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死について 〜2〜

(前回の続き)


二度目に死にかけたのは自転車で大型観光バスにぶつかった時である。

このときは、母方の親戚を母親と共に訪ねていた。

その家にはそれ以前に一、二度行った覚えがあるが、確か大通りに面した八百屋か何かの商店だったように記憶している。

そこでお小遣いをもらったので、家に持って帰って友だちと遊べるようにボールを買いに行くことにした。カラーボールと呼ばれた、子供が野球をして遊べる柔らかいボールで、黄色、緑色、赤色の三種類があったように思う。
ボールを売っているその駄菓子屋は親戚の八百屋がある大通りを横切って坂道を 7、80 メートルほど上がったところにあった。


確か小学校の 4 年生だった。

その頃、友だちの多くは自転車を持っていたが、ウチの自転車は兄のものだったので普段はあまり乗る機会はなかった。
だから近所で友だちと遊ぶときには、みんなが自転車で公園とか広っぱとかに集合し、遊び終わるとそれぞれ自転車で帰って行った。

私も、帰りは近所の友だちの自転車の荷台に乗せてもらっていた。
なので、自転車に乗るのはお世辞にも上手だといえなかった。
当然、練習するチャンスをいつも窺っていた。


親戚の八百屋には配達などに使う自転車があった。大人用の、大きな荷台のついた、がっしりとした自転車である。
これ幸いと、私は自転車にまたがったが、足が地面に届かない。
ペダルに足をかけたら地面を蹴って思い切ってまたがり、そのままの勢いで前に進まないと、スピードが落ちてたちまち安定をなくしてフラフラしてしまう。

心の中のクリケットが「自転車で行かない方がいいんじゃないの」と囁くが、私は当然のようにその忠告を聞き流す。大通りを横切った。とにかく善は急げとばかり、駄菓子屋を目指す。

駄菓子までの道が平らだったら事態は違った方向に進み、この「二度目の経験」も無しで済んだのだろうが、大通りを横切った先は上り坂だったので、駄菓子屋までは自転車を降りてよいしょコラショと押して行った。


問題は駄菓子屋からの帰り道で起こる。

ただでさえ上手くないのに、今私の手には赤いカラーボールが握られている。つまり片手運転である。しかも下り坂なので漕がなくてもスピードが出る。

先に行動してゆっくりと後悔するのがモットーである射手座の典型で、私は自転車にまたがり坂道を下って行った。

間もなく大通り。
大通りなので当然クルマの往来はけっこうある。
安全策を取るなら大通りの手前で止まる必要がある。

だが止まると一旦自転車から降りなければならない。
サドルの位置が高いので止まると足がつかないからである。

右手にはボールを、左手にはハンドルを握っている。
一応、ブレーキをかけてスピードを落とそうとはしてみたのだが、この自転車、ブレーキのかかりが悪い。

さあ困った。
二者択一である。

一択は、スピードが出過ぎてしまう前に自転車から降りて地に足を踏ん張り自転車を止めることである。

もう一択は、運を天に任せ、このまま大通りを横切って、その後で何とか八百屋までの短い距離で自転車を止めることである。


ここまで書いたら恐らくは想像に容易いと思うが、私は実に後者を選択したのである。
ギュッとカラーボールを握りしめ、ままよとばかりに私は大通りに飛び出した。

するとやはりタイミングを計ったように大型観光バスが目の前に現れたのである。

この時もまた一回目のように時間が膨張して針の動きが滞った。
風船を押し潰したように時間が歪み、一部が縮み一部が膨れ上がって、秒針が歪んだのである。

私の時間ではかなり緩慢に、その周囲の時間ではほぼ瞬間的に、私は自転車ごと大型バスの側面に衝突し、大きく跳ね返ってアスファルトに激しく叩きつけられた。
たぶん一瞬気を失ったのだろう。



気がつくと、私の顔のすぐ前に男女の顔があった。運転手とバスガイドの二人である。

何を思ったのか、二人はほとんど同時に「大丈夫? ねぇ、ボク立てる? ちょっと立ってピョンピョンしてみてごらん」と声を揃えたのだった。

自分がどういう格好で地面に叩きつけられたのかは覚えてないが、おそらく車道と歩道を隔てる縁石にお尻から落ちたのだと思う。
何が何だかわからなかったが、尾骶骨あたりに激痛があったのは覚えている。

言われるままに私は立ち上がり、二人のために必死でピョンピョンした。
痛くてすぐに倒れ込んでしまったが。

「救急車、呼んだからね。もう来るはず」とガイドが言い、「もうちょっと早く飛び出してたらバスの正面にぶつかって死んでたかもしれなかったんだよ」と運転手が言った。


病院までの救急車の中、アドレナリンを一気に使い果たしてしまった私の身体はその時はじめて自覚症状として痛みを覚えつつ、愚かな少年の頭の中でも「死なずにすんだんだな」という実感が込み上げてきたのだった。

「少年ケニア」の崖転落未遂事件に引き続き、生きていることを感謝するスズキ少年なのであった。

( つづく )

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