例が就活。面接官に、自分の学生生活を話すとき、大学の課題もバイトもサークルも遊びも一応「中途半端に」していたはずの就活生が、言葉を詰まらしてしまう様子が、なぜか私には容易に想像できてしまう。
 
     大学生らしいことを「中途半端に」こなしてきた学生たちを、世間は評価するのだろうか?

     少なくとも他人に厳しいSNSの住人達は、彼らを認めるようには思えない。そして当然、自分自身も彼らから認められる存在だとは、思えない。
 
     さらに、中途半端に頑張ることは、残念ながら見栄えも悪い。まったくやってない人と比べればマシ。と思いがちだが本当にそうだろうか?

 少しでもその分野に関われば、ツイッターやフェイスブックでその道のプロフェッショナルと簡単に比較されてしまう時代。こんな時代に若者は、新しい挑戦をどんどん諦め、「中途半端に」頑張っている人たちを、嘲笑う傍観者サイドへ回っていってしまうのではないだろうか。

つづく・・・。

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