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お箸のおはなし ~ 番外編2. イベントを延期して思うこと~


今日 2月29日は、本当でしたら私にとって初めての、大人の方を対象とした『お箸の国のおはなし会』を開催していたはずの日でした。

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世の中、新型コロナウイルスの感染拡大で大変なことになっていますが、
私のこの小さな会も開催を見送ることにしたのです。 

私自身、とっても楽しみにしてきましたので、見送りを決定するのは寂しい感じがしましたし、勇気のいることでした。
感染拡大のニュースを見ながらも、しばらくの間は、 “せっかく企画したのだから開催したい!”というエゴが渦巻いて、“開催の必要性を検討する”ことを邪魔していました。

私が見送りを決めたのは、厚生労働大臣から「初期段階は過ぎ、次のフェーズへの移行時期に入った」との発表があった2月23日。
私たちは一気に感染拡大するかどうかの分岐点に立たされたのだということをずっしりと受け止めて、その日の夜に「開催延期」のアナウンスをしたところです。

その後も日々刻々と厳しくなっている状況の中、あの時に見送りしたことは正解だったと、今は素直に思っています。
私の目標のひとつだった「あたたかなお時間を共有する」ことができるよう、ご参加の方と安心して気持ちよく集まれる時期に、改めて開催したいと思います。

この『お箸の国のおはなし会』を企画し、準備したことは、私にとって決して無駄にはなりませんでした。
今回開催は実現しませんでしたが、大切なことを得ることができたと思っています。

今日は、時間がぽっかりできました。
少し振り返ってみようと思います。

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感謝のきもち

Facebookイベントページで開催延期のお知らせをするにあたり、ご参加の方へメッセージを書きながら、私の心は感謝の気持ちで満たされていました。

イベントを立ち上げることが不慣れな私のために、イベントページの主催をお引き受けくださり、心強いアドバイスをくださった方、
「準備を手伝いますよ」とお申し出くださった方々、
「楽しみ」というお言葉とともに、ご参加のお申し込みをくださった方々、
「今回は都合がつかないけれど、次回に是非。」「頑張って。」というお言葉をくださった方々、
‟興味あり“にポチをくださった方々。

なんと有難いことでしょう!

大きなイベントを企画されている方がご覧になったら、そんなにたくさんの人数ではないかもしれませんけれど、
人数より何より、あたたかなお気持ちで 足をお運びくださる方や、ご協力くださる方がいることを思うと、胸がいっぱい。
感謝の気持ちで心は満タンになって、何かと一緒にあふれそうになりました。

今日も、延期を知らない友人たちから、応援メッセージが届きました。
都合はつかなくても、今日だということを覚えていてくれたのだと思うと、「ありがとう!」のことばしかありません。

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思いと勢い

私は昨年、小学校での授業を担当させて頂くという形で お箸の活動と出会いました。
出会った喜びは、とても大きなものでした。
心から好きだと思えること(興味)、
私にもできそうなこと(能力)、
わずかでも誰かの役に立ちそうなこと(価値)が、
繋がった瞬間を感じたのです。
このキャリアの3要素の重なりは、活動を重ねるたびに大きくなるように感じています。

お箸の活動は、本務とは無関係の 完全なプライベートです。
頻度はそんなに高くありませんけれど、職場(組織)で働く自分とは 違う自分を表現できる場所ができたことによって、生活がより楽しくなったと感じています。

そんなルンルンな気持ちで向き合っているお箸ですので、知れば知るほど、魅力は膨らんでいます。

お箸をとおして見えてくる日本人古来の価値観や抱いてきた思い、日本人にとってのお箸の本来の意味などを知ってみると、日々の生活の中でお箸を使う瞬間に、ふと、それまでと違う世界が見えてくることがあるのです。
素敵なことです。

お箸の国のおはなし会は、そんな魅力をお伝えしたいという思いで開催しようと思い立ったものです。

その思いと勢いだけで、イベントを立てました。
構成を考えたのは、開催アナウンスをしてからのことです。
私らしいかな。

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ナゾの正体

内容を考える中で、当日準備する資料として、「お箸に関する年表」を作成しようと決めました。
当初は、歴史的観点からも おはなししようと思ったのです。

これが大変でした。
無謀でした。
これまで、お箸に関する事柄については、ある程度自信を持っておはなしをしてきました。でも、その年代や順番については、少なくとも私には断言できないことが多いからです。

いわゆるエビデンスになるものは、記録と出土品になるわけですが、どちらも乏しいのです。
日本には、ある年代までお箸が登場する文献がありませんでした。
また、出土品に関しては、お箸はもともと木でできていますので、土に埋められたり川に流されたりしていると残りません。
(使用後は土に埋める、川に流す、焼くという文化がありました。)

そこから読み取る年代などについては、専門家の方々の解釈がそれぞれ異なっていて、私などは本を読むごとにアタマがこんがらがってしまうのです。
それを年表にして、どなたかにご覧いただくなんて、ちょっと誤ったミッションを自分に課してしまったなぁと、途中で後悔。
作るのをやめようかとも思いました。
だって何しろ、私はもともと歴史が大の苦手なのですから。

後悔しつつも意地になってつくっていく年表は、複数の説で複雑になっていき、
そして これはいけないとバッサリ削除して、結果的になんじゃこりゃ?っていうくらいシンプルすぎるものになってしまいました。

それでも私にとって力作であることには違いありません。
結果が伴わない達成感もあるものだなぁと思います。

また、これまでは、「お箸に関する歴史は謎ですね~」で済ませていた私ですが、
そしてこれからも「謎ですね~」は変わらないわけですが、
自分のオリジナル年表をつくることで、謎の正体が明確になった気がしています。
これって、すごい収穫!

そんな自己満足を抱きながら、これからナゾの正体と にらめっこして、自分なりの解釈を深めていきたいと思います。

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ところで『お箸の国のおはなし会』の延期を決めた2月23日は、
父の眠る場所へ行きました。

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そこには、ピンクの川津桜や、淡雪色の梅の花などが、
青空のもと咲いていました。

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モクレンは堅いつぼみを蓄え、時を待っていました。

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花々を見上げながら、
どんなことが起こっても、自然の営みは途切れることなく続き、季節は移ろうのだなぁと、
ぼんやり思いました。

私たちの動揺とは無関係に生きる植物は、
へこたれないこと、潔くあると、誰かのために咲くことや 誰のためでもなく咲いてみること、
いろいろなことを教えてくれるように思います。

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新型コロナウイルスの感染が1日も早く収束しますように。
一人ひとりができることを考えながら、深い祈りを捧げたいと思います。

お箸の国のひとたちが 昔から そうしてきたように。

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※ 昨年 書いた『お箸のおはなし』その1.~その7.は、ちょっぴり訳あって、現在 非公開にしています。
お読みくださった方々に感謝申し上げます。



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